鎮魂行の行法の備忘録として
「神道の神秘 古神道の思想と行法」より
p185 7行
「一念」から入る
鎮魂も本当に深い状態に入れば、まさしく「無念無想」と言われるような境域に達するのだが、ほとんどの人は気にそんな「無念無想」を求めてもできるものではない。
だから、有能な指導者は「まず心を一念に統一しなさい」と教える。そのためには、ふさわしい言葉を反復して唱えるのかやりやすい。仏教では真言・陀羅尼とい短い呪文のような句を唱えさせるのだが、古神道では「天の数歌」といって
「一ひ、二ふ、三み、四よ、五い、六む、七な、八や、九こと、十たり、百もも、千ち、万よろず」と唱えたり、
「五大母音」といって
「ア、オ、ウ、エ、イ」
を長く唱えたりする。もちろんこれは平安時代以後のことである。
また、時計の音や雨だれのような単純反復音を用いて統一を図ることもある。装置かなくとも、自分で周囲の雑音のから単純反復音を拾い出して、それに集中することもできる。
さらには、「一念」に集中することで統一ができるようになる。この一念とは、日常生活とは無関係な清浄な想念を、一心に心に思うことである。たとえば、「神様、ありがとうございます」という感謝の一念でもよい。
このように、さまざまなやり方を用いて、心が統一されていくと、やがてふっと、一秒間であれ二秒間であれ、「無念無想」の境地が開ける。
それは何も思わない、感じないということではない。清明でどこまでも透明でしかも無限の叡智に充ちた境域である。どんなに短い瞬間であっても、永遠に破滅しない清明界に触れることができるのである。しかも、その一秒~二秒に宇宙のすべてがあるように感じられるものである。
「無念無想」の境地を体験できる山蔭神道鎮魂法のやり方は?
鎮魂法は「その11」からはじまる
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