今日の寝顔~いつまでも一緒に

わんひとり(推定年齢16歳)、にゃんふたり(推定年齢6歳と4歳)との暮らし、わんの介護日記を中心につづります。

お母ちゃんの償い

2021-07-12 12:55:48 | にゃんこたちのこと
今日もご訪問どうもありがとうございます。

今日も、介護猫、かりんはがんばるよ!


あんなに・・自慢していた・・ミルクセーキのような卵スープですが・・・
おそれていたことが起こりました。
飽きた!もう、ええって、馬鹿の一つ覚えみたいに出すな!
という態度をとられましたので、休止です。
まあ、いくら好きでも、毎日だとねぇ・・(^-^;
ということで、昨日は、ちょっとアクセントにお昼には、
信州そばなるものを出してみました。あんかけにして、鰹だしは麵に吸わせて(人間なら、麵が伸びてる!といわれそうですが)
抵抗なく、つるつると食べてくれました。
週末に、少しおなかがゆるみました。原因が何か?2つ怪しい奴がいます。
それは、豚肉、しゃぶしゃぶの肉を使ったのですが・・・あまり食べたくなかったみたい。。。(~_~;) 何度も吐き出したので、食べたくなかったのでしょうね。鶏肉は食べたのに・・・で、もうひとつは、鮭。養殖だからどうしても、脂分が多いのですよね。焼いてキッチンペーパーで脂をふき取って、と気を使っていますが・・脂っぽかったかもしれません。う~ん・・
それで、あっさりしたものを。と、そば。
卵が飽きたとなると、卵に変わる栄養源を確保しなければ・・となると・・
う~ん・・で、パピーのフードを、出汁で柔らかくして食べさせたのですが、意外に難なく食べました。以前なら、そんなもの!と見向きもしませんでしたが・・パピー用は消化が良く、栄養価の高いものが多いので、以前も獣医さんに勧められました。
で、今回は、大好きな蕎麦ぼうろを入れてみた。

食べてくれるかな?と、勧めようとしたら・・熟睡してた・(;''∀'')
ということで、トライは起きてからと、なりました。

今日は、なぜ、猫を家族に迎え入れたかという理由をお話しさせていただこうと思います。
我が家の2にゃんこいます、別々のところから来ました。
びわとかりん。
二人とも、体に良い果樹の名前を付けました。
びわは、ある日、我が家の枇杷の木の下に現れて、住み着いたから。
というのも理由です。

手前が、びわ、奥が、かりん。
ほとんどの時間を一緒に寝ています。
奥がびわ、手前がかりん(笑

びわが来た時、まさに猫ブームでした。で、なんとなく、居ついてしまって、それじゃ、ということで、家族になりました。
かりんは、ある場所から保護した子です。場所を書くと、また誰かが猫を捨てに行くかもしれませんので、ある場所にしたのですが、大阪の郊外です。
そこには、心無い無責任な人たちが猫を捨てに来て、もう30匹ぐらいになっていますが、ボランティアさんが毎日、全部の猫が満腹になるほどのたくさんのご飯を抱えてきてくれています。もう、5年以上そのようなことで、すべての猫を去勢避妊しておられます。その費用たるもの、そして、毎日の餌代、頭が下がります。
その中で、かりんを家族にすると決めたのは、とてもよくなついてくれたことと、そして、事故で尾っぽが切れてしまい、傷跡が塞がらず、そのまま置くと、感染症になってしまうだろうという心配からでした。
そのいきさつは以前書いたので、割愛しますが・・・

私は、ずっと長い間、猫があまり好きではありませんでした。理由は学生時代にさかのぼりますが、下宿していたところの大家さんが猫好きで複数飼いしてたのですが、世話が行き届かず、ノミがいて、その猫があちこち歩きまわるので、猫ノミの被害がすごかったのです。手入れさえしていたら、そういうこともなく、私も嫌な印象は植え付けられなかったのですが・・それ以来、猫は苦手でした。
そして、もう7,8年ぐらい前になると思いますが、近くのコンビニに行った時のこと。かわいい子猫が2,3匹いました。
そして、その中の三毛猫が、私が自転車で帰ろうとすると、足元にじゃれてきました。かわいかったのですが、その猫苦手という理由、そして、我が家には楽ちゃんがいる、ということで、連れて帰るとか、保護するとか、そういうことは全く考えませんでした。それに、そのコンビニの裏手には、猫が数匹住み着いていて、数人の有志の方々が、ご飯をもってきていたのです。
この子は私が保護しなくても、生きていける。そう思いました。
そうして、月日が過ぎて・・三毛猫はお母さんになりました。私は、あまり気にしてもいなかったのですが、ある日、すっかり大人になった三毛猫を見つけました。 子猫の頃、足元に無邪気に足元にじゃれついてきた子は、人間を見ると威嚇する、まるで冷たい世間にひとり生きてきたように見えました。
痩せて、そして、目ヤニをためて、体調も悪そうでした。
あの時、子猫の時に保護していたら・・・私の心に大きな後悔が広がりました。
楽ちゃんは・・・保護した時は、同じように痩せこけて、毛も抜けていた。フィラリアも陽性だった。あのまま放置したら2年も生きられなかったと獣医さんに言われた・・・でも、どうして、猫は保護しようとしなかったのだろう。やろうと思えばできたはず。でも、無関心だった。
私は決心しました。この子を保護しよう。
ただ、世間の冷たさに打ちひしがれて雨に濡れているその子は、容易に保護することは、できませんでした。それでも、ようやく捕獲して、家に連れて帰ると、家に入る一歩手前で逃げられてしまいました。
体調がよくないといえども、猫、逃げる猫、捕まえることもできず、夕方、ウッドデッキにご飯を置いて、待ちました。
すると、その子は帰ってきました。どこかに隠れていたのでしょう。
ご飯を食べてくれました。捕獲は試みませんでした。怖がらせたくありませんでした。また、こうして、ご飯を食べに来るだろうと思い込み、待つことにしました。我が家では、三毛のマロンと名付けました。
しかし・・・マロンは二度と我が家に来ることはありませんでした。
コンビニの駐車場に帰ったのだろう、そう思い、行ってみても、コンビニの店員さんに訊いても、見ていないとのこと。少し離れているから、帰ることができなかったに違いない。私はとても心配になり、近所を探しましたが、見つけることはできませんでした。 私があんなことしなければ、マロンは、コンビニに餌を持ってきてくれる人の恩恵で生きていけたのに・・・
そして、しばらくして、散歩していると、まったく予想もつかない場所で、マロンを見つけました。コンビニよりも離れた方向の違う場所。そして、パートナーと一緒でした。真っ白の…ネコ侍に出てくるようなきれいな猫。
そして、それっきりでした。
あの後、マロンはどうして暮らしていったのだろう? どれぐらい生きていられたのだろう? 何度も何度も考えては、自分の愚かさを悔いる日々でした。
そんな時、現れたのが、びわ。そして、8か月ほどたって、かりん。
この子たちを家族に迎え入れたのは、正直なところ、マロンへの償いの意味もあります。
自分がよく考えもしないでしでかしたことへの大きな代償を償えるとは思いませんが、この子たちを世話することで、マロンの命の償いはできません。
でも、路頭に迷ったはずの子たちを少しだけ助けることができた。もちろん、全員を救うことなんてできないけれど、自分の出来る範囲のことで保護できた。そう自分に言い聞かせています。

そうして、楽ちゃんお姉さんは、それまでの一人っ子生活とはいきませんでしたが、それでも、仲良く共存してくれています。
楽ちゃんの優しさがあってこそ。
特に、かりんは、楽ちゃんが大好きで、来た時からすぐに寄り添うようになりました。
あれから、年月が過ぎて、楽ちゃんは介護生活。でも、かりんには、いつものお姉ちゃんです。
こんな時間が緩やかに進むことだけを祈る日々。

最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
明日も皆様がお元気で過ごせますように。


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