管理人・Kが 読んで参加する月刊誌「広場」に連載中の
「トキワ荘通り」通信 から
~藤子A先生の講演会~
4月10日(土)トキワ荘記念碑完成1周年イベントは天候にも恵まれ最高の一日となりました。藤子先生の出身地である高岡から「高岡大仏コロッケ」が福井の「三国昭和館」からは40分の1のトキワ荘模型(室内まで精巧に再現)がやって来てイベントを大いに盛り上げてくれました。模型の展示は「トキワ荘ミニ資料館」とうたって翌日の東京新聞でも大きく取り上げていました。単なるシャッター商店街イベントなのにやはりトキワ荘のご威光です。来年以降もこの周年イベントを定着させて「ミニ資料館」が「本物の資料館」となることを目標にしたいと思います。
さて、前回にお知らせした寺田先生の故郷・新潟県新発田市で行われた藤子A先生の講演会(3月6日)についてですが、実は私自身が当日まで行くか行かないか未定で、朝8時に家を出て夜の8時には帰宅するという12時間の弾丸ツアーでした。
「寺田ヒロオ研究会」の竹内会長とは度々連絡をとりあい会場の市民文化会館受付では、「チューダーあめ」などの椎名町グッズまで販売していただきました。その販売のお手伝いをしていたのは竹内さんの奥様で「こういう活動は、どこも同じような状況なのですね。」とお互いに笑ってしまいました。私は開場の1時間以上前に到着したので隣接する市立図書館に展示中の寺田コーナーも見学して短いながらも有意義な時間の使い方ができました。そして改装中でしたが会場と図書館の間に在った「蕗谷虹児(ふきやこうじ)記念館」も確認できました。蕗谷は、新発田出身の挿絵画家でトキワ荘の地元でもある「長崎アトリエ村」でも活動していました。トキワ荘について学習を始めてから、こじつけでもなくこうした例が度々あるのは因縁としか思えません。
いよいよ講演会の開始です。主催者は地元の敬和学園大学。全体は3部構成で第1部が藤子A先生の講演「トキワ荘の兄貴・テラさん!」。第2部はパネルトーク「故郷新発田と寺田ヒロオ」そのパネラーのお一人が竹内さん、テラさんのご実妹の高澤和代氏もご出演。第3部は「阿賀北ロマン賞」の授賞式。敬和学園大は1991年に新発田に招致され「新発田学」という地域研究を創出、2006年には市内の空き店舗を利用して「まちの駅よろず(新発田学研究センター)」を開所、学生と市民の交流を図り地域の活性化に貢献している。「阿賀北ロマン賞」は、この地域を題材とした作品を公募して作家の誕生や作品の舞台として地域文化を創造、発信をする意図という。こうした取り組みはいずれも目的意識がはっきりしていて今回の催しもそのひとつであることが明確に分かりました。
さあ、藤子A先生が片手を上げながら颯爽と登場し、300人を超す会場の雰囲気もいっきに和らぎました。春を感じさせるピンク色のジャケット(相変わらずオシャレ)はバックの水色のスクリーンとマッチしすぎです。私はもちろん「まんが道」などの大ファンなのでお話の内容はほぼ熟知していますが、やはりご本人の生声で、しかも前から2列目の席でお聞きする迫力は凄い。エピソードで心に残ったのは、藤子両先生がトキワ荘に入る時にテラさんから送られた引越しの手引き的な有名な手紙は10枚以上の長文であったそうでそれを読んだ二人は号泣したという話。1時間以上の熱演でしたがA先生のテラさんへの熱い想いは、最後に語られた「寺田作品の再評価のためにはできる限りのことを惜しまない」という言葉に集約されていました。また第2部のパネルトークではスライドでトキワ荘記念碑のことまで紹介され嬉しくなると同時に、今後は新発田をはじめとして先生方の出身地などの活動ともっと連携していくことが肝心と思いました。
前号で昨年のトキワ荘企画展の間に竹内さんがこちらに来ていただいたのは二回と書きましたが、ご本人にお聞きすると「三回ですよ!」とのこと。お恥ずかしいかぎりです。
次回は話題を変えてまた出直してまいりますのでよろしくお願いします。
「トキワ荘」の看板
映画「トキワ荘の青春」が1996年、新潟市の「シネ・ウインド」で上映された際に、シネ・ウインド会員の森山一理さんが制作し、上映期間中展示されたものという解説がついていました。映画に登場する看板をリアルに復刻してあり、凄い存在感でした。