下記随分前に投稿していた記事ですが、間違箇所がありましたので訂正しました。保健所→市役所です。申し訳ございません
多くの方が見ていただいているということは、それだけの数「末期がん 在宅看護」をおこなっているか、考えているか・・だと思います。不安・迷い・恐怖いろいろあるとは思いますが、大変な状況だからこそ地に足をつけしっかりと頑張って下さい。簡単なことではないのは、経験上十分に承知しています。でも動揺ばかりしていたら「今出来ること」が、不安・迷い・恐怖に埋もれ出来なくなってしまう事もあります。深呼吸をして、現実を受け止め・・そして「今出来る事」を頑張って下さい。心より応援しています。
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父が亡くなってあっという間に1年が過ぎました。ずっと書こうと思っていた「末期がん 在宅看護」。在宅ホスピスともいわれています。病院ではなく、自宅で末期癌患者の緩和医療をおこない自宅で旅立たせる。。父亡き後ある看護師の方とお話をしたときの事、「在宅看護を勧めても、説明の途中で“無理・出来ません”と言われるんですよね。。家族に負担がいくことは十分にわかっているので無理は言えないんですが、末期癌患者を自宅で看取ることが特別な事という感じになっていて。。」と、言われていました。なので、わかりやす在宅ポスピスの流れを説明いたします。癌の種類・症状・患者本人の性格etc無理な場合もありますが。。ご参考下さい。
胆管癌により肺・腎臓etc全身転移 余命3ヶ月告知後
訪問看護可能病院選び
ケース1:癌を治療している病院のソーシャルワーカーさんに相談。手続き・連絡などお手伝いしてくれます。
ケ-ス2:自力で探す。。。私はこちらでした。余命宣告されたその日、父から「自宅で逝きたい」とお願いされ、速効ネットで病院探し。症状によりどうしても自宅が無理な場合も想定できたので、ホスピスがあり訪問看護ができる癌に詳しい病院を探しました。ホスピスがある病院はだいたい訪問看護も実施しているようです。ここだと思った1件にTEL、ホスピスの環境が希望と少し違ったので2件目にTEL、希望に近い感じだったので下見と受診を予約。抗ガン剤治療中でしたが、抗ガン剤中止と同時に訪問看護をスタートするには治療中の病院と訪問看護予定病院と2件平行して受診をするのがいいと判断して、その旨治療中の病院に連絡。血液検査の結果・レントゲンの結果etc双方の病院で共有してもらうようお願いいたしました。
市役所に行って介護保険も同時進行
在宅看護になった場合、電動ベットが必要です。その他症状になり歩行器やおまるetc器具とお風呂etc介護も必要になるので、治療中でも介護保険を早めに申請。通常1ヶ月かかります。市役所窓口で“末期癌”の旨お話すると、段取り・流れをわかりやすく説明してくれます。
訪問看護開始
訪問看護病院のソーシャルワーカーさんと連携して速効電動ベットを搬入依頼・翌日搬入OK。介護保険が要支援1だったのでこの時点では実費。でも1ヶ月約2500円と安いです。自宅へ訪問看護専門のお医者さん・看護師さんが来られてご挨拶。ソーシャルワーカーさん・看護師さんと電話で密に連絡を取り、訪問看護開始。
自宅に一緒にいる家族は体力必要?
24時間電話に出られる状態でしたが、私は朝から夜中まで仕事。家にいるのは、心臓に持病のある体重40キロの母親だけ、もちろん痩せたといえ父を支える体力はありません。出来ることは電話をすることだけ。なので母又は子機を使い父私ソーシャルワーカーさん・看護師さんの携帯の連絡網を作り、必要に応じて自宅へ(30分以内に行ってくれます)行っていただくようにお願い。必要迫られた場合、救急車(消防署・訪問看護病院は徒歩圏内でした)を利用して訪問看護病院への入院も考えていました。
仕事のためほぼ毎日深夜帰宅でしたが、帰宅後父と話をするのも大切。必ず起きていて。。今日こんな野鳥が来たぞ、今日は体調がよかったから○○さんとこの畑に行ったら○○さんが「王様が来た~」と言って椅子を持ってきてくれて山々を見ながら喋っていると○○さんもやってきて1時間以上喋っていた(近所の方々はみんな父の余命を知っていました。。本人が「お先に失礼いたします」と挨拶にまわったので。。こんな最後の最後まで明るくおおらかな父親でした)etcその日どの様に過ごしたのか聞き、痛みの具合 痛いところはないか?痛みがある場合、どこがどの様にいたいか?を聞き、翌日看護師さんの携帯へその事を報告。お医者さんと相談の上、モルヒネの種類を変えたりして対処していました。
在宅看護に必要なもの
経験したから言えること。。それは覚悟!日に日に痩せていく姿、失っていく体力。。昨日できたことが今日は出来なくなっている現実。。。を受け入れ患者本人が楽しく快適に1日でも1時間でも長く今を生きられるように全力でサポートするには覚悟が必要ようです。
父はお医者さんから質問される度に「娘に聞いて下さい」と、言っていました。「こらこら丸投げかい!」と言うと「任せた」と一言。ない覚悟もしなくちゃいけなかった訪問看護でした。
父が喜んでいたこと
自宅にいて一番心を落ち着かせていたのは、日常の音。。。そう父は言っていました。冷蔵庫の音・お湯が沸く音・インターホンの音・新聞配達のバイクの音・母と私の口喧嘩etc「あ~家にいるんだ」と安心した気持ちになると言っていました。
自宅が大好きだった父。ある日帰宅すると「お医者さんから入院しないとダメだって言われた。。」と子供の様にしょげて意気消沈していました。翌日ソーシャルワーカーさんにTELして入院しないと絶対ダメなのか、危険度が五分五分なら自宅でお願いします!覚悟は出来ています。。。と連絡。結果自宅でOKをもらった直後父からTEL、「自宅でいいって~」子供のようにはしゃぐ父の声。明るい父の声を聞きながら、本当にいろいろな意味で覚悟しないといけないな。。と思ったことを憶えています。
時々TVなので壮絶 末期がん 自宅看護 と放送されていますが、うちの家族の性格なのか?患者である父がのんき者だったせいか?確かに不安・恐怖はありましたが、壮絶とは違い楽しい・嬉しいが沢山あった自宅看護でした。腸閉塞も発症して嘔吐を繰り返していた時、バケツに吐いている父の横で「ゲロ・ゲ~ロ ゲロ・ゲ~ロ」と蛙の鳴き声をマネしていると父がむせてブッハ~ 「キャー」と大騒ぎ。。で大笑い。保健所・病院・看護と奔走している私を父はご近所に「うちの鬼姑口うるさくて~」と。。。近所のチクリで聞いた私が「こら~なん近所に鬼姑とか言うとか~いい娘で。。と褒めるとこだろうが!」というと「そんなところが鬼姑やろうが~」と不自由な体で逃げ惑い、聞いていた看護師さん大笑い。沢山の変な親子喧嘩を看護師さんに見られてしまいました。
最後の日の深夜、一緒に父の大好きなソファに座り「よく頑張ったね~」と父の頭をナデナデ。完了形を口にして自分でもビックリした事を憶えています。翌日、「私が帰ってくるまで逝くなよ~」と言うと「おぅ~」と返事。しかし昼頃嫌な予感がしたので兄に電話をして会社を早退してもらい自宅に帰ってもらった2時間後、兄・母に看取られながら本当に静かに旅立ちました。2日前迄玄関先で日向ぼっこをして逝く寸前迄普通に会話をしていた父。末期がん患者として恵まれた逝き方だったと思います。
私は、無宗教です。父が死に対して恐怖を極力感じないよう私なり何度も口にしていた言葉があります。「知らない場所に旅立つと思うから死は恐い。でも、生まれる前にいた場所に帰ると思ったら恐くないでしょ?」と。。そして何度も「恐くない?」と聞いていました。もし「恐い」と返事が来たら嘘やハッタリでもなんでもいいから口にして恐怖を和らげるつもりでした。しかし最後まで少し考え「恐くない」との返事。後に看護師さんから聞いた話、看護師さんも死を前にして飄々としている父に「恐くないんですか?」と聞いたことがあったそうです。そしたら「恐くないんですよね。娘のおかげかな・・」と言ったそうです。私の言葉も少しは効力があったのかと、少しホッとしました。でも死を受け入れるのに一番に力になってくれたのは、自宅・周辺の環境だったとおもいます。父は自宅看護中でも、よく外に出ていました。先に述べた○○さんの畑に行き、父の為にそこが定位置となった椅子に座り一人で大好きな山々を見て静かな時を過ごし父なりに死と向き合い受け入れ笑顔となり闘病していたのだと思います。
在宅看護がベストだというわけではないと思います。本人の性格・環境etcで病院・ホスピスと選択はいろいろあります。しかし覚悟さえあれば在宅看護は特別なことではなく、やってやれないことはない!と、もし読んでくれて感じてくれたら嬉しいです。多分父も喜んでくれると思います。