むすび居合道の刀一会《JMMA会員》

日本武道本質「むすび」を探求している道場。むすび居合を提唱。武術居合道を通じて平和理念を解きます。もしもしむすび協会会員

むすび frank(フランク) その01

2022-01-15 20:17:53 | welcome to the world of Touitsukai Iaido
土曜日の本日、稽古していて
ふと思った!

むすびをフランクに語ったらどうか?
そこで、何回かにわけて、
思うままに書いてみたいと思います。

僕たちは、
人間である限り、例外なくひとりだ(孤独)
そういうのが人間。

和歌山県の公立中学校で理科を教えているけど
孤独だ!

合気道を今日も指導していたけど
私は孤独です、いつも

社長も孤独
プロ野球選手も女優もユーチューバーも
みんなみんな孤独だから、そんなスタイルで仕事をしているから
素晴らしいものを生み出せる。

むすびは孤独だけれど
総てのモノや人や宇宙につながれる

それがむすびだ。
武術むすびだよ。

本日は刀一会の「刀法クラス」レッスン日

2020-11-21 09:14:01 | welcome to the world of Touitsukai Iaido
▢2020年11月21日(土)
▢レッスン会場 多治速比売神社道場(堺市南区)
▢刀法クラス
▢参加予定者 3名
▢稽古時間 15時~16時30分


なぜ鬼滅の刃が人気があるのか、その2.

2020-11-21 09:04:10 | welcome to the world of Touitsukai Iaido
《その2.》
・前回の続きですが
端的に言うと「ねずこ(妹)を人間にもどしたい」その意識の
シンプルさが
人の心を引き付けるのです。

その意識がストーリーの核、キモになっていています。
その意識がなぜたくさんの人を
共感(嫌味がないのか)させるのか
という哲学的な問題があります。

人の
意識の運用には、大きく分ければ2つあります。
1.)自分に向ける意識
2.)自分以外に向けられる意識

炭治郎 の意識はつねに、2.)です。
日本人は、
昔から「あさましい」などの
自我の極度に強いひと
自分自分と自己中のひとを嫌がります。
このあさましいというひとの意識は
常に意識を
自分に向けていることをさしています。
まぁ、そういう事で、
鬼滅の中心となるキャラクター達は
意識を常に外に外に向けている。
これが人気の核心となるところです。

武道(居合道)の場合の学ぶ意識
9つあり、当会ではその9つを教えます。
まず
自分に向ける意識「4つ」
外に向ける意識「5つ」
自分に向ける4つの意識は必要です。
それは「技」を作るためとtechnicを身につけるためにです。
外に向ける意識というのは、
カンタンに言えば「意識の使い方」=相手に向けた技の使い方

もっと言えば、相手に向けられた戦術にフォーカスするためです。
意識を極める。とキーワードとして
よく言うのは意識にも基本的な
学びが必要であるためです。

単に手の内を意識しなさい。といっても
刀を大切に扱いなさい。
と言ったとしてみても、
それだけでは生徒さんには伝わりません。
言葉には、
言葉を生徒さんに聞かせるだけでは意味なしなんです。
でも言葉は大事だし、相手の意識を確実に変えるものです。

それが
自分に向ける意識「4つ」の3番
「重」という意識です。
これをレッスンでやるだけで途端に自分に向けていた意識
から離れることのを持つことを知ります。

いわゆる自分のことしか考えられない
自我の強い(程度の差はあれ)ことへの方向修正に気付きます。
鬼滅の刃というアニメは
意識のシンプルさ
そのキャラクターたちの意識の純粋さに人は共感して
みるのです。







武道と錯覚してはいけない

2020-11-20 21:53:29 | welcome to the world of Touitsukai Iaido
居合道を習い始めたよ
合気道黒帯になったよ
空手道をやっているよ
武道をやっていると錯覚してはいけません。

これらは、昔から言われていますように
武道をやっているのではなくて
武道の道を歩いているといえます。
正確には「武道への道」を歩いている途上だといえます。

合気道を始めた人は、武道家ではなくて、武道への道半ばの人
刀を持ってまだ間がない人も同じ
空手をやっている子どもも同じ

でも武道をまったくやっていない
これっぽっちも武術武道経験のない方でも
武道的である(そういう精神)人はいます。
具体的な武術(空手道、剣道、柔道、合気道)を知らなくても
武道というくくりの中で生きている方はいます。

何が言いたいかというと
合気道を習わなくてもいいわけです。(状況によっては)
当会のような居合道場に来なくてもいいのです。
武道を欲する方には、
道場に通わなくても
武道家だと自分で思い込んでるひとより
世界では立派な武道家顔負けな素人がいます。

宗教と一緒です。
クリスチャンは、必ずしも教会に出かけて聖歌を歌い
そうじゃないのと似ています。
ここは話が長くなるといけないので
カンタンに言うと
信仰心は、聖書一冊あればいいという簡単な話です。
どこどこへ出かけていかなくても
格好をつけなくても
神は見ているよ、知っているよという世界があります。

武道もそれと一緒です。
ただし、道場が無駄だといっているわけでは
そんな単純な話をしているわけではありません。

武道の定義を知っているいないに関わらず
その武道の道を歩いて、武道の中身を掬い取り
自家薬籠中の物とするには道場であれ
以外であれ可能だというお話です。

もちろん、個別武道(居合道など)を修めることにこしたことは
ないのは言うまでもないコトですが
ただたんに刀を振っているだけでは武道には到達しない。
ただ日常生活を武道的に生きていても武道家と同じ精神の高みを
みる方もおられる。

では武道の定義とは、
それは私がここで書くまでもなく
立派な先達の方々が述べられていますので
割愛いたします。




写真で見る道場/その1/《多治速比売神社道場編》

2020-11-07 21:46:49 | welcome to the world of Touitsukai Iaido
当会のレッスン場"多治速比売神社道場"
を写真で紹介します。

⑴ 2020年1月3日の初稽古会より


⑵神社参拝前


⑶拝殿が見えます


⑷当会の稽古場
 桜の季節

⑸春の一コマ 稽古場(神館1F前より撮影)


⑺拝殿前での奉納演武(1月3日)