日本神話には疑問が多い。なぜ国生みが淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の順なのか。高千穂がニニギの降臨の場で日向が神武の出立の地なら、九州が始めだろう。天孫族の日本上陸が淡路からとすれば、後に淡路から九州に移動したのか、または九州の民が淡路に来たのか。
黄泉の国は死後の国で、主宰神たる黄泉津大神はイザナミだ。そこは不浄の地だが魂は生き続け、現世とは黄泉平坂で繋がるようだ。この想定は、死体への嫌悪感・不浄感と霊魂不滅の信仰を並立させている。他の宗教が唱える天国や地獄とも異なる。これが日本人の元々持っている死生観なのか。
三種の神器は八咫鏡、八尺瓊(やさかにの)勾玉、天叢雲剣(=草薙剣)だ。鏡と勾玉は岩戸隠れの際に玉祖命が作り榊の木に掛けたものだが、剣は出雲のヤマタノオロチの尻尾から切り出したものだ。切りつけた天羽々斬(あまのはばきり、別名は布都斯魂で布都御魂と異なる)の方が相応しくないか。
アマテラスの権威が今一つだ。御霊は崇神の御代に大王の館から出され、伊勢に落ち着くまで数十年も彷徨した。道鏡事件の際に神託を求めたのは伊勢でなく宇佐だった。男系皇統の祖が女神でいいのか(男神説もある)。逆に太陽神や女神こそが最高神らしいのか。
スサノオも謎が深い。母恋しでゴネル小児期、乱暴狼藉の青年期、追放後の成熟期、後継者を育てる老成期と変遷し、複数の人物の合体をも思わせる。農地荒らしや馬の皮剥ぎ、スサノオの娘(宗像三女神)が半島に続く玄界灘の島々に祭祀されるなど、大陸由来の人物がそこに含まれているのか。
ニギハヤヒも妙だ。血筋は正しく(ニニギの兄)、ニニギに先立ち天磐船で降臨しヤマトの支配者となったのに、そのヤマトを神武に譲っている。三貴神のツキヨミも出生の記事だけだ。魏志倭人伝にある卑弥呼や邪馬台国は全く書かれていない。隠したい事情でもあるのか、関係が乏しいのか。
ニニギの降臨の地も変だ。出雲から国を譲られての降臨なら出雲に降り立てばいいはずだ。なぜ高千穂なのか。征服の過程も、勇猛に征伐したというような血生臭さは薄く、被征服側はアマテラスの威光に従ったという話だ。この国譲りと出雲の国については、次に考えてみたい。(続く)