これまでの「池袋」を知ることで、これからの「池袋」を考える「池袋学」
※主催:東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)/立教大学
その第2回のテーマに「トキワ荘の時代~『漫画』から『マンガ』へ~」と言うことで「トキワ荘」をとりあげていただきました。
講師は、トキワ荘通り協働プロジェクトも大変お世話になっている丸山昭先生です。
と、言うことで、2014年5月24日(土)に、会場である東京芸術劇場に、お邪魔してきました。
会場には、学生さんと思しき若者の姿もおり、嬉しくかぎりです(* ̄∇ ̄*)
丸山昭先生秘蔵の写真もたくさん披露されました。
▼若い頃の赤塚不二夫先生
豊島区トキワ荘通りお休み処に、展示されている若き頃の赤塚不二夫先生の写真の前では、多くの方が足を止めています。
本当に美男子ですよね ̄ー ̄)ノ"
▼トキワ荘解体前の「同窓会」の写真
トキワ荘の紅一点水野英子先生のお気に入りの写真のようです。
▼トキワ荘解体前の「同窓会」のふすまの寄せ書き
右のふすまの「どき」ですが、何でもマンガの神様が、「とき(わ荘)」と書きかけ「トキワ荘はカタカナだ!」と気づいたそうです。
そこで、水野英子先生が「どき」とフォローをしてくれたのだとか。
チームワークよいですよね。
もちろん、話も興味深いものでした。
当時、マンガは今のように市民権もなく「子供の教育によくないもの」として「悪書追放運動」の対象になっていたそうな。
外では受入れてもらえなくても、トキワ荘の2階は、マンガを描く仲間がいて、「マンガのオアシスだった」とか。
また、トキワ荘以前の「漫画」は、面白さ(ギャグ、ユーモア、風刺)であり、笑いのエンターテインメントでありました。
トキワ荘の先生たちが「マンガ」というコマ絵と文でストーリーや情報を伝達する有能な媒体にしていった、など。
中の人(A)が、トキワ荘通り協働プロジェクトのお手伝いをはじめた頃に、サイトのテストアップの確認を事務局長に依頼したことがありまして。
その時に、「うちは『漫画』でなく『マンガ』と表記します」と、ドヤ顔で書いたあろうメールが返ってきたことを思いだしました。
「このことだったんだー!」とつながりました。
改めて「トキワ荘」は、マンガ家さんにとって、大切な場所だったんだな、と思いました。
その他にも、今はカタチを変え、営業している手塚治虫先生が、上京したばかりの藤子不二雄(A)先生、藤子・F・不二雄先生と一緒にいったレストランの話など、食欲をそそる話もありました。
この「レストラン」の話は、そのうちお話ししますね( ̄¬ ̄)
丸山昭先生はじめ、東京芸術劇場、立教大学の方たち、その他関係者のみなさま、このような機会を設けていただき感謝しております。
ありがとうございました。
今回、池袋学「トキワ荘の時代~『漫画』から『マンガ』へ~」を受講していただいた方たちが、トキワ荘通りに足を運んでくれることを祈っております。
※藤子不二雄(A)先生の(A)は、正式にはAに○で囲みます。