目標は、沖縄のおじいやおばあの前で
パッと弾けること
―――Taisyoさん
金沢美大に在学中、部活で沖縄三線に触れ、就職で上京。
その間、ずっと金城盛長先生に師事して15年。
東京横浜三線道場の名デザイナーとして、
手がけたパンフレット、手ぬぐい(ティサージ)は数知れず(写真の手ぬぐいもそのひとつ!)。
通称「Taisyo」に熱く語ってもらいました。
お祭りやお寺で演奏した学生時代
-学生時代、三線を部活動でやっていたそうですが、そのきっかけは?
アコースティック系のカントリーとか、フォークとか、音楽、とくに生音を聴くのが好きで、大学に入ったら何かしら楽器をやってみたいと思っていたし、映画「ナビィの恋」やNHKドラマの「ちゅらさん」、BEGINが「オモトタケオ」をリリースしたりと、沖縄的なものが世間で盛り上がっていた背景もありました。
海から遠く離れた場所で育ったので、真っ青な海のイメージがある沖縄に対するあこがれも心のどこかにあったのだと思います。
三線の部活に入ったのは、ある日、体育館の2階の部屋から、部活の先輩たちがヒヤミカチ節をやっていたのが聴こえてきて、むちゃくちゃカッコイイな、と思って。
-その当時から、定期的に金沢に指導に行かれていた金城盛長先生とそこで出会ったんですよね。
どんな部活動だったのですか。
金城盛長先生に来ていただいていたので、最初から「白保節」や「新川大漁節」をやっていました。
あとは、「十九の春」「ハイサイおじさん」とかですかね。…ただ、ほぼ弾けないですから、出だしとかだけですね(笑)。
能登に公演に来た古謝美佐子さんに「僕ら金沢で三線をやっているんです」と言うと宿に招いてくれて、古謝さんの曲をいっしょに弾いて教えてもらったこともありました。
文化祭で発表するために練習したり、地域のお祭りに呼ばれたり。
大学の近くのお店の人が学祭を見に来てくれていて、「うちの店でもやってよ」とか。
お寺で「太陽(てぃだ)ぬパーリー」と銘打って自主公演をしたり。
まあいろんなところでやりましたね。小さなステージですけど人前で弾く機会は結構ありました。
追い出しコンパでは深夜、金沢の商店街で半裸の男たちが「新川大漁節」を歌いながら卒業生をかついで投げたりして、すげぇ迷惑ですよね(笑)。
初めての八重山旅行で
心にくさびが打ち込まれた
-大学在学中の初めての沖縄旅行がいきなり八重山でした。
主に石垣島と竹富島です。BEGINの「竹富島で会いましょう」の影響で、とにかく「竹富島に行きたい」っていう気持ちがあって。
先に部活で三線に触れてはいましたが本当にくさびが打ち込まれてズドンってきたのは、沖縄に行ったのが大きかった。三線をかついで行くと、島の人によく声をかけてもらえます。
いろんなところで「弾いてみろ」とか言われる。
でも弾けないじゃないですか。
それで、弾けたらいいなと思ったんです。
三線って楽器なんだけど、コミュニケーションツールみたいな。
海外に行ったときに英語をしゃべれるといいな、みたいな感覚です。
石垣島で居酒屋に行くと、酔っぱらったおじいが店に飾ってあるお面をパカッとはずしてかぶって踊りだすわけですよ。それがメチャクチャ上手い。
本場なのだから当たり前だけど、踊りも音楽もすごくよかった。
地元の人が勢いで弾いている三線が、生活に根ざしてる感じでなんかいいなあって。
-好きな島唄は?
多すぎて決められません(笑)。でも、あえて言うなら「とぅばらーま」でしょうか。
初めて聴いたとき、こんなに少ない音数と短いことばでこんなにも美しい音楽ができるんだ、ととても衝撃を受けました。
その昔、農作業の帰り道に掛け合いで唄われたという歴史とか、歌詞が無数にあって、
今も大事に歌い継がれていることとか、とてもロマンがあって、自分の中で島唄を象徴する曲ですね。
学生時代の八重山旅行。川平湾近くの待合所にて
学生時代。石垣島の宿で。
自分が好きなものを同じように
「好き」と言ってくれる仲間がいる
-東京で就職してからは、東京横浜三線道場に移って続けています。
金沢時代から金城盛長先生に教わっていたので、東京横浜三線道場に移っても違和感はありませんでした。
師匠がいないと沖縄ポップスで終わってしまうところが、ちゃんとした民謡を教えてもらえる。
金城盛長先生がいらっしゃるから、三線を続けられるのだと思います。
いま、家から2時間くらいかけて稽古に通っているのですが、通える範囲だし。
-金城盛長先生のどのようなところに魅かれますか?
まじめだけど自由というところですかね。伝統は守る、でも音楽って自由なものだという。
-これからの目標を聞かせてください。
「早弾き」というと沖縄本島の民謡というイメージが強いですが、八重山民謡にも中テンポの明るい軽快な曲がたくさんあるので、もっと知りたいです。
もちろん「とぅばらーま」のような大きな曲にも、長い目で挑戦していきたいです。
あと、自分の課題としては、イベントなどでその場の雰囲気に合わせて喜んでもらえる曲を弾けるような、「現場力」も身につけていかないといけないな、と思っています。
-「現場力」ですかあ(遠い目)。どんどんイベントに出たりして、みんなで高めたいですね。
ところで、昨年は琉球民謡音楽協会の民謡コンクールでも最高賞に合格しました。
新人賞は2回目、優秀賞は3回目で合格したので順調じゃなかったです。
でも落ちてもへこむことはなかったですね。
コンクールは自分の唄三線の悪いところを確かめられる場ですが、コンクールで賞をとることが目標ではありませんでした。
僕の最終目標は、沖縄に行ったときにおじいやおばあがいて、お酒を飲んで盛り上がったときにパッと弾けることですから。
-なるほど、やはり「現場力」ですね。
改めて、東京横浜三線道場の良さはどんなところだと思いますか?
まず、というかそれが全てですが金城盛長先生から本物の沖縄民謡を生で聴け、対面で教えていただけるということ。
先生の人柄や指導方針、思いがあるから東京横浜三線道場も続いているのだと思います。
社会人になると、目標がないと続けにくいものですが、発表会や、試験など、自分の位置を教えてくれるイベントがいろいろあるのも良いと思います。
それでいて雰囲気はおしつけがましくなく自由です。
じつは、東京に出てきたばかりのころ、関東のことをよく知らなかったのですが、どこに何があるとか、どこで何が売ってるといったことも、三線道場のお姉さま方にたくさん教えてもらいました。
というか皆さんいい意味でおせっかいです(笑)。
-ああ(笑)。「お姉さま方」はオトナなのでいろいろ知ってますからね。
お姉さま方は民謡のCDもたくさん持ってるし、沖縄についても「ここに歌碑がある」とか「どこの店がおいしい」「こういうルートで行くといきやすい」とか細かい現地情報をたくさん持っている。
その情報の濃さはすごいですよね。もはや沖縄に家まで持っている方もいらっしゃるし(笑)。
-確かに(笑)。
学生時代はともかく、社会人になるとなかなかそういう情報が入ってこないので、すごく貴重なんですよ。
どんな趣味の世界も一緒ですけど、マニアックな話が通じる仲間がいるというのはいいですよね。
自分が好きなものを、同じように好きと言ってくれる人が周りにいるのは、とても素敵なことだと思います。
金城盛長先生が指導する東京横浜三線道場は、随時会員募集中です。
あなたも三線を学び、島唄を楽しみませんか?
【見学希望・入会についてのお問合せはメールでどうぞ!】 info34n@gmail.com
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