2人目は、沖縄音楽ファンとしてのキャリアの長さは当道場トップともいえるHさんです。
もっぱら「聴く」側だったHさんは、
いつしか三線の音色に惹かれ、当道場に入って「弾く」側へ~。
―沖縄音楽にはまったきっかけは。
もともと、演劇を見るのが好きだったんだけど、20年ほど前、たまたま観た芝居に平良とみさんが出ていて、その劇中歌を若かりし頃の新良幸人さんがバックで歌ってたのね。まだパーシャクラブ結成前です。「すごくいい声だなあ」と思ったのがきっかけで沖縄の音楽を聴くようになり、時々沖縄にライブを聴きに行っていました。
1998年ごろ、石垣島の民謡酒場「安里屋」で。
左はタイニードラゴン(高幡不動)の森久保慶子さん。
―沖縄にライブを聴きに?海とか観光でなく?それはまたディープな(笑)
ライブが主。次の日、もし時間があれば観光に行こうかな~みたいな(笑)。
当時、パソコン通信の「沖縄掲示板」に入っていて、ライブやイベントの情報をいろいろ教えてくれたのが、若狭道場のF原さんでした。
あ、東横道場のS崎さんもいましたよ。…なんて言っちゃっていいのかなあ。
――ええ、全然構いまセン(きっぱり)。
それで、那覇に新良幸人さんのライブを見に行った時にF原さんに会って、その後お稽古を見学させてもらい、盛長先生に初めてお会いしたんです。それが16,7年前でした。
―盛長先生もまだ30代半ば。もしかして今よりスマート?
・・・笑顔は今と変わらないです(笑)
実はかくれおとぼけキャラ?
―それにしても、「パソコン通信」とはこれまた懐かしい響きですね。
当時のパソコンって今のように一般的ではなかったというか、ハードル高かったでしょ。失礼ですが、HさんがそんなにITに強かったとは、意外でした。
大学時代の先生から卒業後も引き続きパソコンを教えてもらっていたんです。
インターネットが始まる前で、先生もメーリングリストの実験要員が必要だったんですね。
―話は変わりますが、好きな島唄は。
ずっと聴いていたのは「小浜節」や「月夜浜節」などの八重山民謡です。新良幸人さんの長年のファンだし、以前大島保克さんが東京在住の頃は、追っかけをしていました。
―2012年は琉球民謡音楽協会のコンクールに挑戦、「でんさ節」で新人賞に合格しました。
「でんさ節」は発表会やイベントで何度も歌っていて、そのノリで「みんなで受けようよ!おー!」みたいな感じで挑戦したんです。コンクールって全員が受けなければいけないものではなく、盛長先生も「受ければ勉強になるよ」とはおっしゃるけど、強制はなさいません。
…実は、コンクールを一度見学して、すっごく緊張してる人の姿も見ていた。だから、うかつに、というか気軽に受験してはいけないものだと思っていたんですよ。自分が勉強してよほど大丈夫!と思えるようになってからでないと受けちゃいけないと思っていたんです。
でも、東日本大震災があった。
出身は福島なのですが、あの地震で「やれる時にやっておかないと」という気持ちになりました。まあ、もう10年も習っているのだから、1度くらい受けてみてもいいかな、という気持ちもあったし。
―東横道場メンバーのなかでもキャリアは長い方ですものね。
でも、人前で歌うのはやっぱり緊張して大変でした。みんなで歌うのと違って、独唱は一音一音正確に歌わなければいけないし、勉強になりましたよ。
2010年の金城盛長三線教室合同発表会で。
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