tons of knots

からだや頭の凝りをもみほぐして、人との絆や結び目がたくさん出来るといいね。
Innovation To Survive

脱炭素社会への転換  Post Corona Life コロナ後の世界(11)

2020-10-31 11:47:08 | 払暁半刻
新首相の所信表明演説にあった脱炭素エネルギー社会への転換について、友人から感想を聞かれました。
 次のようなお応えをしました。
 *****
 カーボンゼロ政策の推進への転換は、水俣病などで激化した環境汚染を減らそうと政策転換した時代に似ていますね。
 あの時大きく変わったことは、政策の大転換であっただけでなくて(あまり重要な指摘とは思われてきませんでしたが)、企業が排出する汚染でサラリーマンや工場労働者の家族や子供が健康被害に合っているのだ、これを何とかするのは自分たちサラリーマンの問題なのだという意識転換、対立する立場だと思っていたことが実は自分自身の問題でもあったのだという意識の転換でした。特に企業経営者がその点に気付いたことが重要です。(多くの日本の経営者が実は雇われ社長であって、古典的な意味での資本家ではないということを間接的に再認識したということかもしれません。)
 さらに重要で実質的な大転換は、それまでの経営者は環境投資は企業収益が減ってしまうマイナス要因だとしか見ていませんでしたし、従業員もそのように思い込んでいました(従業員の意識はいつも経営者の意識を映すある意味での鏡です(笑))が、環境投資やエネルギー節約投資を実際にやってみると、実はエネルギーコストの低下や環境改善効果で企業収益が従来より改善することが分かったのです。
 もう少し説明しますと、設備投資をしてその耐用年数以上に使用すると、企業会計的には、耐用年数経過後は減価償却費がコストとして計上されなくなるので、企業収益のアップになるのです。ところが、この収益アップ分は(設備更新はいずれせねばならないものなので)せいぜい5年程度のものですが、エネルギー効率化による収益アップの方は、その後ずうっと続く製造原価の低減効果なので、結果的にはエネルギー効率の高い設備に早く更新したほうが長期的な収益増を見込める(また、それだけエネルギー効率のよい最新設備を日本では作れる)ということになり、この収益改善メカニズムがだんだん理解されてきました。(⇔ 反対に、減価償却済みの設備を使い続けて収益アップを目論んだのが福島第一原発ですね。結果は東北大震災でご覧のとおり、経営リスクも無視したために東電そのものを揺るがす大惨事となりました。)

 脱炭素社会への転換も似たようなメカニズムが期待できます。例えば、風力、地熱、波力などの自然エネルギーを地産地消すると、超遠距離送電による電力ロスが無くなるなどで、自然エネルギーの方が結果的に最終投資額が少なくて済むかもしれない(さらに遠距離送電設備が不要になることで投下資源量の削減効果もあります)。一方で、自然エネルギーへの設備転換で新たな設備投資需要は発生します。(だから、やる気さえあれば、仕事が無くなるわけではなくて即失業ということにはならない。要は、脱炭素社会への転換スピードが雇用や産業構造の変化と収益的にシンクロしたものになるかどうか。)
 さらに、そもそも、輸入石油に頼ったエネルギー供給が自国産の自然エネルギーによって代替されますし、かつ、初期には国費の投入などの工夫が必要ですが石油よりも原価そのものが安くなる余地が十分にある。この辺りは、投資と減価償却、大量生産による設備価格の低下など、様々な要因で長期的に可能になる可能性が大いにあります。(環境投資も最初は、高い高い、割に合わないと叫ばれていました。)
 また、従来は石油社会でしたので、どうしても米国資本の石油採掘業者(いわゆるエクソンを含めた石油メジャーです)の供給力に頼ることになったわけですが、それは結果的に米国のエネルギー安全保障の枠組みに組み込まれることを意味しました(そのこと自体を否定しているわけではありまん。安全保障と民主主義の定着といった面と合わせて見る必要があります)。このような石油社会の特性は、日本自体で核技術者を温存したいという意図と合わせて、経済産業省がエネルギー政策(原発も含めて)で隠然たる力を持ってきた理由の根本にありました。しかし、今や米国は「自国優先お山の大将」政策で安保の先行きも万全ではないという前提で日本の安全保障を考えざるを得ない時代になってきています。さらに、悪魔の均衡といわれる核抑止力のメカニズムも再検討する時期にきています。

 今回の所信表明演説は、エネルギー供給をより自国産依存に転換できることや、日本の機械設備投資の更新・促進につながること、米中問題も含めて日本の安全保障環境の変化等についての認識なども巻き込んで、政策大転換の表明であったと思いますが、その与える影響の時間的な長さや深さ、各企業・産業界の受ける影響、外交政策の組み換えなどについてどれほど深刻な影響があるのか、今の段階で我々庶民には(方向性と事の重大さは理解できても)到底予測がつきません。
 ということは、当局者はこれを「正しく」評価し、狭い省益に囚われている暇はありませんし、政策転換によって到来する日本の未来を慎重に推し量っていかなくてはなりません。単なる見栄えの良い「今はやりの政策」を採用するという薄っぺらな意識では、我々の国を危うくするだけです。(話が大きくなりすぎてしまいましたが、それでも、そう考えざるを得ません。)

2020年11月2日の追記
 その後の報道では、石油石炭火力の代替エネルギーとして、原子力発電の比率も増えるのではという報道があった。
 原発即時廃棄は現実的な対応ではないとは思うけれど、「脱炭素+脱原発」社会を目指して転換を進めなくては。又、2050年までの超長期目標であれば十分可能な選択だと思う。政策ではなく、単なるビジョンだと批判する者もいるけれど、技術と産業が巨大化すればするほど、方向転換には時間がかかるのは当たり前。要は次世代まで世代を跨いで「やる気」があるか、それだけ我々に知恵があるかどうか、だ!


歩きながら身体に負荷をかける話 

2020-10-24 09:09:22 | 健康
コロナ感染予防でこのところ友人との会話ももっぱらメールばかりとなって来きした。
先日「お前の健康法は何か?」と問う友があったので、ささやかながら、小生が日頃散歩しているときに気をつけている方法をお応えをしました。

因みに、小生の健康上の注意点は、次のようなものです。
≪内筋呼ぼう≫ 頭痛防止のための内筋の強化維持(無い筋予防)
≪四肢奮迅≫  老化に抵抗する、四肢の可動域と筋肉の維持
≪心肺・心配≫ 心肺機能の低下予防で心配のない生活

** 歩きながら身体に負荷をかける話 **

散歩のとき、私の歩き方は次のようなものです。

① 身体に急に負荷がかかるのを避けます。
 最初の50mほどは、ゆっくりと、今日の天気を見回しながら歩きます。

② 歩く姿勢を整え、頭を背骨の上にまっすぐ載せます。
 そのあと、ゆっくり歩きながら徐々に歩く姿勢を正してゆきます。まず背筋を伸ばして地面に垂直になるように。 次にお腹を意識して引っ込めて歩きます。
 次に首の後ろをハンガーにかけて吊り下げる気持ちで頭を上へ上へ持ち上げます。これで、歩く姿勢が背骨の真上に載る感じになります。きついです。

③ 大股で歩きます。
 この姿勢でしばらく歩いて、身体が温たまってきたら、次は、歩幅です。大きく前に足を蹴り出すようにして歩幅を広げます。腕を大きく前後に振ると自然と大股になります。これでまた数分。できれば足首のところでステップを効かせて、弾むようにして歩きます。

④ 疲れたら疲れたなりに、何回も姿勢を修正します。無理しすぎないように。
 こうして「正しい」姿勢で歩いていると疲れてきます。気づかぬうちに、姿勢はダレルは、歩幅は狭まるはで、中々長時間理想の姿勢は維持できません。
それでも、姿勢のダレや歩幅が小さくなったと気付いたら、気づいた度に修正します。散歩ですから、精神衛生上「歩くときはこうであらねばならない」という意識は捨てておきましょう(笑)。

⑤ この調子で15分も歩ければ、自分を褒めてあげましょう。
 「正しい」姿勢との格闘は、15分位。歩きながら、ダレる、修正する。又ダレる、又修正する、の繰り返しです。
 15分歩くと、距離にして1キロから。1.2~3キロは歩いています。

⑥ 心肺機能のためにさらに15分から30分位、お好みで。
 あとはのんびり、更に15分から30分くらい歩きます。
 ⑤までの歩きも入れると、全部で30分から45分、距離にして3キロから4キロくらいは歩いたことになります。歩数にして4,000歩から5,500歩くらいになるでしょうか。一日8,000歩から1万歩あるくと良いといわれていますので、一回でその半分くらいにはなります。

最初の15分(①~⑤)は猫背、頭痛、腰痛予防が目的です。だらだら散歩でも、気持ちがオープンになって、心肺機能や歩行機能の維持に効くはずです。
これが歩き方その1.

⑦ 小生の「その2」は、歩きながら体操します。手を大きく回したり、首を傾けたり、右へ左へ向けて数秒そのままにするとか。その2は、早朝だれも見ていないときにしかやりません。(笑)

⑧ 付録(インターバルの奨め)
 歩くときの負荷の掛け方について、追加です。
 背筋を伸ばして頭を脊椎の上に置き大股で歩くときには、3分歩いて1分ゆっくり流すのを基本にすると効果的だそうです。これを3回繰り返すと1日に必要な心肺負荷ができるそうです。(これは、ある歩き方についての新書で知りました。書名を思い出したらお知らせします。)
 小生は歩きながら時計を見るのが面倒なので、右足を蹴り出す度にカウントします。1クール60~70ほど数えるとほぼ1分になります。

⑨ 付け足し
 さらに頑張りたいときは、足首に500グラムの重りを巻くとか、500mのペットボトル2本に水を入れて両手に一本づつ持って歩くというのも効果的です。
 特に、水を入れたペットボトルを持って歩くのは、散歩の途中での水の補給も出来て便利です。これを振りながら歩くとかなり気持ちいいです。

以上、ご参考までに。最後までお読みいただけたなら、幸せます。

2020年11月2日の追記
 今朝のNHK番組「あさいち」で、腰痛対策と体力アップのための歩き方を特集していました。題して、「お腹へコマシ歩き」「3分間メリハリ歩き」。僕の歩き方と似ていたので、備忘のために記載して、早速参考にしたいと思います。

◎お腹へコマシ歩き
 腰痛の中には、実際に腰が悪くなくても脳が記憶する「腰痛記憶」が原因であるものが多いそう。一日15分、お腹をへこまして、歩くことに集中して歩くと、脳が「腰痛記憶」を覚えてられなくなって、この仮想の腰痛が消えるそうです。併せて、ストレスなども解消される。

◎3分間メリハリ歩き
(信州大学能勢博特任教授による。正しくは同教授のご著書を見て下さいね。アマゾンで検索すると、教授の本が2~3冊載ってました。)
 体力を増進するにはダラダラ歩きでは効果が薄く、一日3分でも体力の6~7割程度の負荷をかけることが必要だそうです。歩いていて心臓がドキドキして息が上がる程度になると、この体力6~7割の負荷になっているそうで、そのためには、次の姿勢で3分くらい早歩きをするのが目安だそうです。(早歩きで、ドキドキして息の上がれば、3分でなくても、あるいは3分以上かかっても、目的は達していることになるそうです。つまり、3分を目安に、個人の事情に合わせて次のようにして早歩きすれば効果バツグンということですね。)
3分間メリハリ歩きの要領
 ①背筋を伸ばし、目線は25m先を見る。
 ②普段より3-5cm大股で歩く。
 ③腕を大きく振って歩く。
これを④1週に54分(つまり、3分×1日3回×週6日)程度、歩く。
 週に3日で1日18分歩いて54分にしてもよいし、そのあたりは自分の都合と健康状態とで工夫すればよいそうです。

 期待される効果 
  5か月続けると、体力が9~10%アップ(つまり体力年齢が10歳若返る!)そうです。

 持病持ちの注意
  高血圧や腰痛、ひざ痛などの持病のある場合は、何が何でも3分やらなくてはならないわけではなくて、要は自分の身体と相談して。

 それでは、早速、今日の散歩から、まず「お腹へコマして」、「3分早歩き、3分のんびり」を3回繰り返すことにします。合計18分だから、おそらく1.5km弱歩くことになるのかな。
 




ルース・ギンズバーグ Ruth Bader Ginsburg 米国の法律家

2020-10-16 16:45:46 | 人物
1933年3月15日ニューヨーク市ブルックリン生まれ。ワシントンで2020年9月18日87歳で死去。
史上2人目の女性の米国最高裁判所判事(1993年8月10日ー2020年9月18日)。リベラル派。クリントン大統領により指名。
配偶者 Martin D. Ginsburgは税法弁護士。
彼女の担当した租税法の裁判で、史上初めて連邦高裁が法律上のジェンダー差別が違憲であると判示した。これは、米国映画「ビリーブ 未来への大逆点」に詳しい。(この映画は、ロースクールの雰囲気や授業、法曹界の雰囲気も簡明のうまく描かれている。)
ニックネームはRBG(米国では偉大で尊敬される人物はしばしば親しみを込めて本名の頭文字だけで通称される)。
また、「ポップ・カルチャーの新しい象徴」とも呼ばれ、その個性と生き方は特にトランプ大統領就任前後から米国の良識派として大衆的人気を得た。個人ブログの名義は「ノートリアス RGB」。
2018年には、彼女を描くドキュメンタリー「RGB 最強の85才」が公開された。
 謹んでこの歴史的で偉大な法律家の冥福を祈る。

雑草を抜きながら考えたこと  Post Corona Life コロナ後の世界 (10)

2020-10-14 07:52:53 | 払暁半刻
庭の雑草を引きながら考えました。
 うちの小さな庭には芝生を植えていますが、近ごろドクダミが出てきた。ドクダミは乾燥させればドクダミ茶にもなるから必ずしも害ばかりの草ではないけれど、芝生の中に出て来てしまっては如何にもよろしくないので、やはり雑草とみなさざるを得なくて、せっせと草むしりするしかない。ドクダミを抜きながら、ドクダミ畑でもあればそこでは雑草扱いされないだろうにとも思った。
 そこでふと近ごろほとんどいつも一面に出てくる中国のことを考えた。中国もドクダミ草みたいなものかと。芝生の中に生えて来るから抜かねばならぬ。そうせねば、やがて芝生を駆逐してしまうだろうから。見ていると、どうもドクダミの方が威勢がよくて、更に困る。芝生を守ろうとすれば、やはりドクダミを雑草として扱って抜かねばならぬ。芝生とドクダミがうまく互いに生えている場所を分けてくれて、生えてくれれば、ドクダミを雑草と扱う必要もないし、抜く必要もないのだが。
 彼の国にも人口が多くて何とか皆を食わせねばならぬとか、様々に、彼の国なりの事情はあろう。あろうけれども、折角平和な海であったところに出てきて、しかも自国民保護を目的に武装した船を航行させるようになっては、やはり芝生の中のドクダミだと思わざるを得ない。
 近代以後、社会の経済は、物物交換や物とお金を交換する売買で成り立っている。大昔は、まず領土的占領と支配があってその上に交易が成立していた時代だと言えると思う。それでも遠くエチオピアのシバの女王の時代から、領土的野心よりも交易による繁栄を重視した国や時代はあった。そうはいっても、現代でも米国は強大な軍事力でしょっちゅう戦争をしているではないかと言う人がいるかも知れない。確かにその一面はある。特に自国の裏庭と米国が思っている南米や、石油資源の豊富なアラブの世界では、米国に非のあるところもある。それでも、世界の多くの海域で、国際法が確立して各国の領海は守られてきたし、多くの国がその恩恵に預かってきた。特に西太平洋から東シナ海についてはそうだ。
 我が家の庭もそのうちドクダミが生え繁る時期が来るのであろうか? その時、ドクダミ以外の花や草は生き延びられるのだろうか。米国の海軍力が海洋の国際法秩序を維持してきたともいえる太平洋戦争後のこれまでと、やがて時代を経て中国流の海洋秩序となった時代が来るとして、どちらの時代がより周辺各国にとって、そしてそれらの国に住む各国の国民にとって、自由なのだろうか。
 中国流の海洋秩序になった時代に、中国は「民主的でより開かれた海洋秩序」を周辺国に提供してくれるだろうか。中国三千年の歴史は、中国の人たちに自由で民主的な政治を経験させてくれただろうか。中国の人たちはこれまで経験もしていない「自由で民主的な体制」を今後の学習で身に付けることができるだろうか。習さんの「習」は習うという意味だけれど、皮肉なことに習さんの学習科目は「自由」とか「民主」とかではないらしい、というか、学習するのをあきらめた観さえある。
 ドクダミは乾燥させればお茶になり身体にいいことは確かだから、ドクダミがこの世からなくなってほしいなどとは思わないし、ドクダミ畑で繁茂するなら、お茶がたくさん出来てくれればいいと思う。
 でもやっぱり、どう考えても、芝生の中にドクダミは生えて欲しくはないなあ、芝生が駆逐されては困るなあ、とドクダミをむしりしながら考えた。