焼き芋みたいな
エッセイ・シリーズ (47)
冬の駅から #11
忘れられない試合がある。その大会の3回戦だった。
創部以来バスケ部は、まだ一度も3回戦を突破した事がなかったので
皆緊張していた。
「今年こそ、俺達の手で歴史を変えるぞ!」
円陣を組み、普段はどちらかというと温厚で物静かな性格の主将が叫んだ。
「ファイト!」皆も勢いよく声をあげた。
試合はシーソーゲームのように2転3転した。
そして同点のまま残りのタイム一分を切った頃、相手チームのフリースローになった。
絶体絶命のピンチだ。嫌な空気が流れた。
その時、デンスケがやけに涼しい顔をして僕の肩をポンと叩いた。
僕らだけのいつものコンビネーション決行の合図だ。気分が高ぶった。
僕は軽く頷いて、相手のフリースローの成り行きを見守った。
相手の1本目が入り試合は1点リードされた形になった。そして2本目は外れ、
跳ね上がったボールをゴール下の主将が果敢にリバウンドキャッチし、
速攻ドリブルしながら司令塔のデンスケにパスを出した。
デンスケはそのままセンターに切り込み、僕はその斜め後ろへ回り込んだ。
デンスケが相手ゴール下で待ち構える先輩にパスを出すフリをして、
顔を前に向けたまま斜め後ろにいる僕にひょいとボールを投げた。
相手は驚いただろう。そのまま僕は空いたスペースの45度に切り込みシュートを放った。
ボールはすぽっとゴールネットに吸い込まれた。その瞬間、試合終了のホイッスルが
鳴り響き、チームは1点差で逆転勝利を収めた。デンスケと僕の1年生コンビは
先輩達にもみくちゃにされた。
あれは今思い出しても、本当に痛快な瞬間だった。
あの時のデンスケの閃きには今でも舌を巻く思いがする。僕ならきっとそのまま
ゴール下の先輩に慌ててパスを出していただろう。
一緒にプレーしていてこっちが楽しくなるくらい、デンスケは常に戦略的で
大胆な動きを見せる選手だった。
そんなデンスケだったが、中学時代から練習中によくふくらはぎが攣っていた。
「うっ!」と突然苦しそうな声を出したかと思うと、床に座り込みふくらはぎを
両手で掴み苦しそうに悶絶した。すかさず僕らは、板のようにガチガチに固くなった
ふくらはぎをマッサージしたものだ。
「ううっ!」
「ん?ここか?」
「あ!痛たたた」
「よし、足上げてろ」
「上がんないぃ」
「ここか?こうか?」
「あ、アキレス腱切れそう」
「もっと足上げろって!」
「上がんないって!」
あれは本当に痛そうだったなあ。
痙攣が落ち着くと、デンスケはいつも困惑した顔で言った。
「もうコレ、クセなんだよなぁ」
ー続ー
当ブログ初期掲載写真。30歳頃、多摩市内の高校バスケ部と対戦した時のもの。
(青いジャンパーが私)
高校生と互格にプレーしまだまだやれるぞと思ったら、
後半は足がもつれ速攻中に転倒した。むはは。無理はイカン。
星空Cafe、それじゃまた。
皆さん、お元気で!