2011年度夏学期の最終回。元朝日新聞編集委員・和光大学教員の竹信三恵子さんをお招きし、労働問題をどう報道するかについてお話し頂きました。
竹信さんはご自身の労働がリアリティだったということで女性労働の担当となり、さらには労働問題の担当になったそうです。この「リアリティ」が今回のお話の鍵です。
1.マスメディアは水道水である
・水源地 → 浄水場(ろ過) → 水道水
もとの情報 → マスメディア → 提供される情報
・メディアリテラシー=情報は加工済みのものという意識
2.マスメディアの担い手たちとその限界
・マスメディアの担い手はそもそも大卒の上層ホワイトカラー男性が8~9割を占めており、情報入手先も同様の階層であるため、同じ階層の中で情報が回っていることになる。
・記者クラブでは情報の占有だけではなく官庁から流れてくる情報をそのまま流す現象が起こっている。
・以上の理由から、マスメディアの担い手の大部分が労働問題へのリアリティが薄い。
3.労働のリアリティをどう伝えるか
・「主婦パート」という見えない非正規雇用。日本の現在の労働は「妻付き男性モデル」で、非正規雇用者は被扶養者がなるものという前提の上に制度があり、無期で働くパートというものを人々は想定していない。
・1985年の均等法、労働者派遣法、第3号被保険者ゆえに、「85年は女の貧困元年」。女性保護撤廃によって女性も無制限労働をするようになり(残業の歯止めがきかなくなる)、家事負担する女性は正規で働けなくなってくる。そこで、労働者派遣法で女性パートとして拾う。さらに、第3号被保険者でパートの賃上げに歯止めをかける。さらに、現在では正社員になりたい女性や若者にもこれが及んでしまうばかりか、正社員になって過労死するか非正社員になって不安定な雇用状態にいるかの二極化が起こっている(過労死は80年代から激増)。均等法の本来の目的が同時進行の女性保護撤廃(労働者派遣法・第3号被保険者)によって歪められてしまったということになるが、当時のメディアにこの構造が見えなかった。
・「パート=有期」「総合職と一般職は全く別の仕事をしているから昇給に差が出てくる」というなんとなくのイメージ(錯覚)、報道者のリアリティの無さゆえに、社会に労働の現場が伝わらない。
・労働問題を報道しようとしても、フリーター・外国人・女性という差別のフィルターがかかって「それは一部の人」と報道者の間で決めつけられ、労働問題であるという意識を持ってもらえず、報道として社会に出ない。
・「年越し派遣村」報道によって貧困の氷山の一角は表に出てきた。その重要な要素としては、ユニオンと反貧困団体の連携、継続取材する報道者、厚労省脇という舞台があった。
4.労働問題を伝えるための報道力
・遠目で見たら「困って無さそうだ」と思ってしまう。苦境にある人の顔を見て話を聞くことが重要。
・言葉の変換によって概念の転換を起こす。例:「在職死亡」から「過労死」という言葉に代わったことで、「仕方ない」と思われていた現象が問題化され、報道しやすくなった。
・同じ話でも角度と見出しを変えて繰り返す。
・官庁の代弁者となっている記者クラブとは違う、電話一本で話を聞けるような自前記者クラブの創設が必要。
・「悲惨さ」を描けば人々は当事者を「格下の恵まれない人」と認識してしまう。その現象を生み出す構造と対抗力を報道することで、当事者を「対抗手段を持ちうる、情報の受け手となる人々と対等な立場にある人」と位置付ける。
5.報道力を支える社会運動グループ
・ユニオンが良質な水源地(情報源)となって非正規労働報道を支えた。2007年結成の反貧困ネットワークも同様の役割を果たしている。
・マスメディアは常に同じものを報道しているわけではなくhit&awayが宿命。マスメディアの目を集めることは戦略上重要なことで、パワーエリートと社会運動は良質な情報源たることでメディアを取り合っている。
6.読者・支援団体・報道の連携
・社会の報道者への評価・批判によって記事・記者の質の向上を図る必要がある。(例:反貧困ジャーナリズム賞)
・労働問題に関わる記者はデスクと争うのではなく、理解のあるデスクを探し、デスクが掲載しやすいように話を持っていくことが必要。
・パワーエリートには情報発信力があるが、社会運動側にもパワーエリート側に対抗するメディア・自己発信力が必要。
(文責:上野)