前回、「類は友を呼ぶ法則」でマイナス波長で集まり、霊界学校を中退してしまった後、低いレベルの世界に停滞している霊や、霊界学校のある初歩の学びの場である薄明の世界に停滞してしまった霊は、このまま永遠にそこに留まり続けるしかないのだろうか
そもそも、当人たちの「停滞している」という、自覚が無いのが問題になっている
だからまずは、この自覚を促す必要がある
もし救助法があるなら、誰が、どのようにすれば助かるのだろうか
それには、生前どのようなことに気を付けているべきなのだろうか
「神道の生き方」は絶版、現時点で古本は存在するようだが、やはり数は少ないのでいつ入手困難になるかわからない
故山蔭基央氏は戦後の日本を憂慮しておられた
僭越ながら一助となるべく
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の生き方」学研パブリッシング社
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
p298 2行
こうした霊は、みずからが低き世界にいるという自覚にとぼしく、さらなる高き明るい世界があることも気づかず、ただひたすら何もせずに無為に過ごすばかりである。このように、何もすることがないというのも「地獄」といえよう。
逆に、こうした地獄世界ではない学びの場では、現世のような雨や嵐はない。
初歩の学びの場は「薄明の世界」と呼ばれ、夜明け前のような明るさが続く世界である。
そこは非常に静かな世界であり、瞑想や坐禅がしやすい世界ともいえよう。したがって、指導霊から教わった、さまざまな事柄が心に染みわたりやすい世界でもある。それがため、現世の時間で二〇〇年も三〇〇年もの長きにわたって坐禅を組み続ける人もいる。
ここで大切なのが、子孫の行う、心からの供養である。
子孫みずからが供養膳を供えて祈りを捧げたり、ときに祖先の浄霊浄化のための年忌祭や祖霊祭を行うなど、心からの供養をほどこすことによって、時の流れを忘れて坐禅に浸る祖先や、周囲のマイナス思考をもつ仲間と惰性に流されて低き世界にとどまっている祖先に対して、気づきや活かつを与え、目を次の高き世界に向けさせ、新たな向上心をもたせることが可能となるからである。