武漢ウイルス感染症(WARS)の起源に関する最近の米国の調査結果では、かの研究所からの流出か動物からの感染かは未決であった。生物兵器製造の疑惑は否定的である。重要な結論は、より確実な結論を得るには中共国の情報提供や調査団の受け入れが必要とされた点である。十分な根拠はないが、最もあり得る経緯は、何らかの遺伝操作を杜撰な管理体制で行い、うっかりウイルスが流出したのであろう。
拒否的な情報公開、隠蔽体質は指弾された。事実2019年10月頃から原因不明の感冒が流行していたが、その情報を隠蔽していた。医学の徒として流行に警鐘を鳴らした医師は処罰された。しかし、噂は国民の中を走っていたのであろう。道理で、その頃から中国人旅行者が日本を含めて各地でマスクの買い占めをしていたわけである。ここでは、報告書の正否は議論せず、この間の中共国側の行動に焦点を当ててみたい。
まずは、疑惑が上がった時には、それを認めず、更には強く徹底的に否定した。その否定する表情には、嘘をついているという陰りはなかった。金銭か別の手段で籠絡したらしい第三者や権威筋に否定的見解を述べさせた。それでも追及が続くと、米国が政治的な目的で武漢起源説を唱えていると陰謀説をぶち上げた。同時に、WHOへの寄付、諸国へのマスクやワクチンの提供、強圧的な手段での感染制御などで信用度を上げようとした。
更には、米・伊・西・豪・日起源説を繰り出し、中共国への批判をコピペして批判を繰り返した(以前のBlogでも述べた:文末)。最近では、米軍のアフガン撤退に乗じて、WARSに関する米国情報の信用失墜を図った。調査結果の発表を受けても変わらず、これらの手法とともに、とにかく否定に次ぐ否定を繰り返すことだろう。嘘も百万回繰り返せば、聞かさせる方も情報の嵐に吹き飛ばされ、それが真実になることを狙うのである。
この一連の手法は、不利なときに逃げ切る手としてスパイ教育で使われるらしい(ADDCRといわれる)。AはAdmit nothing(一切何も認めない)、DはDeny, deny, deny(繰り返し強く否定する)、DはDiscredit others(相手を中傷して信頼を失墜させる)、CはCounter-allegation(根拠もなく反訴する、責任転嫁する、焦点をずらす)、最後のRはRepeat pitch(強弁を何度も繰り返す)とされる。
要は、「恥も外聞もなく嘘をつき、でっち上げで相手に難癖をつけ、最後は嘘八百を叫び続ける」ということである。都合の悪い話は無視し、話をすり替え、嘘をつきとおす。これは、日本人には理解不能の世界である。本人たちも、嘘を繰り返すうちに嘘が本当に感じられ、説得力は更に上がる。自説に否定的な根拠や主張は問答無用で潰すとなれば、逆らう者は拷問しても再教育する、転向しない者はこの世から抹殺するのが必然となる。
事実を事実と認めない、事実を結論に合わせるという発想は、歴史問題の解釈にもみられる。「こうあるべき」が前提にあり、それに合わせて歴史を解釈する。この儒教的な観念論は、聖書を絶対正義とした欧州の中世を想起させる。これに囚われる限り、科学の進歩・発展は阻害され、近代化は起こらない。人々の信頼関係も醸成されない。最後は社会を崩壊させ、自滅に追い込まれることだろう。同じ傾向が朝鮮半島の住民にも感じられる。
事実を事実として認めないと、科学は成り立たない。中共国や韓国にノーベル賞受賞者が少ないのも頷ける。日本人に受賞者が多いのは、正直さの文化があるからだろう。進化論的には、日本では正直者が生存に有利であった(正直者でも生き延びられた)のに対して、大陸では嘘つきが生存に有利であった(生き残るために嘘をつかざるを得なかった)ということである。その結果、嘘つきの遺伝形質や文化が蓄積されたのか。
ちなみに、ADDCRの中では3番目のDと次のCが高等戦術である。追及者の(本筋でなくても)落ち度や間違いを責め立て、論点をぼかす手である。追及に別の魂胆がある、追及の意図が中傷や差別だと言い立てるのは、更に高等である。倫理的な問題にすり替え、追及者に道徳的な引け目を感じさせ、正当性を得るのである。この術に嵌ると、いつの間にか自分が悪者になってしまう。相手の手口を知り対抗することが肝要である。