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大変古い記事で恐縮ですが、大リーグで活躍するイチロー選手は、平成13年7月6日付けのシアトル・ポスト・インテリジェンサー紙のインタビューに、「日本では何度も打席に立つときに嫌がらせを受けた」「こちらで最も強く感じたのは選手同士が互いに尊敬しあっている。日本では選手だけでなく、監督やコーチまでもが相手のプレーを妨げるような言動をする。それが嫌で球場に行きたくなくなるような思いもした」と話しました。
また以前、スポーツ紙で読みましたが、スポーツ記者がイチロー選手とライバルたちとを比較して、とても執拗に他の選手との数字的な争いについて聞いてくることも、彼には苦痛だったようです。自分自身がそういう生き方を望んでいないからです。
平成13年8月24日の日本経済新聞の記事では、彼は他の人の動向を気にしていたのでは、自分のプレーに集中することはできないという考えであることが示されていました。
「人の結果が絡んでくることに目を向けることはできない。自分ではどうしようもないことだから」
競争意識には必ずと言っていいくらい、相手の失敗を望む気持ちが並存します。野次は相手の足を引っ張る行為です。このような意識にふれることを新しい意識の持主は嫌います。
他の選手は自分以外の選手の動向を気にすることが多いのに、イチロー選手は異なります。他との比較の結果でしかない首位打者争などに関する興味も薄く、彼の興味は首位打者よりも自分がより多くのヒットを打つことにあると言います。
「人の調子が落ちてきて、自分が(数字を)キープしてトップになる可能性がある。そんなことを意識してグラウンドには立てません」と述べ、そして彼が1994年のオリックス時代に210安打したときも「打率はどうでもいい。安打数を求めるのは(打率に意識を向け)精神的に苦しむのが嫌だから」と語っています。これは彼が20歳のときのコメントです。
考えてみれば、打率とは安打と凡打との比較から出された数字です。打率を下げる凡打は打率にとって確実に失敗であり、マイナス現象なのです。しかし単純に安打数を求める限り(確かに凡打は安打数を伸ばさないものの)、少なくとも安打数を減らしもしないのです。その分、失敗を恐れずにチャレンジできるのではないでしょうか。
安打数を求めることは絶対的な価値観で、安打と凡打を比較する打率は相対的な価値観と言っても良いのかも知れませんが、失敗を恐れないという意味では前者が野球人生をより生き生きとさせてくれることでしょう。
しかしこれも、人と競争しないとやる気が起きないとか、人の上に立ちたいという価値観を求める人にとっては、物足りないということになってしまうのでしょう。
これらが2流選手の談話でしたら一笑に付されるかもしれませんが、イチロー選手は人気も実力もある打者ですから、こういった何気ない記事を読んだ人々に、「そういうスポーツの楽しみ方もあるんだな」との気づきを与えることでしょう。彼は少なからず人々の意識の変換に貢献していることとなります。このような仕組みが新しい地球の実現のために、至るところで図られているのです。
現在、大リーグと日本のプロ野球で活躍する日本人プレーヤーの中で誰が現役最高のプレーヤーかという質問を日本の野球ファンにすれば、間違いなくイチロー選手がトップの座につくことでしょう。人と比較することを嫌う新しい意識の選手が、多くの古い意識のタイプの選手を結果として抑えて一番になるだろうことも、エネルギーの新しい流れの創造の結果ではないかと感じずにいられません。
もっと言えば、イチロー選手が2001年の大リーグの首位打者になり、MVPまで獲得した要因は、もちろんイチロー選手の才能が第一なのですが、人類全員が成長するためにとの神の後押しがあったと、私は感じるのです。正しき者は、自らが自らを救える時代に既に入っているのです。
スポーツ競技をしていて相手の失敗にほくそ笑む、という思い出はありませんか? 新しい地球のスポーツはこのような意識のない、互いの成功、互いの進歩の喜びを分ち合えるものへと変化させたいものです。
↓思うところがあったら Clicしてね。。。
「人気ブログランキング」に参加しています。上位に入ることで多くの人にこのブログの存在に気づいてもらい、世の中の真実、自分の真実についても気づいてもらい、一人ひとりが本当の自分を取り戻し、地球が愛と調和の地軸を取り戻すことを願っています。
今日の新聞記事の内容が古いのは、2002年に出版した「真実の扉」 の第6章(新しい秩序へのヒント )をリライトしたからです。
多数決など存在せず、100%の合意で営まれるユートピアの社会秩序である真の民主主義を、「ジグゾーパズル(一人ひとりの人間がパズルの一片)」に譬えてしばし表現しようとしました。しかしやはり段階を経たほうが良いと思い、そのことについて書いた第6章の全文をリライトしながらしばし載せ、なぜ100%の民意の一致という夢のような秩序体系があり得るのかということを、すこし時間を掛けて述べさせていただこうと思いました。
また以前、スポーツ紙で読みましたが、スポーツ記者がイチロー選手とライバルたちとを比較して、とても執拗に他の選手との数字的な争いについて聞いてくることも、彼には苦痛だったようです。自分自身がそういう生き方を望んでいないからです。
平成13年8月24日の日本経済新聞の記事では、彼は他の人の動向を気にしていたのでは、自分のプレーに集中することはできないという考えであることが示されていました。
「人の結果が絡んでくることに目を向けることはできない。自分ではどうしようもないことだから」
競争意識には必ずと言っていいくらい、相手の失敗を望む気持ちが並存します。野次は相手の足を引っ張る行為です。このような意識にふれることを新しい意識の持主は嫌います。
他の選手は自分以外の選手の動向を気にすることが多いのに、イチロー選手は異なります。他との比較の結果でしかない首位打者争などに関する興味も薄く、彼の興味は首位打者よりも自分がより多くのヒットを打つことにあると言います。
「人の調子が落ちてきて、自分が(数字を)キープしてトップになる可能性がある。そんなことを意識してグラウンドには立てません」と述べ、そして彼が1994年のオリックス時代に210安打したときも「打率はどうでもいい。安打数を求めるのは(打率に意識を向け)精神的に苦しむのが嫌だから」と語っています。これは彼が20歳のときのコメントです。
考えてみれば、打率とは安打と凡打との比較から出された数字です。打率を下げる凡打は打率にとって確実に失敗であり、マイナス現象なのです。しかし単純に安打数を求める限り(確かに凡打は安打数を伸ばさないものの)、少なくとも安打数を減らしもしないのです。その分、失敗を恐れずにチャレンジできるのではないでしょうか。
安打数を求めることは絶対的な価値観で、安打と凡打を比較する打率は相対的な価値観と言っても良いのかも知れませんが、失敗を恐れないという意味では前者が野球人生をより生き生きとさせてくれることでしょう。
しかしこれも、人と競争しないとやる気が起きないとか、人の上に立ちたいという価値観を求める人にとっては、物足りないということになってしまうのでしょう。
これらが2流選手の談話でしたら一笑に付されるかもしれませんが、イチロー選手は人気も実力もある打者ですから、こういった何気ない記事を読んだ人々に、「そういうスポーツの楽しみ方もあるんだな」との気づきを与えることでしょう。彼は少なからず人々の意識の変換に貢献していることとなります。このような仕組みが新しい地球の実現のために、至るところで図られているのです。
現在、大リーグと日本のプロ野球で活躍する日本人プレーヤーの中で誰が現役最高のプレーヤーかという質問を日本の野球ファンにすれば、間違いなくイチロー選手がトップの座につくことでしょう。人と比較することを嫌う新しい意識の選手が、多くの古い意識のタイプの選手を結果として抑えて一番になるだろうことも、エネルギーの新しい流れの創造の結果ではないかと感じずにいられません。
もっと言えば、イチロー選手が2001年の大リーグの首位打者になり、MVPまで獲得した要因は、もちろんイチロー選手の才能が第一なのですが、人類全員が成長するためにとの神の後押しがあったと、私は感じるのです。正しき者は、自らが自らを救える時代に既に入っているのです。
スポーツ競技をしていて相手の失敗にほくそ笑む、という思い出はありませんか? 新しい地球のスポーツはこのような意識のない、互いの成功、互いの進歩の喜びを分ち合えるものへと変化させたいものです。
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今日の新聞記事の内容が古いのは、2002年に出版した「真実の扉」 の第6章(新しい秩序へのヒント )をリライトしたからです。
多数決など存在せず、100%の合意で営まれるユートピアの社会秩序である真の民主主義を、「ジグゾーパズル(一人ひとりの人間がパズルの一片)」に譬えてしばし表現しようとしました。しかしやはり段階を経たほうが良いと思い、そのことについて書いた第6章の全文をリライトしながらしばし載せ、なぜ100%の民意の一致という夢のような秩序体系があり得るのかということを、すこし時間を掛けて述べさせていただこうと思いました。
世界的に活躍されている方には、その方が表現しているメッセージがあるんですね。
また、記事にさせていただきました。
いつも、扉さんの記事は、核心をついているので、共感することが多いです☆
記事を読ませていただきました。
人間が主体性を持って生きているとき、本当に充実した日々を送ることが出来ますから、そういった方向に人をサポートすることは素晴らしいことだと思います。
連休中、お出かけのようですね。
いいですね。我が家のように、子供が高校二年ので男子となるとなかなか一緒には出かけたがらなくなります(自分も最近出不精だけれど)。
有意義な休日をお過ごし下さい。