平成29年3月30日 富山新聞掲載
キッネのお医者さん
山おくの集落にアスファルトの道路がありました。
その道路で子ギツネが自動車にひかれ、死にそうなくらいの大ケガをしました。
子ギツネが道ばたでたおれているところに、集落のおじいさんが通りかかりました。
「こりゃ大変だ、はやくお医者さんにみてもらわないと死んじゃうよ」といって車に乗せ、町のじゅう医さんにかけつけました。
レントゲンをとり、ほねの折れている部分を確にんして、てんてきをしてもらい、おじいさんの家につれて帰りました。おじいさんはおばあさんと二人でくらしていました。
それから一週間くらい、てんてきのちりょうに通いました。そのかいがあって大分よくなり、牛にゅうが飲めるようになりました。それから一ヶ月くらいで、すっかり元気になりました。
子ギツネは山に帰って行きました。
おじいさんとおばあさんは子ギツネがいなくなって、とってもさみしい思いをしていました。
子ギツネがいなくなってから十日ぐらいたったある日の朝早く、おばあさんがげん関から赤ちゃんのなき声をききました。
そこには竹かごにほし草をしき、その上に赤ちゃんがのっていました。
おばあさんはおじいさんと相談し、その赤ちゃんを健太と名づけて育てることにしました。健太は、おじいさん達の手伝いはよくするし、学校のせいせきも、先生がビックリするくらいにとっても良かったのです。
中学、高校へと進学しても、ますますその成績が良くなりました。
大学への進学に当たり、おじいさん達に山の集落の医師になることを約束して医学部に進学しました。
そのときには、おじいさん達の年れいは八十を過ぎて、もう元気に仕事をすることはできなくなっていました。健太はときどき大学から帰ってきて、山の薬草を採取しました。
おじいさん達がその薬草を食べると、若者のように元気がでて健康になりました。
健太は大学を卒業して山おくの集落に帰り、病院をつくりました。
その病院はよその病院で、もう治らないと言われた病気でも治してくれました。それが評判となり、全国から多くのかん者さんがやってきました。
しかし、ちりょう室には健太は一人で入り、ほかの人にはちりょうの方法を見せることはありませんでした。
健太は、以前に命を助けられた子ギツネでした。おじいさん達に恩返しをするために、人間に変身し、人間の医学とキツネのもつ不思議な力を利用して、病気を治していたのです。
おじいさんとおばあさんは百さいまで元気に過ごしました。
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