造反有理。英語ではConduct rebellion has a reasonable reasonと訳すようだ。
毛沢東が1939年に行った演説で有名になった言葉である(Wikipedia)。日本でもかの学生運動時代に大いに使われた。筆者の理解では「反抗するにはそれ相当の合理的な理由がある」となる。
香港は、有名や植民地戦争であったアヘン戦争(1840-42)を英国が仕掛け、清に勝利した結果、南京条約で99年の租借を清に認めさせた地である。以来、英国の支配下でシンガポールと並ぶ自由経済都市としてアジアの枢要な経済的地位を占めてきた。1997年、租借の期限が切れると共に、中華人民共和国に返還され、特別行政区となった。
その香港は今、国家安全法に揺れている。香港の人権派、民主派は民主化運動の”戦略的後退”を余儀なくされている。敢えて、民主化運動の終焉とか沈静化といった表現は使わない。筆者は、香港の民主派、人権派には、「造反有理」があると確信しているからである。
皮肉なことである。植民地帝国(これには日本も含まれよう)の侵略や”中国王朝”最後の帝国である清の遺制に抗して立ち上がった中国共産党は自らの行動を「造反有理」と定義付けた。そして、その第三世代(第四世代?)である現在の中国共産党は香港人民の造反を徹底的に抑え込む意気込みである。自らにも「有理」(そう相当の合理的な理由)があると考えていると思う。しかし、人民の声を封殺するその”法”は抑圧以外の何物でもない。なぜなら、香港の人権派や民主派にも同様に「造反有理」があるから。もし、中国共産党が、香港の人権派や民主派の造反に「有理」がない主張するなら、また、人民の声を「抑圧」していないとするなら、それは自ら言い放ち自らを定義したかつての言葉に対して大いなる矛盾ということになる。
慎重に見てみるなら、毛沢東は共産党の運動について造反有理と言ったが、それは即、「造反は正しい行いだ」と言ったのではないかもしれない。冷徹な現実主義者であった毛にしてみれば、おそらく(筆者のゲスであるが)「これは正邪の問題ではなく、力の問題だ。より多く人民から支持を受けた側が結局は「正しく」よって正しい側が勝利するのだ」と考えていたように思う。彼にとって「正しさ」はその程度のものであったかもしれない。しかし、「造反有理」はその後文化大革命で紅衛兵も自らの正当性を主張する言葉としても使われた。それほど中国では建国とその後に影響力を持ったことばであった。
いずれにしろ、かつて苦難の建国の途上にあった中国共産党は自らの行動を「造反有理」と称したが、今やかつての「造反」者は立派に「抑圧する側」に変身を遂げたわけだ。
さて、では、この「抑圧する側」には「理」が有るのであろうか。中国の国土の広さと打ち続く災害や反乱、膨大な人口圧力、未成熟な職業倫理と非効率な行政組織、それらに起因する無能と腐敗、さらにはもっと根源的に社会主義的資本主義という国家統治の原理そのものに内在する理論的矛盾、こういったことをすべてひっくるめて、香港を云々できるほどに「それ相当の合理的な理由」を今の中国は持っているだろうか。
筆者には、天安門事件直後からとは思わないが、少なくとも現習政権になって以降、中国共産党はこの様々な矛盾を創造的に解決に導いてゆこうとする努力を放棄したのではないかと評価している。であれば、中国共産党は「国を良くする」ということについてもはや自らの「有理」を備えていないということになる。
香港返還の際英国と中国が締結した返還条約(共同声明)は、1997年から50年間適用されるとされている。単純に考えると条約の一部を構成する「香港の高度の自治」は2047年まで適用されるということになる。Wikipediaによれば、2014年2月、中国は「共同声明は無効だ」と英国側に伝えたという。この通知は共同声明の定める手続きに従ってなされたのだろうか。そうであれば、国家安全法はいずれ出現する可能性の高いものであったともいえる。もし、手続的取決めを無視して中国側が一方的に通告したのであれば、中国は国際的な取決めを遵守しない或いは無視するお国柄だということになる。前者であれば、我々はいささか気づくのが遅すぎた「お人よし」ということになるし、後者であれば、信用のおけない人口数第一の国と今後友好的に条約や取り決めをしてやってゆくことはまず絶望的ということになる。その帰結は、支配されるか、支配されずとも互いが各々孤立的に存在するか、あるいは打ち負かすか、ということになりそうである。ひょっとすると、彼らを「啓蒙し直す」という選択肢もないわけではないが、中国三千年のプライドが許さないだろう。
矛盾を克服しない人、組織、企業そして国は、いずれは崩壊する。なぜなら、矛盾を抱えるのは避けられないこととしても、矛盾を克服する努力そのものにもその人、組織、企業、国家の存在意義があるから。矛盾を克服する不断の努力を放棄したものはその時点でその存在のすべてが固着し発展は封殺され、矛盾を克服しようと自己改革を努力する競争相手に対して徐々に遅れをとるようになる。その結果は、統御できないほどに矛盾が拡大し、自己崩壊に至る。清を見よ。
香港に限らず中国共産党の支配地にいる人権派、民主派の人々に「崩壊するまで待って」とはとても言えない。せめて、これらの人が望むなら温かく受け入れ、そして何より励まし勇気づける姿勢と努力を維持してゆきたい。