日本の山々は修験道場だった。例えば、恐山、男鹿三山、出羽三山、甑岳、蔵王山、八海山、日光三山、妙義山、三峰山、武蔵御嶽山、高尾山、武州大山、大雄山、箱根山、戸隠山、御嶽山、白山、立山、伊吹山、金剛山、大峯山、伯耆大山、石鎚山、剣山、英彦山、脊振山、九重山、阿蘇山などだ。
まずは聖人(仏教僧、猟師など)が啓示を受けて山中に神霊を祀り、それを敬拝する者が修行と布教の修験に励み、遂に大衆を巻き込む社会現象にまで発展した。特に大峯山、出羽三山、英彦山は日本三大修験霊場とされている。日本三霊山は、富士山を一山とし、立山、御嶽山、白山からの二山とされる。
大峯山とは吉野から熊野に続く霊山の総称(狭義には山上ヶ岳)だ。修験道が生まれた地でもある。開山は7世紀の役小角とされ、平安前期に聖宝が中興した。金峯山寺の蔵王権現を本尊とし、特に皇族や貴族の信仰を集めた。12世紀に奥駆け道で熊野まで繋がり、その険峻で長大な霊場は世界遺産となっている。
出羽三山とは羽黒山・湯殿山・月山だ。各山に権現が祀られ、鳥海山や葉山とも一体なり霊山群を成した。羽黒山は推古元年(593年)、崇峻天皇の蜂子皇子の開山とされ、江戸初期に天宥が中興した。月山には山中に地獄と極楽が現出され、湯殿山では温泉の湧く巨岩(出湯権現)を拝し即身仏を祀っている。
英彦山は、継体天皇25年(530年頃:仏教公伝前)に魏の僧善正を師と仰ぐ忍辱(にんにく)が開山したとされる。アメノオシホミミ(アマテラスの長子)を主祭神とし、平安中期に増慶により中興され、西国の修験道の拠点として栄えた。洞窟修行を特徴とし、宝満山や権現山までを修験道の場とした。
富士山以外の三霊山では、立山の縁起は大宝元年(701年)に慈興が山中に阿弥陀三尊を仰ぎ見たことに始まる。浄土信仰の影響を受け、雄山を極楽浄土、地獄谷を地獄、ミクリガ池を血の池、剱岳を針山地獄と見立てて死後の世界を現出した。芦峅寺や岩峅寺を拠点とする活発な布教活動で栄えた。
御嶽山の開山は大宝2年(702年)に役小角によるとされ、厳格な潔斎を特徴とした。江戸中期の覚明や普寛がその簡略化を図り大衆化が進んだ。白山では崇神天皇7年(3世紀後期)にククリヒメを祀る遥拝所が創建され、開山は養老元年(717年)の泰澄とされる。広く信仰され白山神社は2700社余りある。(続く)