徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

私・井手純~手術⑨~

2020-02-07 05:00:00 | 日記
私の担当の先生の事も色々そのご夫妻に教えて頂いたが、循環器専門医としてはかなり有名な先生だそうであった。
”私もあなたもいい先生に診てもらうことができてラッキーでしたねぇ”と言われた。
その時昔、父が言っていた話を思い出した。
”白衣を着て医者の格好をしていても、初めてメスを人の身体に入れる先生に当たる事もある。仕方のないこととは言え、運もあるんだ。
”医者としてはベテランになるまでは最初もある訳で本当にこう言った事は運なのかもしれない。
とにかく現在は本当に良くなり楽に歩けるようになった。
それでも元に戻っただけの事。
本当に健康には日々気をつけねばと今更ながら思い知った。
若さに任せて健康に変な自信があるとこんな事になると痛感した。
主治医の先生は初めて診てもらった時は何か冷たい感じの人であったが、3度目の手術が終わり12月25日術後の検査が終わったあとの問診の時、体調が良くなった事を伝えお礼を言うと、突然私の手を握りしめて今まで見なかった笑顔で”本当に良かったですね!”と言ってくれた。

その時の笑顔が今も忘れられない。
本当にありがとうございました。
年の瀬も押し詰まったとき、私は買い物に出かけた。
灯油18リットルと食材、飲み物等々5キロほど持ち現在の自宅に戻った。
自宅はマンションの9階。
エレベーターホールまでたどり着くと、なんとエレベーター点検中のふだが貼ってありエレベーターは止まっていた。
少しの間待つも動く気配がない。
仕方なく灯油と食材を持って意を決して(すこし大袈裟であるが)階段にて上がり始めた。
途中で何度か休み休みではあったが、何とか230段上がり切った。
息も上がり膝もがくがくだったが辿り着いた。
部屋についたとき何かとても良い気分だった。
数か月前は20歩も歩けなかったのだから・・・・・感謝、感謝。

私・井手純~手術⑧~

2020-02-05 05:00:00 | 日記
三度目の手術
11月25日病院に行った。
どうか三度目の正直であってくれと思いながら、またその日の午後から手術は始まった。
例のごとくブルーシートがかけられいつも道理の手順でスタート。
突然顔の上のブルーシートに血しぶきが飛び散った。
3センチぐらいの血が10位目の前にあった。
焦った。
身体が固くなった。
ところが先生は淡々と見学の先生に話しながら手を進めていた。
そのせいかなんか少し身体の力が抜けるのが分かった。
その後は特に変化はなく無事終わった。
今回の手術の後若い先生が動脈に入れた管を抜きにきたので”先生抜いた管みせてくれませんか?”と頼み見せてもらった。
約20センチほどの棒状の細い管だった。
この時はまだ麻酔がきいていたので痛みは無く何となく自分も余裕があった。
術後の止血にはいつもどうり時間がかかったが、その時も特に痛みもなくベットのまま部屋に運ばれた。
部屋についてからは暫く安静にしていたが、ホットした。
この数ヶ月の間に3回も手術をしたことは自分にとってはかなり衝撃であった。
3度目の手術が終わってから一ヵ月後、術後の検査で病院に行った。
やはり丸半日かかった。
その待ち時間中に話しかけた老夫婦と先生が同じだった事もあり2時間程色々な話をした。
ご主人が私と同じ動脈硬化で尚且つ透析を20年つずけているそうで一日おきに約4時間つずけているとのこと。
聞けば聞くほど大変な苦労をされていたのである。

私・井手純~手術⑦~

2020-02-03 05:00:00 | 日記
二度目の手術
退院から2週間後の8月9日、入院しその日の午後から手術が始まった。
前回の痛さや恐怖が冷めやらず気が重かった。
今回は右足の動脈にステント(金属の筒)を入れる手術であった。
ステントは一度入れたら生涯取り出せないそうである。
その代わり血流が良くなるとの事だった。
午後1時すぎには手術室にいた。
前回と同じく顔の上にステンレスのアーチがかけられブルーシートが視界を遮った。
局部麻酔が打たれ先生の指示とガチャガチャと器具の音が聞こえていた。
今回はあまり痛みを感じない。
”慣れたのかな”なんて勝手に考えているうちに手術は終わった。
あっという間だった。
前回の様に、また長い時間動けないのかなとも思った。
しかし、思ったほど厳しくなく何か気が抜けてしまうほどであった。
止血も短時間ですみありがたかった。
と言うのも、今回の手術は左の動脈から右足の動脈に繋げる途中の丁度へそ右下10㎝ぐらいの所にステントを入れるものだった。
翌日には午前中に退院の許可が出て自宅に戻れた。
その際術後に痛みもなく、ま、傷口を触れば多少の痛みはあるもののとにかくホットした。
しかしもう一度今度は最初に手術した左足にステントを入れる事になった。
約2ヶ月後に手術日が決まった。
その間確かに普通に歩けるようになったのだが、自宅で椅子に座っていると左足の足首から先が何とも言えないチクチク痛んだ。
二度目の手術の後、術後検診に1ヶ月経ってから先生から説明を受けた。

それによると、血流は治ったがまだ血管内に血栓の塊が動脈の淵に張り付いているのでまたステントを入れるということだった。
さすがに、”またか”と思ったが足首の先、つま先や踵のチクチク感は本当に嫌な痛みだったので我慢して手術を受けることを決
めた。
先生の説明によると、このままにしておくと張り付いている血栓が、今は細かいものがポロポロ落ちているがその内に大きな血栓が落ちたときにまた動脈が塞がれてしまうとの事だった。

私・井手純~手術⑥~

2020-01-31 05:00:00 | 日記
先生は手際よく傷口を触り始めた。
しかし、これからが地獄だった。
何しろ6時間以上も時間が経っていたので、当然のこと麻酔は完全に切れており麻酔無しでの管抜きとなったのである。
時間的にはほんの10分ぐらいだったのだが、管が抜かれるまでは恐ろしい痛さだった。
しかし管が抜かれると噓のように痛みは無くなった。
チラッとしか見れなかったが管は太さ2~3ミリで長さは約20センチぐらいであった。
その後傷口を先生は親指で約20分体重をかけて抑えつずけた。
これもかなりの苦痛を感じた。
日をまたいでやっと終わった。
その頃は痛みは噓のようになくなった。
体が動かせる様になったのが本当にありがたかった。
何よりもトイレに行けるようになったのが助かった。
翌日リハビリをしたが、痛みは無く普通に歩けるようになった。
明日退院できることになった。
約2週間後に今度は右足の手術をする事となり日程も決まり退院した。

私・井手純~手術⑤~

2020-01-29 05:00:00 | 日記
身体にメスをいれられたことの無い自分としては未知の異様な感覚だった。
動脈硬化で細くなった血管を広げているのだろうと想像した。
時間的にはよく分からなかったが長く感じた。
20分ぐらいだったと思う。
先生の動きが止まり、手術は終わった。
ブルーシートとステンレスのアーチが取り払われ、いつの間にか運ばれて来た私のベッドに数人がかりで移動された。
その後隣りの部屋に移された。
そこで別の先生が約20分、管を差し込んだ所を親指でかなりの力で押さえ続けられた。
先生に聞くとかなり前から血液がサラサラになる薬を飲んでいた為に血が止まるまで抑えなければならないと言う事だった。
この時は先生の体重をかけて親指で押さえつけていたのでかなり痛かった。
その後血が止まったのを確認され、ベッドに寝たまま自分の病室に運ばれた。
病室に着くと先生からこれからの説明があった。
”まず6時間手術した左足は絶対に動かさない事。
そして6時間後に今差し込んである管を抜きに来ます。”と言われた。
時計を見ると夕方の5時だった。
この6時間は寝返りはおろか身動きの出来ない長くキツイ時間だった。
何度も時計を見た。
あと4時間、あと2時間、あと1時間と・・・・

6時間たち夜の11時になった。
なかなか先生は来なかった。
腰が重く本当にきつかった。
11時半頃看護師さんが心配して来てくれた。
”先生はもうすぐ来ますよ。”
そう言ってくれた。
10分後に”遅くなって申し訳ありません。
これから管を抜きますから。
”これで楽になると思いなんとなくホットした。