今日もご訪問どうもありがとうございます。
ブログを始める時に、一番最初の書いた記事ですが、未完成のままでした。
10月から介護日記をつけてきて、4か月目に入り、同じ立場のご家族の方にたくさんの励ましをもらい、今までやってこられましたが、お友達が旅立ち、なんだか心の支えを失ったような空虚感があります。
来月の22日は、楽ちゃんのお誕生日です。お誕生日といっても、半ば飼育放棄された成犬になった楽ちゃんを引き取ったので、正確なお誕生日はわかりません。我が家に迎えた日、2月22日。をお誕生日として祝ってきました。
今年で、推定15歳。 2008年、保護当時、2歳ぐらいと獣医さんが見積もられたので、推定ですが、おそらく、それ以上年齢はいっていると思われます。16歳か17歳か・・
年齢は特に問題ではなく、一緒に過ごしてきた時間が長いとか短いとかではなく、どれだけ貴重なものだったかだと思っています。
今まで、別に特別なことはしません。毎日がお誕生日というのは大げさですが、できる限りの愛情を注いできたつもりです。できる限り、栄養のある体に良い素材をおいしく料理して食べさせて、フードだけで行けば楽だったのですが、我が家の歴代のワンちゃんは、ずっと手作りで、フードを副食としてきました。それがよかったのかどうか、わかりません。 自分たちが良いと思うことを実践してきただけ。
今、楽ちゃんは、認知症になってしまい、表情もなくなり、嬉しそうに尾っぽを振りながらいつも小走りのお散歩も、海岸をボールを追っかけて、ジャンプして走って。夕陽を並んで眺めては、無事1日過ごせたことをふたりで喜んだり、そんな日々は全く違うものになりました。
今は、認知症で泣き叫ぶ楽ちゃんを抱きしめてなだめ、安定剤を飲ませては食事させ、下痢に悩みながらも、それでも無事1日過ごせたことを感謝しています。
いつまで一緒にいられるのだろうか? 特にお友達たちが旅立ってから、そんなことを日々考えます。
精神的にも辛く、肉体的にも辛い。でも、この子が生きようとしている限り、頑張らなければと言い聞かせています。
楽ちゃんを迎えたあの頃を思い出して、お話ししようと思います。
楽ちゃん、この子は、ほぼ飼育放棄された状態の子でした。ある崩れかけた家に住む老人が、犬猫を多頭飼育していて、ご飯もほぼ上げていない状態で、食べさせるものといえば、スーパーの売れ残りの弁当をもらってきて与えるというありさま。もちろん、避妊・去勢もしませんので、どんどん増えていきます。
そんなことは知らず・・私は、この子を時折近所の公園で見かけ、いつもどこかへ目的をもって歩いていくように見えましたが、首輪をしていないので、飼い犬か野良ちゃんかわかりませんでした。
秋になり、遠目に見かけたとき、妊娠しているように見えました。時々会うと、その子も私のほうをじっと見ました。でも、こちらに来ることもなく、また、どこかへ向かって歩いていきました。
飼い犬で、放し飼いにしているんだな、この辺りは田舎だから・・とか思っていましたが、その年の夏の終わりに、愛犬をがんで失い、ペットロスで落ち込んでいた自分を、その子のひょうひょうとした姿が慰めてくれたことも事実でした。
そして、年が明けて2月。その子が、公園のごみ箱に必死に飛びついているのが見えました。そのごみ箱は、固定していないもので、宙に浮いているので、飛びつけば反対の方向へ傾きます。それを何回か繰り返し、ごみ箱が倒れないことを悟ったのか、しょんぼりと去っていきました。
その時、私は決めました。この子は野良ちゃんだ、私が助けなければ死んでしまう!飢えてしまう!と
帰宅して家族に相談。夏に17年近く暮らした子を、がんで失って悲しみに沈んでいましたので、もう犬は飼わない!と決めていましたが・・
その子の状態を知り、母も心を動かされました。
連れてきたら・・と。
翌日、ご飯をもって(今も思い出します、ハモ雑炊でした)自転車でその子が出没するだろう場所を探し回りました。いくら探しても会えません。ダメかなあ・・とあきらめた瞬間、路地からひょっこり現れました! どれだけ安心したかうれしかったか。 早速、ご飯を出すと、完食!空腹だったんですね。案の定。そして、それから、自転車の籠に乗せて連れ帰りました。何も抵抗せずに、されるがままにしていたのです。
帰宅してから、すぐにお風呂。毛は絡みつき、薄くなっていました。でもおとなしくされるがまま。そして、きれいになりました。
その夜は、台所の片隅に箱を置いて、毛布をひいてつないで寝かせました。おしっこのしつけができていないだろうと考えて、そそうをされると困るので、まず最初の夜はそうしました。夕ご飯はよく食べてくれました。
夜中に、細い鳴き声が聞こえておきました。1階に降りていくと、与えられた段ボール箱ベッドの中で、寂しそうに泣いていました。お隣のわんこ(大型犬)が私より先に気が付いて、裏口と隣の境目に来て吠えてくれました。
お宅のわんこ、泣いてるよ!と。
様子を見ると、毛布の中におしっこをしていて、それを必死に隠していました。
「隠さなくていいよ、怖がらなくていいよ」と
綱を外し、リビングに連れて行き、こたつの横にビニール袋をひいてタオルをひいて、そして寝かせました。私も横に寝ました。
そうすると、安心したように、深い眠りにつきました。
ここが、あなたの家だよ、そういった言葉を信じてくれたかのように。
おしっこの粗相をしたのは、後にも先にも、最初の夜だけでした。次の日に散歩に連れて行くと、散歩で用を足すようになりました。
もしかして、排泄のしつけをしているのだろうか?と思ったほど。
それにも加えて、私の人生で、唯一、何のしつけもいらない子でした。まるで初めから、こちらが言わんとしていることを理解しているようで、入ってはいけない場所には近づくことはないし、リビングに入ってくるのも、恐る恐る気を使いながら入ってくるし、寝る時はベッドの片隅に小さくなって寝ます。
お風呂に入れたものの、ウッドデッキでブラッシングをしていたおばあちゃんが、10匹以上もダニがいるのを見つけてとってくれました。やせ細り、毛もあちこち抜けていた、いかにも哀れな姿の犬。連れてきたときは、母乳が出ていました。この子はお母さんなんだ。
翌日、この子を連れて、子犬を探しに行きました。その時までは、まさか、飼育放棄された犬とは知らず、てっきり野良ちゃんだと思っていたので、どこかに子犬がいるのでは?と心配になりました。
保護した場所で、放してあげましたが、別にどこに行く様子もなく、あちこち見て回りましたが、子犬は見つかりませんでした。
ただ、ある古びた家の庭に、数匹の犬がいて、近づこうとしたので、けんかになるとやばいと急いで行き過ぎましたが、その時も、楽ちゃんは特に反応もしませんでしたので、てっきり無関係と思っていましたが、後になって、その家で放し飼いされていたひとりということを知りました。それは、その家のおじいさんが亡くなった後です。
母乳が出る間は、楽ちゃんも、何度か逃亡を試みましたが、そのうち、母乳も出なくなり、同時に逃亡をしようとも思わなくなり、落ち着きが出てきました。
もしもの時のために、警察にも届け、名前を考えることにしました。
散々考えた挙句、今までたいそう苦労をしたのだろうから、これからは、楽に暮らしてほしいと。
楽(らく)と名付けました。
ガンで亡くなった先代が亡くなってから半年が過ぎた頃でした。
それから、かけがえのない日々が始まりました。と、同時に、先代のふーちゃんを亡くした悲しみが次第に薄れていくのを感じていました。
最初に撮った写真です。
2008年、まだどこかおどおどしています。
2009年、自分が砂浜に掘った穴の横で、誇らしげに(笑
避妊手術もすんで、ちょっと太りました。
(保護した時は、フィラリア陽性で、麻酔が心臓にショックが大きいということで、すぐに手術ができませんでした。1年待って、陰性に変わり、無事手術)
2010年、すっかり我が家のアイドルに
2015年、大人の魅力です(笑
保護した時から一貫して言えるのが、一度も注意することがなかった、一度も叱ることがなかった。すべて、こちらの言いたいことがよく理解できる、不思議な子だったということです。
また、様々なエピソードを交えていきたいと思います。
今日は2日続きの雨で、お散歩が行けませんでしたが、夕方、雨がやみ、20分ほどお散歩に出かけました。楽しそうに歩く姿を見て、先日、泣いたことが恥ずかしくなりました。
楽ちゃんは、確かに、生きようとしている、生きたいといっている。
ありがとう、楽ちゃん!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
明日も世界中のおじいちゃん・おばあちゃんわんにゃんとご家族が元気で過ごせますように。