2月11日は建国記念の日である。その由緒は昨年のBlogに書いた。祭日である以上意識には上がる。
では2月7日はご存じか?この日は北方領土の日である。安政元年(1855年)12月21日を新暦に換算した日に当たり、この日に、伊豆下田で日魯通好条約が調印され、日露両国の国境が択捉島とウルップ島の間と定められた。北方四島(択捉島,国後島,色丹島及び歯舞群島)が日本の領土として確定したのである。実質的にも多くの日本人が既に北方四島に居住していた。
その後、樺太千島交換条約(1875年)で、千島列島は日本領、樺太はロシア領となった。注意すべきは、ここでいう千島列島とはウルップ島以北の18の諸島であり、すでに日本領であった北方四島は北海道の一部とみなされていた点である。更に、日露戦争後のポーツマス条約(1905年)で日本は南樺太を得た。しかし、1945年8月9日に日ソ中立条約を破棄して参戦したソ連は、講和条約(9月8日)までに南樺太と千島列島だけでなく北方四島も占拠してしまった。
終戦から5年後(1951年)、連合国と結んだサンフランシスコ(SF)平和条約で、日本はポーツマス条約で得た南樺太と諸島を正式に放棄した。しかし、北方四島はポーツマス条約前から日本領であり、放棄する諸島には含まれていない。対するソ連は、米軍の日本駐留等を不満とし、SF平和条約の調印を拒否した。そして今もなお、調印拒否と実効支配を続けている。憲法改正で領土の非割譲を定め、宇露戦争も始まった今、この不法占拠を糺す機会はさらに遠のいた。
もう一つの不法占拠は、竹島である。ちなみに竹島の日も2月で、22日である。この日は、1905年に島根県が編入を正式に告示した日である。それより前から、竹島は日本が実効支配していた。終戦後のSF平和条約では、日本は済州島、巨文島、鬱陵島を放棄し、竹島は日本の領土であることとなった。ところが、同条約が発効する直前に、李承晩が一方的に竹島を韓国側水域に組み込み、1953年4月には民兵組織が進駐して実効支配した。その状況が今も続いているのである。
この事態を覆すのは困難であることはわかる。しかし、この不法占拠を国内外の世論に訴え、事実関係を子供たちに教え続けるべきある。個々の国民も、現状が不法占拠であることを肝に銘じ、返還の日まで子や孫に言い伝えることはできる。これらの姿勢を明確にするには、呼び方が重要である。「北方領土」などといかにも北の国ロシアの領土のような呼び名は止め、「北海道ロシア不法占拠地」などが適当である。竹島も、「島根県韓国不法占拠地」などと呼ぶべきである。
他に不法占拠はないのか。その危険が尖閣諸島に迫っている。学術的な調査、自衛隊の臨時駐留、灯台の建設などで、実効支配の体とすることができるはずである。また、合法であるにせよ、外国人による日本国土の買収が進んでいる。国土あっての国であるところ、この事態を放置するとは、政治の不作為も甚だしい。米国による基地利用も、国防のため背に腹は代えられぬが、外国への国土供与である。日本人は、国土を取り戻すという意志も気概もなくしたのか。