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冬の駅から#2

2021年04月08日 | 焼き芋みたいなショートエッセイ
焼き芋みたいな
エッセイ・シリーズ  (47)


冬の駅から #2

僕が退院したその2年後、長いこと心臓を患っていた母が、
旭川の大学病院での手術後、地元のこの市立病院に転院した。
病室は僕がいた小児病棟のすぐ上のだった。
「ボクのお母さん綺麗ねー」顔馴染みの看護婦さんにそう言われて照れ臭かった。
術後の経過は順調で、病室内を歩けるまでに回復し、
母も嬉しそうな笑顔を
見せていたがある日容体が急変した。


学校から帰って付き添っていた僕は、夜、氷を汲むために下の階給湯室へ行き、
戻る時はエレベー
ターを使わずに
脇の非常用階段を駆け上がった。その方が早いのだ。
僕が入院していた頃、よくそこ駆け上がって遊んでいたから、その階段は慣れたものった
けどその時はなぜか途中でつまづき転び
汲んで来た氷を全部、階段の踊り場
まき散らしてしまった。
慌てて拾い集めながら嫌な予感がした。
その夜遅くに、母は息をひきとった。


              


その日は、僕が入院していた頃お世話になった看護婦さんも多く、
皆何かと声を掛けてくれた。僕を見て涙ぐむ看護婦さんもいた。
僕は只、病室のイスに座り、眠りついてもう動かない母の姿を長いこと見ていた。
只ぼーっと見ているだけで、涙は出なかった。
その時ふと、母の組んでいた両手がかすかに動いた。
「今、母さんの手が動いた!」そう言うと、祖父ちゃんも祖母ちゃんも
「うんうん」と言いながら母をみた。
後でそれが死後硬直という現象によるのだと知ったが、その時は、
母が僕に最後の別れを告げたような気がした。



後日、母の納棺の日、棺に釘が打たれ始めた時、
初めて僕は堰を切ったように
声をあげ泣いた。母の顔が見える小さな扉に
しがみついた。
親戚の皆もすすり泣いていた。
半年前に父が亡くなって
いた。中学1年のその年、
春に父を、冬に母を相次いで失った。
あの時僕の中で、何かが大きく変わったのだ
思う。

「祖父ちゃん、オレ病気が憎い」
「そだな、憎いな」
「父さんも母さんもかわいそう過ぎる」
「そだな」
「なんでだ?なんで家だけこんな目に合うんだ?祖父ちゃん」
「そだな」
祖父ちゃんとそんなことを、静かに話した夜がいくつもあった。


                               


「お前、こんな話知ってっか。立派なヨットが嵐で遭難してな、無人島に漂着した
 んだ。命からがら島に泳ぎ着いたのは二人の男だったと。
 一人は大金持ちの実業家でな、もう一人は世界的な学者だったとさ。そいでな。
 ヨットから放り出された時必死で抱えていた鞄の中身は、一冊の経済学の本だった
 んだと。それは世界最高峰と言われるほどの経済学書だったんだけどな、
 その無人島では焚き火にくべる以外、何の役にも立たなかったんだな」
「そうだろうな」
「結局な、その無人島もこの街も、命にとったら同じなんだあ。太陽が昇って沈んで、
 その下で生きる生命にとってはな、同じなんだあ。分かるか?」
「なんとなく分かる」
「人間はな、この大地の上で朝起きて、食べて動いて、また眠る。それの繰り返しだあ。
 それ以外何もいらないさ」
「仙人みたいだな」
「仙人になんかなる必要はないべさ。余計なことに翻弄されるなということだ。
 大事なのはな、皆が助け合っていくことだあ。助けたり助けられたり。んだべ。
 それ以外は付録みたいなもんだ。人間はな、この恵まれた大地での営みを楽しめば
 良いんだあそういうふうにな、祖父ちゃんは思ってるんだ」
「うん」
「それでな、人間、寿命が来たらそれまでの人生に感謝してな、ありがとう、
 面白かったよって言ってな、静かに死んでいくんだな。それでいいんだ」
「母さんも父さんもか」
「そうだ。寿命だったんだ。助からなかったのは寿命だったからだ。何が悪いわけじゃ
 ないべ。受け入れるしかないんだな。残った者は辛いけどな」
「・・・」
「あと、お前。お金だってな、暮らすのに必要なだけあればいいんだあ。貯金なんか、
 6円あればいいんだ」
「6円?なんで?」
「母さんの棺桶に6円入れたろ。あれな、三途の川渡る時の料金なんだと。本当は
 六文銭だけどな、今はないから6円あればいい。お前が社会に出てもな、変にお金に
 欲出したら駄目だぞ。余計なことに翻弄されるな。6円だけ残せばいいんだ。なあ」

6円だけというのは、いつもの祖父ちゃんの極端に言うクセのようなものだったが、
僕には祖父ちゃんの言いたい事は十分に伝わってきた。

人は死ぬということ。誰も皆、死んでゆくということ。
立て続けにその現実をみて、僕の中で価値観とでも言えばいいのだろうか、
余計なものが剥がれ落ちていく感覚を強く覚えた。
僕にとっては‘‘余計なもの‘‘、たとえば世間体がどうとかこうとか、
あれが成功だとか失敗だとか、豊かだとか貧しいとか、そうした類のものは、
人にとって結局はどうでもいい事だと思う様になったのかも知れない。

今でも周りの友人などから、良くも悪くも「自然体で羨ましいよ」などと
時々言われるが、おそらくそう見えるのは、あれこれと考える「人生設計」と
いうものへの執着や興味などと言ったものが、あの時、僕の中からほとんど
無くなってしまったからなのかも知れない。
僕にとって‘大事なもの‘は、ほんの僅かなことになった気がする。
話を聞いてくれる誰かが傍にいてくれて、話をしたがっている誰かの傍にいてあげる。
ほんの僅かなことだから、僕にとっては何よりも一番大事なんだ。

              


                  ー続ー



*市立病院は2020年、映画「糸」のロケで使われた。
    
   









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2 コメント

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こんばんは (けんすけ)
2021-04-08 19:06:55
分かっているけれど
いつの間にか世間の波にもまれて道を勘違いするのですね
改めて大事な事を思い起こしましたよ。
ありがとう。
返信する
けんすけ様へ (S.Y)
2021-04-08 20:17:02
けんすけ様も書いていた通り、「覚悟」ですね。
こちらこそ、いつもコメントをありがとうございます。
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