脱サラしたのは準大手に正社員勤務していた
証券会社から
34年前。
今はその選択が正解だったと思っています。
それは成功ではなく正解。
地獄でも天国でもなく
そんなことよりも、脱サラをした25歳の自分の決断を
いまの自分から褒めたいと思うほど
正解だったと思います。
今は、合気道、護身術、居合道と
非常勤講師の中学校勤務で生きています。
生きているというのは、
今をエンジョイしているということです。
人間として生活できることほど
幸せだと思わないと罰があたります。
売れっ子の芸能人は
幸せそうに見えますが
その素の人間をだれも相手にしてくれていない
幻の自分(世間が作り上げた“虚像”) に多くの人が
関心をもっていてサインを求めてくる
そういうことを心の底で実感し続けています。
実感すればするほど(有名になればなるほど)自分じゃなく
作られた商品としての自分を発見し、孤独感を味わい
寂しくなり
人間性に反した生き方という現実と向き合い続けなくてはいけません。
つまり、人間として生き難いのです。
むすびは、今を(現在を)生きることが大事だと教えます
その今を生きるというのは、
現在と向き合うということです。
回想とか昔話とか空想とか夢は
そう思い描いていることは現在を生きていないこととなります。
良し悪しのことをいっているんじゃなく
むすびという現象を言っています。
人は宇宙の中のチリの一つにしかすぎません。
肩書、作られた虚は社会の中だけのものです。
そんな社会的なものをはぎ取った個としての自分を
見つめたとき気が付きます。
ひとりの人間としてポツンと存在したとき
宇宙の本質(むすび、わび)をしらないと
意識が人の本質だ、根本だということに気づけません。
アニミズムです、究極の。
さて、本題の脱サラですが
20歳であろうが、30歳でも50歳でも決断ひとつです。
その時、なにを考えるかというと
後の収入のこと。
家族のこと。
世間体のこと。
仮面を脱いで素の自分だけになることへの恐れや不安
しかしそんな心配は私の経験上ありません、
なるように不思議となります。
それと、決断できた自分という誇りが後々の人生
寿命がつきるまでその事実は残り、ついてきます。
決断できずに諦めて
会社にしがみつくことを選択したら
収入はありますが、それ以上のものを失い
後悔はどこかで、心のそこで存在し続けます。
私は、脱サラを誰にも相談せず
ひとりで実行しました。
そのころはボーナスは100万を超えていました。
残業120時間もざらで
金銭的には何の心配もありません。
でも、脱サラ後は、
酒屋のバイト、溝そうじ、弁当の配達など
バイトをしながら学習塾を立ち上げそれなりの生徒さんが
きてくれるまで6年ほどかかりました。
その間に武術を習い
現在に至って、刀一会(居合道教室)や合気道(鴻心館館長)を指導できて
悔いのない人生を送れています。
ただし自分は成功したとは思っていません。
すきなことが出来ているという満足感があるだけです。
学校の非常勤でも
自分の思うように授業をしています。
もちろん公立学校ですから
カリキュラムは守っていますが
授業で生徒の意識を見て指導するというtechnicは
武術むすびと同じものです。
脱サラは、リスクを伴います。
脱サラで成功する方が少ないです圧倒的に
脱サラは、丸裸になって寂しい思いもあります。
でも、しかしです
決断した自分へは、神様は最後の最後には味方してくれると
今は心から信じられ思います。