tons of knots

からだや頭の凝りをもみほぐして、人との絆や結び目がたくさん出来るといいね。
Innovation To Survive

リンゴ日報、発行停止

2021-06-24 23:38:21 | 払暁半刻
コロナ禍中における日本五輪開催については、今後の日本の行く末を占う際の日本の政治の体質を考える上でとても重要なターニングポイントのようにも思う。
しかし、日本とアジア地域における民主主義のあり様と今後を考える時、香港で起こっていること、特に今日報じられたリンゴ日報の”永久休刊”は、五輪開催などよりもっと重大、深刻な事態だと思う。
 中国は、偉大な国、だった。清朝末期からの西洋列強の支配を呻吟しながら脱し、共産主義(共産主義そのものに対する評価、好悪はあるとしても、ここではそのことはしばらく措いて)を学び、祖国の再興のためにその歴史的現状に合わせた工夫をし、古くかつ悪しき伝統であった中国三千年の皇帝支配型統治システムを一新して新しい国の統治方法を模索してきた。少なくとも「シュウキンペイ」が出現するまでは。
 毛沢東にも鄧小平にも多くの問題があった。政治指導者の後継選出方法など、昔ながらの権力闘争でしか決められず、その点で近代政治思想を内部化できない限界もあったが、同時に、中国にとっては、開国解放、経済発展については日本が、共産党統治についてはソ連が、それぞれ良き先例と共に、悪しき失敗を例示し、そのよき反面教師の教訓を自らの統治に生かそうと努力してきたのではなかったか。中国はそうして、10億超の民の国を再生し民衆の生活を向上させようとしてきたのではなかったか。
 残念なことに、「シュウキンペイ」の出現以来、中国共産党は、国内の経済発展と国民の生活水準向上の結果が自らの党支配を不安定にする要因と化し、ゆくゆくは共産党支配を終焉に導くものと判断したようだ。
 共産党が国の政府の上に立って国民を指導する、という共産党一党独裁のドグマは、我々民主主義国家に生まれ育った者にとってはとても奇妙なものだ。「えっ、国家の政府より共産党の方が上位に立つの? そんなのあり得ないだろう。党は少なくとも「私」の集合体、国は「公」であろう。私が公を独占的に指導する? じゃあ、公とは何なの?」と素直な疑問をつい発してしまう。 それでも、経済的に立ち遅れ、その根本原因が国の社会構造の硬直化と国民や指導層の考え方の”遅れ”によるものであった旧ロシア帝国や清朝中国においては、この奇妙な一党独裁の方法もまた「その歴史的背景を考え合わせれば」致し方のない選択であったかもしれない。
 しかし、旧ソ連でもそうであったように、「シュウキンペイ」の中国でも、この一党独裁のテーゼが独り歩きし始めている。日本の場合にも同じような歴史があった。日本の場合は、「国体」のドグマが明治期から二世代を経て昭和初期には独り歩きし始めた。軍部の言い始めた「統帥権」はいわば「一党独裁の論理」と同類である。軍国主義が国民の生活を脅かし、「真珠湾」によって正当化された冒険主義がやがて個々の戦争作戦遂行までも食い破ってゆく。そして終戦という名の敗戦。
 今の中国の場合、経済発展と国民の民度の向上という社会の変化を無視して、共産党支配の内部構造の改革をあきらめ、今や一党独裁のドグマだけが独り歩きしているようだ。つまりは、権力者の心理に立ち入ってみれば、何のことはない、一度握った権力は手放したくない、手放した途端に政敵による「死」が待っているという中国伝統の権力観。(「権力の罠」)
 「シュウキンペイ」後、中国共産党は、”中国人”(その構成は漢民族だけではないゾ)にとっての祖国を真に偉大にするための政治的、思想的な困難さを乗り越えてゆこうという「勇気」を失ってしまった。「シュウキンペイ」後は、中国の偉大さとは単に「規模的、物量的に他を圧倒する大きさ」に矮小化されてしまっている。他国に脅威を与えることで初めて自分の偉大さを確信できる、あたかもその辺にたむろするゴロツキが肩で「威」を張るかのような「偉大さ」。
 人間でも、企業でも、国家でも同じだが、新しい事態に対処する方法として新しい思考をしようという勇気を失なって努力をせず、旧き伝統に頼るという矮小な考えに陥ったとき、やがては職を失い、倒産の危機に陥り、新たな革命を引き起こす。
 香港は中国の真の偉大さを実現するための「良き先例」「よき出窓」になり得たにもかかわらず、「シュウキンペイ」の共産党は、香港から新しい思考と統治法を学ぶ、あるいは新しい中国の実験場にするという「勇気」を持たなかった。「シュウキンペイ」は、香港を「伝統ある中国」に組み入れ、共産党支配という名の皇帝制支配の下に「皇帝の考えるように考える」ように思想的統一をすることが「香港を治め」中国を治める唯一の方法であると考えているようだ。

 リンゴ日報を休刊に追い込むに至った「シュウキンペイ」が失ったものは大きい。「シュウキンペイ」はやっと喉の奥の小骨を抜いたくらいにしか思っていないかもしれないが、休刊させるに至った「シュウキンペイ」を支えそして実質的にその思考様式を支配する共産党官僚組織の思考はすでに中国歴代王朝の官僚組織が示した弊害の数々を十分に備えているようだ。批判を許さず封殺する組織、自己を客観化して見ることができる仕組みを持たない組織は、必ず硬直化し無謬性の罠にはまり、やがては崩壊への無秩序に至る。
そういえば、歴代王朝は、官僚の思想的腐敗から「虚仮て」いったのではなかったか。
「虚仮る」のが10年後か20年後か、さらにその次の世代か、その時期は分からない。が、必ず共産党一党独裁は虚仮る。すでに経済的繁栄を保証する以外、中国共産党は自己の統治の正当性を主張するものを持っていない。自己を客観化する「眼」を自ら封殺してしまった。中国はこれから本格歴な組織的硬直の時代に入るであろう。
 今後は、中国が虚仮るのが早いか、民主主義国家群が経済的に中国に支配されるのが早いか、その競争であろう(中国共産党がこけた後、中国によりよい統治形態が生まれるという保証も、実はどこにもないのだが)。 いずれにしろ、共産党一党独裁は将来必ず虚仮る。それまで、民主主義は持ちこたえねばならない。
(そういう希望と意思を持たなければ、リンゴ日報永久休刊のこの虚しさと怒りをどう埋め合わせればよいのだ。)          2021・6・25