駄菓子を検索してみると始まりは大阪
当時は安価な黒砂糖を使用して
作られた菓子を雑菓子と言って販売とのこと
その後は雑菓子から駄菓子(一文菓子)と名がなったようです
今はだいぶ少なくなったものの駄菓子や駄菓子屋さんを見かけます
幼い頃は近所に何ヶ所かありました
100円もんじゃが出来る鉄板が置いてある駄菓子屋さん
おでんを売りながらの駄菓子屋さんがありました
お小遣いを貯めて
5円〜100円を握りしめて通ったものです
お菓子以外にも玩具(おもちゃ)もありました
あっ 大阪で始まった駄菓子というのであれば
大阪で聞く「飴ちゃんいるぅ・あげるわぁ」は
繋がっているのかな?違うかな?
さて
コロナ禍が下火になり来訪者が戻ってきて賑わっています
体験や食事などが流行りのようですね
前のように爆買いではなく1点もの(高額品)を購入とも聞きます
また団体から個人(家族連れ)と街中を歩いても感じます
反対に日本で暮らしている身としては
働けど働けど物価高が止まらずです
ときにイベントや記念日などには奮発することもなくはないですが
暮らしは厳しくなる一方に感じます
加えて自然災害もあるので
私は安易に安心安全とは言えないし思えません
ことわざで
映画の台詞でも使われていたように
今もなお
井の中の蛙(いのなかのかわず)なのでしょうか?
社会に関わる齢から何故かハテナと
今もぼんやりが続いています
人手不足・人口減といわれても
都心には商業施設・オフィスビル・ホテル・マンションと
高い建物がポコポコと建ちます
また都心から少し離れた田畑や山には太陽光パネルが目につくようになりました
あとSDGs・多様性の時代といわれますが
治安も文化という
その土地ならではの風習などが続いています
人の心と文化は
その時その時に育んで経済は発展したのでしょうか?
時の流れに身をまかせるか・まかせないか
人それぞれ
今は
できること
楽しめること
なりよりも笑顔でいること
この3つを意識して暮らしたいと思います
そこで先日 麻布台ヒルズ・麻布台ヒルズ森JPタワーに行ってみました
日比谷線の神谷町駅で下車
まだ未完成な所もありましたが
そびえ立つタワーの周りは
美術品のように建てられていました
坂の途中 左手奥に東京タワー
坂を終えて
右手にまだ建築中の建物があり
左にぐるっと道なりに中へ
右手 建築中の外壁はスタイリッシュ
建設後は取り壊しになるのでしょうか?
そうこうしている間に目の前に
玉ねぎのようなホイップクリームのような椅子
コルク感のあるタイル
建物の間を通り
麻布台ヒルズ森JPタワーへはと階段を下りました
ここでも東京タワーが見えます
中央広場に出てタワーの中へ
色々なショップがありました
あの店この店 老舗のお店
壁や天井も見ながら
こちらへも行ってみました
(今だけ?)
耳が・・・でしたが無事に到着
33階は広々としたフロアでした
窓に近づいて📷パチリ
はじめの📷パチリは1枚目の画像(👆)です
左右も📷パチリ
区切りのある大きい硝子窓
見晴らしは素晴らしい
フロアの右手を見ると奥には行けないようにロープがありました
ではと
左手を向くと東京タワー
近づいて
こちらでも📷パチリ(👆)
人集りが途切れることなくですが
順番に📷パチリ
更に左を向くと34階へと行ける座り階段がありました
案内板とおりに階段を上がると
そこはオープンカウンターになっているcafe&Barほかとなっていました
34階は少しですが東京タワーが角度を変えて見えました
座り階段もcafe&Barも賑わっていました
当たり前ですが34階もエレベーターはあります
下りるときはまた座り階段の下りの方から33階へ
そしてエレベーターで1階と無事に地上に着きました
雲がひとつもない日や夜はまた違う景色なんでしょうねっ
そういえば
日比谷線の神谷町駅から隣の虎ノ門ヒルズ駅には虎ノ門ヒルズ
乗車している時にふと思いました
「ここはまだ行っていない」と
東京にいてもなかなか行かないものです🤭
最近では豊洲ですね
落ち着いた頃に行ってみようかな
お店が変わらないといいのですが
この日は古き良きを上手く継承出来れば良いと思う日でもありました
日本は駄菓子のようにワクワクするモノ・コトが
いっぱいあちこちにあります
日本にいながらまだまだ知らない場所
これからどれくらい行けるかな?