「里見水軍~仁~」の 仁は、
「仁者必ず勇あり」を凝縮しまくった文字です。
これは、里見義堯が、敵方後北条氏から称えられた言葉。
「敵ながら、アッパレ」って事ですねくだけ過ぎたけど。
これは儒教の言葉で
・・・とか、説明は省きます。
そんな武将、里見義堯とは言え、敵は強大!!
そんな強大な敵と戦い続けられたのは・・・・
水軍のパワーがハンパNE~ちゅう事 らしいです。
あちこちの資料を見て書いてますが、
その分、か~なりフワフワになった頭で
ノー天気な文章でいきます。いつもですが・・・
ノー天気過ぎるので、言葉や説明がかなり足りないですが、
そんなん付け加えていったら 面倒臭い事になるので、
ここは薄目で見る位の気持で。
しっかり知りたい方は、沢山の文献書籍をどうぞ。
水軍とは、要は海賊衆の連合。
海賊ってば荒い言葉ですね。
自分達の事は「水軍」とか「船手」と呼び、敵方からは「房州海賊」と呼ばれたと・・・やっぱり荒々しく そして、ちょっと卑下した言葉なのかな?と感じました。
だって、敵方からしたら、やってる事酷いから!
おっっかないですね・・・海賊。
「商船さんよ、ここを通るなら守ってやるからその保証金払いナYO」
な事は基本で、
三浦半島まで行って、
火をつけて、男女関わらず生け捕って、物を盗んで帰ってく・・・
OH~ これぞ海賊ですね
しょうがないから、年貢の半分を里見に納めて安全保障してもらって、
奪われた人を買い戻したとか ・・・とっても生生しいです。
とは言え、里見の軍記には反対に「北条海賊が押し寄せて狼藉を働く!!」と、困った安房の人々が久留里城に注進したら怒った義堯が迎え撃った とか。
其々の言い分とか偏見なんかもきっと絡んだ軍記や文献なんかをなぞって照らし合わせて真実を見っけていくの
研究に長年費やして 凄い努力でしょうけど
史実が変わる瞬間とか ゾクゾクする学者、沢山居るんだろうな~ と思う。(知らないけど)
きっと、ものすごい快感だと思う。知らないけど。
「二つの説がある」って 大抵真逆で面白いですよね。
すべてはっきり100%より、ちょっと~定かではないけど~ はっきりしなくて~
な方が、ロマンがある 気が する。
里見氏関連の話でもありまして、
金谷にあった「造海城」は、「百首城」とも呼ばれてて、
この話が面白いんです。
この城を攻めてるとき
「里見親子は文武両道に優れてるってんなら、和歌を作ってみて!それが優れてれば城を明け渡すよ!!」言われ、里見親子はすぐ百首作って、その素晴らしさに場内のものは感服した。
から百首城と呼ばれるようになった 説と
この城を攻め落とした時、
百の首を打ち落として 見せしめに晒した。
から百首城と・・・・
って、ホント真逆じゃんとツッコミたくなるような 二つの説があって
さあ・・・・どっち!?って聴く人も居ない・・・・面白いですね
里見義堯の父、実堯が本家当主の従兄義豊に殺害され、その「仇討ち」から内紛始まるけど、
義堯と実堯が仇敵北条と組んだ動きに義豊が気づいて抵抗しようとした のが真実とか。
結局、義堯が家督ゲットしたら すぐ北条裏切って とか・・・
THE,下克上です。
下克上を遂行するため、後々の人々も混乱させるんです。
すんごい昔の事なのに・・・すごいなあ。
とにかく話を戻しまして・・・・、
こんなおっかない海賊衆だけど、
これをまとめあげてた武将がスゲーYO!!と さらにビビるのです。
私は「三国志」が好きなんですが、
「どこ派~!?」言われたら「呉派~」です
やっぱり「海賊(水賊かな)まとめあげた孫家ってば・・・」と、ドキドキする私が
むか~しからいるのです~。
魏・蜀には無い 独特の・・・・・まあいいや。
う~ん、話が結局、長くなりました。
演舞「里見水軍~仁~」は、
そんな海賊の荒々しさを表現している訳ではありませんあしからずです。
あくまで核は 勇将・里見義堯。
「仁者~」と言われる程の 人柄・・仁徳・仁愛者。そして勇敢さ。
戦いぶりから知略も見える。そして、
戦国武将としてはあまり例をみない「礼」を重んじた武将だったそうです。
戦功あった者にはいくつもの段階に分かれた礼式を。家臣たちは喜び、目指し、それによって士気もあがる。
演舞のラストの唄には
「千年万年~」とありますが、
里見義堯は 「万年君様」と民に慕われていたそうです。
「千年も、万年も、この義堯様の世が続きますように」と民が願っていた。
江戸時代の初期には 江戸庶民から「有徳の人」と
慕われていたって~~~~~~~~~
うおお~~~~~~~~~
どんだけ凄いんだこの人~~~~~~~~~
今更ながら、なんだか 心震えますよ
「千年万年 心の内に抱き 生きとし生き行く 里見の証」
誇れる人が居た事実。
4分ちょいを踊り終わった時、毎回死にそうな位息が・・・酸素が・・・汗が・・・
ですが、
4分ちょいで、ぎゅぎゅぎゅっと色んな想いを凝縮するわけだから うん。大変だ。
表現するのに なんだかプレッシャーを感じてしまった今ですが
別に、ここに上げたのは「里見氏 里見水軍」を調べた事をフワフワ~と書きなぐっただけでありまして、
ここに上げた総てを演舞で表現する訳ではないので、
こそん所は本当に、切実に、違うので誤解しないで下さいね(チームの皆に迷惑がかかってしまうので)
チームの演舞として
見てくれる人が 楽しんでくれる事を第一に。
見てくれる人が 楽しんでくれたら いいな!!!!
・・・・
長年の研究を積み、調べ綴った学者様達に 敬意を払います。こんなゆるい文章で真摯が一ミリも見えないかも知れませんが。
私に出来ることは、
勇将を思って 先人たちを思って 踊って大いに歌う事です。
あと、天下の放送局で大河ドラマ実現したら
この地域が 大いに沸き立つでしょうねぇ。
里見氏が使用した印判に、鳳凰が記してあるんですが、その意味も 凄いんですよ!!フルフル・・・
やる気があったら 今度また・・・・
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
はあ~~~
「仁者必ず勇あり」を凝縮しまくった文字です。
これは、里見義堯が、敵方後北条氏から称えられた言葉。
「敵ながら、アッパレ」って事ですねくだけ過ぎたけど。
これは儒教の言葉で
・・・とか、説明は省きます。
そんな武将、里見義堯とは言え、敵は強大!!
そんな強大な敵と戦い続けられたのは・・・・
水軍のパワーがハンパNE~ちゅう事 らしいです。
あちこちの資料を見て書いてますが、
その分、か~なりフワフワになった頭で
ノー天気な文章でいきます。いつもですが・・・
ノー天気過ぎるので、言葉や説明がかなり足りないですが、
そんなん付け加えていったら 面倒臭い事になるので、
ここは薄目で見る位の気持で。
しっかり知りたい方は、沢山の文献書籍をどうぞ。
水軍とは、要は海賊衆の連合。
海賊ってば荒い言葉ですね。
自分達の事は「水軍」とか「船手」と呼び、敵方からは「房州海賊」と呼ばれたと・・・やっぱり荒々しく そして、ちょっと卑下した言葉なのかな?と感じました。
だって、敵方からしたら、やってる事酷いから!
おっっかないですね・・・海賊。
「商船さんよ、ここを通るなら守ってやるからその保証金払いナYO」
な事は基本で、
三浦半島まで行って、
火をつけて、男女関わらず生け捕って、物を盗んで帰ってく・・・
OH~ これぞ海賊ですね
しょうがないから、年貢の半分を里見に納めて安全保障してもらって、
奪われた人を買い戻したとか ・・・とっても生生しいです。
とは言え、里見の軍記には反対に「北条海賊が押し寄せて狼藉を働く!!」と、困った安房の人々が久留里城に注進したら怒った義堯が迎え撃った とか。
其々の言い分とか偏見なんかもきっと絡んだ軍記や文献なんかをなぞって照らし合わせて真実を見っけていくの
研究に長年費やして 凄い努力でしょうけど
史実が変わる瞬間とか ゾクゾクする学者、沢山居るんだろうな~ と思う。(知らないけど)
きっと、ものすごい快感だと思う。知らないけど。
「二つの説がある」って 大抵真逆で面白いですよね。
すべてはっきり100%より、ちょっと~定かではないけど~ はっきりしなくて~
な方が、ロマンがある 気が する。
里見氏関連の話でもありまして、
金谷にあった「造海城」は、「百首城」とも呼ばれてて、
この話が面白いんです。
この城を攻めてるとき
「里見親子は文武両道に優れてるってんなら、和歌を作ってみて!それが優れてれば城を明け渡すよ!!」言われ、里見親子はすぐ百首作って、その素晴らしさに場内のものは感服した。
から百首城と呼ばれるようになった 説と
この城を攻め落とした時、
百の首を打ち落として 見せしめに晒した。
から百首城と・・・・
って、ホント真逆じゃんとツッコミたくなるような 二つの説があって
さあ・・・・どっち!?って聴く人も居ない・・・・面白いですね
里見義堯の父、実堯が本家当主の従兄義豊に殺害され、その「仇討ち」から内紛始まるけど、
義堯と実堯が仇敵北条と組んだ動きに義豊が気づいて抵抗しようとした のが真実とか。
結局、義堯が家督ゲットしたら すぐ北条裏切って とか・・・
THE,下克上です。
下克上を遂行するため、後々の人々も混乱させるんです。
すんごい昔の事なのに・・・すごいなあ。
とにかく話を戻しまして・・・・、
こんなおっかない海賊衆だけど、
これをまとめあげてた武将がスゲーYO!!と さらにビビるのです。
私は「三国志」が好きなんですが、
「どこ派~!?」言われたら「呉派~」です
やっぱり「海賊(水賊かな)まとめあげた孫家ってば・・・」と、ドキドキする私が
むか~しからいるのです~。
魏・蜀には無い 独特の・・・・・まあいいや。
う~ん、話が結局、長くなりました。
演舞「里見水軍~仁~」は、
そんな海賊の荒々しさを表現している訳ではありませんあしからずです。
あくまで核は 勇将・里見義堯。
「仁者~」と言われる程の 人柄・・仁徳・仁愛者。そして勇敢さ。
戦いぶりから知略も見える。そして、
戦国武将としてはあまり例をみない「礼」を重んじた武将だったそうです。
戦功あった者にはいくつもの段階に分かれた礼式を。家臣たちは喜び、目指し、それによって士気もあがる。
演舞のラストの唄には
「千年万年~」とありますが、
里見義堯は 「万年君様」と民に慕われていたそうです。
「千年も、万年も、この義堯様の世が続きますように」と民が願っていた。
江戸時代の初期には 江戸庶民から「有徳の人」と
慕われていたって~~~~~~~~~
うおお~~~~~~~~~
どんだけ凄いんだこの人~~~~~~~~~
今更ながら、なんだか 心震えますよ
「千年万年 心の内に抱き 生きとし生き行く 里見の証」
誇れる人が居た事実。
4分ちょいを踊り終わった時、毎回死にそうな位息が・・・酸素が・・・汗が・・・
ですが、
4分ちょいで、ぎゅぎゅぎゅっと色んな想いを凝縮するわけだから うん。大変だ。
表現するのに なんだかプレッシャーを感じてしまった今ですが
別に、ここに上げたのは「里見氏 里見水軍」を調べた事をフワフワ~と書きなぐっただけでありまして、
ここに上げた総てを演舞で表現する訳ではないので、
こそん所は本当に、切実に、違うので誤解しないで下さいね(チームの皆に迷惑がかかってしまうので)
チームの演舞として
見てくれる人が 楽しんでくれる事を第一に。
見てくれる人が 楽しんでくれたら いいな!!!!
・・・・
長年の研究を積み、調べ綴った学者様達に 敬意を払います。こんなゆるい文章で真摯が一ミリも見えないかも知れませんが。
私に出来ることは、
勇将を思って 先人たちを思って 踊って大いに歌う事です。
あと、天下の放送局で大河ドラマ実現したら
この地域が 大いに沸き立つでしょうねぇ。
里見氏が使用した印判に、鳳凰が記してあるんですが、その意味も 凄いんですよ!!フルフル・・・
やる気があったら 今度また・・・・
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
はあ~~~
里見水軍の強さなり、当時の様子なり、なるほど後の世に名を轟かす強固な水軍であったことは認識したのですが、なかなか曲の歌詞とイメージが結びつかず、そのままになっておりましたが……
流石です! 少し解った気がします。
もう少し曲を聞き込んでイメージふくらめて見ます。
ありがとうございましたU+2755( ´ ▽ ` )ノ
お疲れ様です!
ダルンダルンな文章にコメントありがとうございます!
横須賀とか、こっちでも、水軍についての講習会とかツアーあるみたいで、
金払ってでも行っときゃ良かった~!と思いました(^^;
きっと、どこのヨサコイチームでも
一振り一振り、曲の造りや使ってる音や、歌詞の一つ一つに 意味があったりするんだろうなー
と思うと、とことん知りたくなってきます(*^^*)
造ってる過程でここは妥協した とか、
ここは踊り子皆が苦戦したとか、大会前日に変わったとか
絶対 どこのチームもバタバタを隠してるはず(^.^)と思うと ヨサコイの面白さ倍増すよ♪
話か脱線してスイマセン(*^^*)
早く いかさんと大会を楽しみたいやい\(^o^)/