野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

十万劫山 平成25年4月28日

2013年05月28日 | 山の思い出
(十万劫山頂上から吾妻山)

福島市の春の観光地として最も有名になった所といえば、やはり花見山であろう。
写真家の故秋山庄太郎氏が「福島に桃源郷あり」と語った里山も、2011年3月11日の震災の際には観光上の被害を受けた。しかし、今年はNHKの大河ドラマの影響などもあって、4月の人出はかなり多かったようだ。十万劫山(428.9)はその花見山を西に有する山であり、福島市の市街地からもそのなだらかな山容が眺められる。公共交通機関の利用で歩ける山を物色していたこともあり、駅から近いこの山を歩いてみることにした。なお山の名前については国土地理院が提供している地形図には「じゅうまんこやま」と称されている。しかしこの響きは何だか卑猥だ。地元の人は大概「じゅうまんごうやま」や「じゅうまんこうやま」と呼んでいる。劫の字は仏教用語で極めて長い時間の単位を表すものであり、未来永劫のように使われている。ボクは地元の人の呼び名に従い、「じゅうまんごうやま」乃至「じゅうまんごうさん」と呼ぶのが良いと思う。

十万劫山を登るにはいくつかのルートがあるが、今回は小説「山椒大夫」の舞台になったといわれる弁天山から縦走し、下山先に北にある茶屋沼へのルートを採ることにした。福島駅東口から弁天山下バス停へ向かうバスは本数が少なく、山歩きに適した時間でもない。そこで通常は舟場町までバスに乗り、そこから徒歩で渡利地区へ向かうことが考えられる。しかし駅から舟場町までは大した距離でもないので、駅から歩いて弁天山に取り付くことにした。駅から中合デパート前の通りを進むと、日本銀行などがある金融街を通る。ふれあい歴史館前でバス通りである国道13号を進むと間も無く舟場町だ。舟場町や渡利といった地名は、かつてこの辺りで舟運や渡し舟が盛んだったことに由来するという。地下歩道を潜ると阿武隈川に架かる鉄橋が見えてくる。細いほうは松齢橋、大きなほうは大仏橋と呼ばれている。弁天山へは大仏橋を渡ったほうが都合が良い。

(大仏橋)

大仏橋を渡り、広い国道を進む。かつて親類が渡利に住んでいたので、何となく土地勘はあるのだ。道がカーヴを描く辺りで最初に目指す弁天山が見えてきた。よく見ると北側に突き出した展望台があるのがわかる。道なりに進むと駐輪場のある弁天山の登山口に着く。以前訪れたときはここに自転車を置いたものだ。ちなみにJRバスは福島駅行きしか停まらないので、川俣高校行きで来ることはできない。雑木林の斜面に付けられた細い道をジグザグに登っていく。千貫森に行ったときよりも新緑が進んだようだ。大した苦労もなく、弁天山の山頂下までやって来た。山頂には神社と展望デッキがある。デッキへ上がろうとすると芝生養生中につき立入禁止の立札がある。除染作業で芝を削ったのだろう。なるべく芝を傷めないようにして、展望デッキへと上がる。ここは安達太良山の眺めが良い。デッキを下りた向かいにある神社は厳島神社であった。

(弁天山遠望)


(展望台を仰ぎ見る)


(弁天山登山口)


(展望デッキから安達太良山)

山頂下からは配水場の跡地が眼下に眺められる。そして遠くに見えるアンテナの建つ山が十万劫山だ。配水場跡地脇にある土留めの木段を下り、三角点のある展望台へと向かう。途中から舗装された道となり、トイレも見えてきた。山というよりはすっかり公園の趣きである。三角点のある所へは木段を上がっていく。除染作業が終わったせいか、以前よりも整備された印象を受ける。三角点(142.8)の埋設された周りは石畳となっていて、奥に先ほど国道から見たコンクリ製の展望台がある。なお地形図ではこの山を椿山と称している。おそらく安寿と厨子王が暮らしたのが椿山だったことに由来するのだろう。展望台に上がると渡利の街と信夫山がよく見える。んん、何か足がベタベタする。誰かビールでもこぼしたな。



(配水場跡を見下ろす)




(八重桜)


(除染作業は既に終了している)


(三角点のピーク 奥に展望台がある)


(展望台から信夫山)


(パノラマ)

弁天山あるいは椿山には三つのピークがあり、以前にもデッキのあるピークと展望台のあるピークは踏んでいる。次に目指すピークはまだ歩いたことのない所だ。広い遊歩道を進むと南側に展望が開けた所がある。ここも芝生を養生中であったが、柵の向こうには雪を被った安達太良山と阿武隈川の流れが見える。少し進めば、東屋の建つ最後のピークに着く。東屋の建つ所もちょっとした展望台となっていて、信夫山の眺めが良い。

(空間線量計が置かれている)


(八重桜が美しい)


(阿武隈川を望む)


(芝生の広場)


(東屋のピーク)


(ここも信夫山の眺めが良い)

三つ全てのピークを歩いたところで、いよいよ十万劫山への縦走に入る。東屋のピークの前にある長い木段を下り、一旦住宅街の上を行く車道に下りる。道なりに下ると車道が乗り越す峠になっていて、木製の道標が設けられている。どうやらこの辺りは大平山というらしい。道標に従い進むと大きな案内板がある。この大平山配水場から十万劫山への道はしのぶの細道と名付けられている。この道は古くからあり、十万劫山を越えて中村街道(現在の国道115号)に出る小径だったそうだ。配水場の上にある広場へ上がるための石段からスタートになるが、広場は立入禁止との看板がある。むむっ、広場を通らずに尾根道へ上がることができるのだろうか。

(急な木段を下る)


(しのぶの細道案内板)

一先ず傾斜の急な石段を上がってみる。樹木が植えられているせいか、意外にも見晴らしはよくない。石段を登りきると草地の広場が広がっている。看板に書かれていた通り、広場の扉は固く閉ざされている。但し広場のちょっと下には側道があるので、そこを通れば尾根に上がれそうだ。側道を抜けると整備された登山道に出る。道はややジグザグを描きながら尾根へと上がっていく。雑木林に覆われた遊歩道の雰囲気はどこか狭山丘陵の遊歩道を思い出させるところもある。尾根に乗った所で道標が現れる。少し尾根を戻るほうには的場石(まといし)があるという。少し寄り道していこう。分岐に入ると間も無く的場石が現れる。結構大きな岩だ。棒の嶺にある岩茸石位の大きさはあるだろう。説明板によると那須与一が信夫山から的にして射掛けた岩だという。昔は見晴らしが良かったのだろうか。よく見ると説明板の足元には小牛田山と書かれている。148の図根点のあるピークを指すのだろう。

(大平山配水場)


(的場石分岐)


(的場石)

往路を戻り、縦走再開。尾根が広がり、雑木林の中を快適な道が続く。下の案内板にもあったように松の木も多い。千貫森を歩いたときにも思ったことだが、奥武蔵や奥多摩周辺でこうしたハイキングコースに出会うことはなかなか無い。標高が低いと大抵は杉や檜が植えられてしまうからだ。低山でも雑木林が多いというのが阿武隈高地の良さだろう。前回よりも芽吹きの進んだ道は緩やかなアップダウンを繰り返す。緩く下って登り返す所で、五輪石への道標がある。この道標を見送ると傾斜がやや急になる。そして北側に視界が開けてくる。北側に低木や草地の斜面が広がり、尾根らしきものが向かいに見えていることからすると、経塚山(242.0)の手前のピークに差し掛かっているところなのだろう。向かいの尾根の上には十万劫山らしきアンテナの建つピークも見える。そして標高を上げるにつれて見晴らしが良くなる。振り返ると福島盆地と信夫山の眺めが良い。盆地を埋め尽くす市街地は渡利地区と福島市の中心市街地に当たる。信夫山の左奥にある白い崩壊地を晒しているのは半田山であろう。半田山から東へは山並みが徐々に標高を下げている。手前から奥に向かって延びる広い道路は国道114号で、渡利大橋が阿武隈川に架かっている。その阿武隈川は手前に延びている山にぶつかって、北へと流れを変える。方向を変えて最初に見える橋が三本木橋だ。道は緩くカーヴを描いているので、少しずつ眺めが変わっていく。ゆっくりと歩きたい所ではあるが、酷く風が強い。

(雑木林の尾根)


(北側の視界が開ける)


(福島市中心街を見下ろす)


(信夫山と福島盆地)




(パノラマ)

再び雑木林の中へ入ると東屋の建つ小ピーク前に出る。休憩小屋の看板があるが、これは必要無いんじゃないかな。休憩を取らずに進むと道は次のピークを巻いてしまう。うーん、この巻いているピークは経塚山なんじゃないだろうか?藪が薄そうで、かつ傾斜の緩そうな所を選んで進むと、三角点が埋設された経塚山(242.0)の頂上に至る。奥武蔵や奥多摩辺りならどこかに薄く踏み跡があるものだが、この辺りの山は藪濃くなってしまうらしい。縦走路に戻ると藪は全く無く、広い道が続く。経塚山の藪を考えると相当手入れに労力を掛けているのだろう。それにしても良い道が続く。十万劫山に登るために携帯で情報を集めていたのだが、あるブログの一節に興味を惹かれた。
「市街地の近くにこれ程展望がよいハイキングルートがあるとは羨ましい」
ボクもそう思う。それに展望だけでなく、雑木林に覆われた山の雰囲気も気持ち良いのだ。県庁所在地で新幹線の停まる駅から歩くことができるハイキングコースと考えれば、これほど条件の良い所はない。

(休憩小屋)


(経塚山)




(気持ちの良い尾根道)

大蔵寺の道標を見送ったところで、今日初めて山中で人に会う。初老の御夫婦だ。どうもあまり若い人には会わない。フラットだった道も車道が乗り越す峠を前に下り坂になる。峠の手前は民家の敷地だ。住人の御婆さんが花壇の手入れをしていたので、声を掛けて通り過ぎる。峠に下り立つと十万劫山への道がわからない。すると上から御婆さんが「じゅうまんごうかい?」と声を掛けてくる。振り返ると「そこのクルマの置いてある直ぐ脇に道があるよ」と教えてくれた。お礼を言って先へ進もうとする。すると絵馬平のほうからおばさんがやって来る。道を教えてくれた御婆さんに声を掛けるが、どうも耳が遠いらしい。でもボクの挨拶やお礼にはちゃんと応えていたような。もしかしたら耳の悪いふりをしているのかも。

峠から登り返すとこちらも雑木林の小道が続く。ただこれまでに比べるとやや雑然とした雰囲気がある。尾根が広くなると道の中心が少し抉れて歩きにくくなる。オフロードバイクで通った跡らしいというのだが…。道が広くなってせいか、先ほどまでの道に比べると落ち着いた感じは減じたように感じる。やがて左から人工的に掘り割った道が合流してくる。というよりはこちらが歩いている道が合流したと言うべきか。この堀割った道はディジタル地形図だと白実線で描かれている。紙の地形図だと登山道を示す破線だ。クルマが時々通るのか、轍の跡も薄っすらと付いている。林道と言ってもいいだろう。固く歩きにくくなった道を行くと程なくして花見山分岐に着く。これは三角点ピークより前の実線ルートだろう。三角点ピークが近づくと道は細く、傾斜も増してくる。右、左とカーヴしたところで鉄塔管理道に差し掛かる。紙の地形図を見ると送電線脇に三角点があるようだ。傾斜のきつい管理道を上がる。道は送電鉄塔下で途切れてしまった。付近に三角点があるはずだが、かなり藪が濃い。探索は諦めることにした。

(中央が抉れた道)


(掘割の道)

林道に戻り、三角点ピークを巻くと再び花見山分岐だ。花見山への道は小道で、今歩いている道より雰囲気が良さそうだ。延々と続く、広い林道のような道を行く。フラットなことについては評価できる。畑ノ小屋・萩平分岐に着くと、道は少し細くなる。畑ノ小屋へは手入れがされていないのか、酷い藪道だ。少し下ってみると尖った千貫森が見える。千貫森の背後にあるのは木幡山と口太山だろうか。すると右奥に見える大きな山は移ヶ岳ということになりそうではあるのだが…。

(畑ノ小屋・萩平分岐)


(千貫森などの眺め)

分岐を過ぎると西側の斜面に広い草地が広がる。福島の市街地から見える十万劫山付近の草地がこの辺りなのだろう。背丈の低い草原であれば眺めも良いのだろう。しかし生えているのは笹で、しかも密藪である。普段ならそれでも爽快な道だと感じるのだろうけれども、今日は冷たい風が吹き付けてやけに寒い。疎らに生える松林と笹薮の間に切り開かれた道は徐々に高度を上げていく。時折吾妻山から福島盆地までを見渡せるビュースポットもあるが、どうしても密藪越しで枝が掛かってしまう。一ヶ所東側が開けている所もあり、平らな天井山が大きい。近くにある尖った山は一貫森だろう。

(笹薮と松林の道)


(安達太良山)




(福島盆地)


(天井山と一貫森)


(パノラマ)

見晴らしは良くても、こう寒いとのんびりとはしていられない。なかなか山頂が近づかず、苛々も募る。すると笹薮の向こうにアンテナが建っているのが見えてきた。道がちょうど大きくカーヴする辺りにいるらしい。ここを登り切るとアンテナ施設の建つ十万劫山の頂上に到着だ。広い山頂で祠や説明板などが置かれている。説明板によると十万劫という名は、奈良時代の僧行基が多賀城への旅の途中、十万劫山の老松の下で一夜を過ごし、翌朝晴れ渡った空の下吾妻・安達太良・蔵王・那須・霊山などの見て、この地を聖地とし、永劫に仏の慈悲が恵まれるようにと地蔵尊を老松に安置したのが由来だという。現在は松のほか、背の高い笹薮は潅木に覆われていて、あまり山頂からの眺めは良くない。福島の象徴とも言える安達太良山・吾妻山方面は開けているが、他は枝越しに眺めが得られる程度だ。ただ広く落ち着いた山頂の雰囲気は良い。ザックを下ろし、デコポンを食べる。何故か味がしない。それに咽喉がやけにいがらっぽい。冷たい風に晒され続けたので、体調を崩したようだ。

(アンテナが見えてきた)


(山頂付近から安達太良山)




(山頂から安達太良山)


(吾妻山)


(女神山と一貫森)


(山頂の様子)

デコポンを食べ終わると早々に下山することにした。これまで歩いてきた道と異なり、如何にも管理道といった感じである。電線の張られた道を下ると道が分かれる。左には電波塔があり、右は麓へ下る砂利道だ。電波塔近くに描かれている破線路はどちらも廃道となっているようだ。砂利道を下るとまたも分岐。そばには天徳寺なる寺があり、奥は墓地になっているらしい。こんな所に墓地があっても、お参りに来るのが大変なんじゃないだろうか。北へ下る砂利道はクルマが通るせいか、固く歩きにくい。しかも所々深く抉れた所がある。クルマでも嵌ってしまうのでは?傾斜の急な道をどんどんと下ると軽自動車が停まっていた。北にある小ピークに登っているらしい。そばには東へ下る道があるが、ここも酷い藪に覆われている。整備された登山道以外はどうも藪が酷い。

(天徳寺前からの下り)

小道を見送ると舗装された道に出る。民家が点在する大沢山集落だ。民家の敷地に植えられた花桃の花が眩しい。水田や畑の中には連翹や菜の花の黄色い花が揺れている。この辺りはまだ気温が低いのだろう。クネクネと曲がる車道を下っていくと鍛冶ヶ原と呼ばれる集落の中に大きな桜の木が立っている。茶屋の桜と呼ばれ、福島市の天然記念物に指定されている。茶屋の名は相馬市から福島市へと通っていた「塩の道」沿いに建っていた茶屋に由来する。塩の道は川俣町の秋山から天井山の北にある塩の平、十万劫山北の板山、そしてこの鍛冶ヶ原を通って福島に至ったという。

(大沢山集落)


(茶屋の桜)

国道115号から延びてくる道と合流すると途端に交通量が多くなる。渡利地区への抜け道となっているのだろう。菜の花咲く車道を下っていくと茶屋沼が見えてきた。桜で有名だが、既に花は終わっていた。沼の向こうには安達太良山が見える。桜をバックに雪化粧した安達太良山を撮った写真はよく見かける。沼の下にある親水公園を抜け、更に車道を下ると花見山の入口に着く。ここまで遠かった。地形図に株作と書かれている辺りにバスの駐車場が設けられ、交通規制期間中はバス乗り場となっている。バスに乗ってしまってもいいのだが、折角なので花見山に寄って行こう。

(茶屋沼近くのバス停 かつてはここまでバス路線があったらしい)


(茶屋沼)


(安達太良山をバックに)

バス停の近くには仮設の店舗やトイレが設けられ、花見山に向かう車道脇にも売店などが点在する。畑に植えられたボケの花は終わっていたが、菜の花はまだ黄色い花を付けていた。二度車道を横切ると花見山は近い。この辺りは最盛期多くの花が咲くが、桜も連翹も既に終わっていた。花見山の入口にはサザエさんの花畑が出迎えてくれる。震災の年には無かったような気がする。阿部さん宅の敷地である花見山公園は無料開放され、春以外にも見学することができるという。それでも観光客が訪れるのは殆どが春の一時期に限られているようだ。紅葉した椛に驚きつつ、上の展望台を目指して登っていく。枝垂桜や花桃などはまだ咲き残っている状態だ。最盛期ほどではないが、結構観光客は多い。まあ、先週辺りは行列で動けないほどだったそうだが。

(サザエさん)




(紅葉)


(桜と信夫山)


(展望台を目指して)


(盆地を見下ろす)

東屋の建つ展望台は花見山の最高点。ボランティアガイドの人たちがいて、観光客を案内している。展望台からは吾妻山と福島市中心街・信夫山の眺めが良い。十万劫山への道も確りと付けられていた。八重桜や雪柳の花などを眺めつつ、花見山を下り、バス停へと戻ってきた。バスが来るには時間があるので、川沿いに下って渡利大橋を渡ることにした。狭い車道を抜けて国道114号に出ると、コンクリート製の渡利大橋が見えてくる。橋からは阿武隈川の流れをバックに安達太良山・吾妻山の雄大な眺めが得られる。

(展望台の東屋)


(展望台から福島盆地)


(吾妻山)




(展望台からパノラマ)


(雪柳)


(再び盆地を見下ろす)


(阿部さん宅のチューリップ)


(花見山入口付近の菜の花)


(渡利大橋から)

橋を渡りきると国道は更に北へ延びるが、川沿いを西に行ったほうが駅には近い。土手の上をのんびりと歩く。吾妻山はビルに隠れてしまうが、相変わらず安達太良山の眺めは良い。川向こうには丘のようにこんもりと弁天山が姿を見せる。弁天山から左に目をやれば、十万劫山へと続く尾根が見渡せる。遠くから見た十万劫山は色が無く、まだ冬枯れの雰囲気である。これが濃い緑に色付くとまた美しいのだろう。舟場町へと戻ってくれば、もう福島駅は近い。バスには乗らず、駅へと歩いていった。

(土手から箕輪山)


(安達太良山)


(弁天山)


(安達太良山全景)


(十万劫山)




(土手からのパノラマ)

DATA:
福島駅東口(25分)舟場町9:14~9:34弁天山(厳島神社)~10:07大平山配水場~10:38経塚山~10:55絵馬平分岐~
11:09花見山分岐(手前)~11:23花見山分岐(後)~11:30畑ノ小屋・萩平分岐~11:55十万劫山12:09~12:49茶屋の桜
~12:58茶屋沼~13:22花見山入口~13:46花見山展望台~14:11花見山入口~14:46舟場町(25分)福島駅東口

トイレ 弁天山公園内 花見山入口など

地形図 福島南部 月舘

歩数:36,283歩

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