見出し画像

支流からの眺め

日本神話(5)疑問に思うこと

 日本神話には疑問が多い。なぜ国生みが淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の順なのか。高千穂がニニギの降臨の場で日向が神武の出立の地なら、九州が始めだろう。天孫族の日本上陸が淡路からとすれば、後に淡路から九州に移動したのか、または九州の民が淡路に来たのか。

 黄泉の国は死後の国で、主宰神たる黄泉津大神はイザナミだ。そこは不浄の地だが魂は生き続け、現世とは黄泉平坂で繋がるようだ。この想定は、死体への嫌悪感・不浄感と霊魂不滅の信仰を並立させている。他の宗教が唱える天国や地獄とも異なる。これが日本人の元々持っている死生観なのか。

 三種の神器は八咫鏡、八尺瓊(やさかにの)勾玉、天叢雲剣(=草薙剣)だ。鏡と勾玉は岩戸隠れの際に玉祖命が作り榊の木に掛けたものだが、剣は出雲のヤマタノオロチの尻尾から切り出したものだ。切りつけた天羽々斬(あまのはばきり、別名は布都斯魂で布都御魂と異なる)の方が相応しくないか。

 アマテラスの権威が今一つだ。御霊は崇神の御代に大王の館から出され、伊勢に落ち着くまで数十年も彷徨した。道鏡事件の際に神託を求めたのは伊勢でなく宇佐だった。男系皇統の祖が女神でいいのか(男神説もある)。逆に太陽神や女神こそが最高神らしいのか。

 スサノオも謎が深い。母恋しでゴネル小児期、乱暴狼藉の青年期、追放後の成熟期、後継者を育てる老成期と変遷し、複数の人物の合体をも思わせる。農地荒らしや馬の皮剥ぎ、スサノオの娘(宗像三女神)が半島に続く玄界灘の島々に祭祀されるなど、大陸由来の人物がそこに含まれているのか。

 ニギハヤヒも妙だ。血筋は正しく(ニニギの兄)、ニニギに先立ち天磐船で降臨しヤマトの支配者となったのに、そのヤマトを神武に譲っている。三貴神のツキヨミも出生の記事だけだ。魏志倭人伝にある卑弥呼や邪馬台国は全く書かれていない。隠したい事情でもあるのか、関係が乏しいのか。

 ニニギの降臨の地も変だ。出雲から国を譲られての降臨なら出雲に降り立てばいいはずだ。なぜ高千穂なのか。征服の過程も、勇猛に征伐したというような血生臭さは薄く、被征服側はアマテラスの威光に従ったという話だ。この国譲りと出雲の国については、次に考えてみたい。(続く)

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

サムライ鉄の道グローバル
それにしても古事記はすごいよな。ドイツの哲学者ニーチェが「神は死んだ」といったそれよりも千年も前に女神イザナミ神についてそうかいてある。この神おかげでたくさんの神々を生まれたので日本神話は多神教になったともいえる。八百万の神々が出雲に集まるのは、国生み・神生みの女神イザナミの死を弔うためという話も聞いたことがある。そしてそこから古事記の本格的な多神教の神話の世界が広がってゆくのである。私の場合ジブリアニメ「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」「天空の城ラピュタ」などのの感想を海外で日本の先進的な科学技術との関連をよく尋ねられることがあった。やはり多神教的雰囲気が受けるのだろうか。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日本の歴史」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事