Rain dog 日々徒然 風に吹かれて気の向くままに

日々感じたことをつらつら書き綴っていきたい。音楽、植物を中心に。

男子サッカー ブラジル金 ドイツ銀

2016-08-21 09:30:06 | リオオリンピック
男子サッカー、PK戦の末ブラジルが優勝した。決勝戦の再放送を見ていて、ほどなく男子サッカーの表彰式が始まった。どういう訳か2位のドイツからの表彰だったように思う。3位のナイジェリアの選手たちの影も形も見当たらない。サッカーは全く詳しくないので、日にちも違うから決勝戦では1位、2位だけの表彰をするのだろうか。

いずれにせよ2位のドイツから表彰がはじまったのだが、入場してくるときからドイツの選手の表情の硬いこと。誰一人にこりともしていない。表彰台に上がるときも然り。

メダル掛けが始まり、担当の人が各選手にメダルを掛けながら何か語りかけた時、やっと笑顔をみせる選手がでてきた。でもやはり硬い表情を全く崩さない選手もいる。

PK戦での負けでそれを受け入れ難いのか。あぁ、そうそう表彰式が始まって会場はいよいよ歓声で割れんばかりだったが、それはブラジルに対してのものでそれは試合中もそうだったようで(実況の試合は私は観ていないので)、歓声うるさいなといった表情で上の方を見上げているドイツの選手もいた。ドイツの選手の硬い表情はこんな中でまともな試合なんかできるかよ、という胸にたぎる怒りなのかも。

次に1位のブラジル。ネイマールは鉢巻をしていて、そこにJESUSとの文字が。あぁ、ネイマールも敬虔なカトリック教徒なんだとちょっと感銘を覚えたのだ。

吉田沙保里銀

2016-08-19 05:44:12 | リオオリンピック
吉田沙保里銀。信じられないようなTVのテロップが流れた。チャンネルを変えると、吉田選手がお母さんとお兄さんに抱えられておいおい泣いている。試合の様子も流れて、まさに茫然自失とはこのことだろうといった様子の吉田選手。

一昨日だったかの卓球女子団体を思い出した。私も手に汗を握りながらTVを見ていたのだが、これって3位決定戦だったんだよなとふと我にかえった。
私を含めTVの熱狂ぶりはまるで金を取りに行っているかのようだった。

彼女達は歓喜で泣きに泣いたが、吉田の涙はとんでもない心の衝撃から来ているのだろう。メダルの色ってほんとに選手の心が決めるのだなとつくづく思う。

吉田沙保里さん、お茶目で笑顔あふれるあなたに会えるのを待っていますよ。






ホットケーキ とと姉ちゃん周辺

2016-08-05 09:57:25 | 父母
母は私が幼いころホットケーキをよく作ってくれた。時は昭和30年代から昭和40年始め。
とと姉ちゃんでこの間からホットケーキを作ろうとしていて、懐かしさで胸いっぱいになっていたが、あんなに滑らかではなかったと、また疑問も湧いていた。そしていよいよホットケーキ作りの今日、興味津々でこの番組を見た。
水田さんが悪戦苦闘して作ったホットケーキを見て、そうそうこれに近かったと思いつつ次のシーンに目を凝らし続ける。
まず卵白をきれいに泡立てている。多分母は卵を丸ごと泡立てていたような気がする。まずここが敗因第一(ふっくらしていなかった)のような。
次に小麦の入れすぎといっぺんに入れた。お箸ですくったらテレビよりかなりゆっくりと下に落ちるくらいの硬さだったと思う。
ふくらし粉がだまになってなってしまってケーキの中で青くなっていて苦かったりということもよくあった。金のざるででも小麦粉とふくらし粉をよくふるっておけばよかったのだろうが、当時は振い器みたいのは売っていなかった。小麦粉をだまにならないように箸などでならすくらいのことはしていたように思うが小麦粉さらさらという状態からはほど遠かったのだろう。
そしてホットケーキの淵にはいつも段があった。一番外に黒い輪っかがあり次にクリーム色の溝の輪っかがあり、その次にケーキ本体があるのだが、とてもとてもテレビのような滑らかで均一の薄茶色にはなっておらず、水田さんほどはひどくないにしても、水田さん様の出来の表面が広がっているのだ。
それでもホットケーキは楽しみだった。わくわくしながらいつも母のそばで手伝ったりした。

私が小さいころ我が家には「暮らしの手帳」はなかった。「ソレイユ」と名前は覚えていないが芳村真理がよくモデルで出ていた婦人雑誌だけだった。母がどこでホットケーキを覚えてきたか知らないが、もしかしたら今日のとと姉ちゃんのように、上記の雑誌の文章だけの記事で覚えたのかもしれない。

今日の放映でホットケーキの作り方のコツの詳細が分かったので、早速作ってみよう。


ホットケーキについてはもうすっかり大人になってからの苦々しい思い出もある。
もう20年あまり前になるが、新聞で蕎麦とかいくつかの外国で作られるパンケーキの記事を読んだ直後、外国人の人たちと会う機会があった。パンケーキ作りをしてみようと思っていた私は、オーストラリア出身という方にパンケーキの作り方を教えてと聞いた。するとその人はさも小馬鹿にした感じで、「パンケーキなんて粉がどこにでも売ってるでしょう?」と言った。ホットケーキミックスなどの事を言っているらしかった。白人の人は本人はそんなに意識していないかもしれないけれど、アジア人のこちらからするとあからさまに白人優位という雰囲気を醸し出すことがままあるように思うけれど、その時はまさにそんな感じだった。この日本人、パンケーキも食べたことないの?みたいな。
私はインスタント食品に近いものじゃなく母の様に手作りがしたかったのだ。そのあたりもつたない英語で伝えたように思うが、どうやらその人にとってはパンケーキとはホットケーキミックスみたいので作るもので、小麦粉で一から作ったことはないので分からない風だった。
ホットケーキとともに思い出す苦い思い出だ。

ちなみにパンケーキはフライパンで作るケーキ。ホットケーキはその一種で、パンケーキといえば上記の様に蕎麦で作るものあり、まぁ、クレープの厚い版と考えればいいのだろうか。上に色々載せたりもする。