tons of knots

からだや頭の凝りをもみほぐして、人との絆や結び目がたくさん出来るといいね。
Innovation To Survive

司馬遼太郎「風塵抄」に写しとられた李登輝

2020-08-26 08:54:11 | 人物
李登輝(1923年1月15日~2020年7月15日)
 農業経済学者。第4代中華民国総統(本省人初の総統)。
 「台湾民主化の父」といわれる。
 
 司馬遼太郎の「風塵抄 二」(中公文庫)「87 台湾で考えたこと(2)権力」(1993年1月14日)に李登輝氏が描かれているのを見つけた。
〇「過去より未来を見よう」(司馬遼太郎が台北滞在中に実況放送で聞いた氏の施政演説より)
〇司馬遼太郎が「権力はバケモノであり、麻薬である」としたことに対して、氏が「そうかもしれないが、私は、権力を、科学的に、あるいはプラグマティズム(実際主義)として、さらには合理主義的な方法で解明でき、運用できるものだと思っている」といったとある。
これについて司馬遼太郎は「おそらくアジア史上の元首として最初のことをいった。じつに新鮮だった。このシャイな知識人でこそ言えることばである」と書いている。

このコラムでは、他にも李登輝の人柄と考えを垣間見ることができる。

隣は何をする人ぞ  Post Corona Life コロナ後の世界 (9)

2020-08-18 21:28:48 | 払暁半刻
ここ数日は「命に関わる暑さ」で、何とも不快な夜が続いています。熱中症で夜に具合が悪くなりそのまま倒れてしまう方が続出しているのは何とも痛まい限りです。

ということで、暦はともかくまだ盛夏の真っただ中で、「隣は何をする人ぞ」もなかろう、とおしかりを受けることを覚悟で、以下、これも筆者の友人に送ったメールの一節。

「お隣の中国との関係は、日本にとって実に微妙です。
 中国とは地理的、歴史的な問題もあるし、何より、日本が経済的にも政治的にも米中露という大国に囲まれているために、中国との関係だけを云々しても本当の問題解決の糸口は一向に見つからないからです。ひょっとすると永久未解決問題かもしれないけれども、その時代時代、その時々の情勢の動きの中で少しでも「安定」に繋がる道を見つけて懸命に賢明に乗り切って行かざるを得ないように思う。本来、国際関係とは永久に完全な解決のない「永久問題」なのだと割り切ってしまえば少しは気が楽になるかもしれないけれど、それは、無策、無気力でも仕方ないということではなくて、絶えず一生懸命でなくればないないということでもある。

 さてそこで、ここ数十年の状況をどのように見るか。山と山里に例えると、こんな感じでしょうか。
 日本は米中ロという三つの巨山に三方を囲まれた山里のような位置にあるわけです。そのため、どこかの巨山の頂上を目指して登ろうとすると、別の山から「その山に登るならもう登らせてやらねえぞ」と言ってくる。しかもどの山にも、出掛けて行って拾いたい山の幸がそこそこ豊富にある。おまけに、「中山さん」からは昔文化という川がほぼ千年近く流れ込んでいたために、既にその川が涸れ川であるにもかかわらず、山里の住人の中にはまだその川に水が流れていると錯覚している者、あるいは、今後いつかは水が流れてくるはずだと期待する者もいなくはない。今の山里は「米山さん」のお陰で強風から守られていて、更には米山さんがほかの二つのお山が時に狂風にならないように抑える力もあるけど、どうもその神通力もいつまで保つか判らない兆候もある。

 平和な山里でいようとする方法の一つは、三つの巨山を越えた向こうにある沢山の里の民と仲良くなって、出来れば様々なモノや力が借りられる関係になること。
もう一つは、中山や露山に住む民そのものとも仲良くしたいけれど、各々の山には得体の知れない山の神が住んでいて、山里に降りてくるこれらの山の民とは仲良くできても、そもそも降りて来ない山の民もいて、そういう民は山の神の神通力で金縛りになってしまっている。 それにそもそも、この山里にはそんな時間と手間の掛かる遠交近攻の策を手順立てて、しかも深く静かに続ける根気が見えてこない。その訳の一つには米山の神が他の巨山の神に対抗するために、山里の民の長(おさ)連中に呪いをかけているから、という者もいる。
しかも、山里の民の中には米山の第二国民と錯覚して、あるいはそういう振る舞いが山里で政治的な力を得ることを知っている者もいる。だからこの類の輩は、米山から吹く風にばかり顔を向けている。

 山里の神と民が安寧に暮らせるもう一つの道は、どの巨山の民からも、口をそろえて「あの山里は戦も諍いも無いいい所だ、山里の民皆なが俺達と友達なんだ、あの里の民が傷ついたり里が荒らされる無くのは身を切られるように悲しい、世界の宝だ」と賞賛してくれること、しかもそういう巨山の民の声を巨山の神が無視できない、そんな世になること。でも、これはとても難しい。山の神は一時が万事全てをお見通しで神官たちは己の力が萎えるのを何より怖れているから。
 それでもせめて山里に降りて来た巨山の民とはいい友達関係になりたいものです。」



庶民の偉人

2020-08-13 08:51:46 | 庶民の偉人
周庭さん
 香港に対する国家安全法の施行後も香港に留まり、法の許す範囲の中で運動を続ける。中国が自らを法治国家と唱える中その是非にもかかわらず、犯罪者扱いされ命の危険が十分予想される中でも自ら生まれた土地に留まるという決断をした勇気によって、その主張する自由の尊さを、言論や批判といった直接的な行動ではなく、自らの存在自体で主張している。
 2020年8月10日 国家安全法の容疑という曖昧な拘束理由で、逮捕。
 同 8月12日 48時間の拘留期限後保釈。(起訴されていないこの段階で、「保釈」という点に大いに疑問がある。)


good talented いい人材とは  Post Corona Life コロナ後の世界 (8)

2020-08-09 21:28:51 | 払暁半刻
新型コロナが流行り始めてからは、友人とは直接会話を楽しめない分、メールでのやり取りが増えました。 そのような中で、コロナ後「国会議員は歳費に見合った仕事をしているか」「最近の議員にはいい人材が少なくなった」という話になってしまいました。その際の当方の一節を紹介させていただきます。

「以下、自分のことを棚にあげて書きます。
 よい人材を選ぶ、実にむつかしいことです。
 会社でも、もちろんビジネスと会社の将来にとって「よい」ですが、よい人材を選ぶのに苦労します。まずは意欲があって周囲を巻き込んでゆける人。でも、「意欲」は往々にして野心の別表現でしかなく、野心は往々にして自分の利益についての野心でしかなかったりする。「周囲を巻き込んでゆける人」も、判断力に問題があると往々にして間違った方向に周囲を巻き込んでゆきます。さらに質が悪い場合は、自分を正当化するために自分の影響力を使って、より事態を深刻にしてしまう(笑)。

 国会議員の”よい人材”は、もっと難しそうです。
 法律家の場合、ほとんどの場合いわゆる徒弟制度に近い育成法です。これによって、個人的な資質、理解力、物事を推し量る想像力、論理力と説得能力などが数年掛けて評価されます。もちろん、価値判断力も自然と評価の対象になってきます。
 国会議員の場合、お話によれば、まずは権力に酔わない人であることが人材の第一条件のようです。かつ、想像するに、悪魔の囁きを吹きかける取り巻きや支持者を注意深くかつ丁寧に斥けられる人でなくてはならないようです。
ただ、思うに、後者の”忌避能力”はある程度頭が切れて誠実な人であれば可能なような気もします。前者の”権力陶酔症”は、結局のところ子供のころからの訓練、教育、自己統制の練度の問題のようですが、同時に日本の政官界の風土が改まらなければ、麻薬や酒タバコの常習と同じで、いつまでたっても改善されなそうです。最近の学生の間では我々の時代と違って、大酒に酔うことが、”いいこと、大人になった証拠”といったポジティブな評価が減り、ネガティブに評価される傾向にあるようです。
お話によれば、英国では、保守・労働両党とも、長い時間をかけて国会議員候補者を選抜し、党の顔として擁立し、時には党の戦略にそって「お国替え」もあるそうですが、”権力陶酔症”に関しては、その制圧にある程度成功しているのではないでしょうか。」

「コロナ後」に即していえば、では、リモート勤務が今後定着していったとして、「いい人材」とは何か、あるいは、
コロナ後も災害や災厄が波状的に発生するとして、これに対処できる「いい人材とは何か」であろうと思います。