神話の種本は古事記と日本書紀(記紀)だ。先行する天皇記や帝紀などは乙巳の変の際に焼失した。その内容や伝承を知る稗田阿礼の「誦習」を基に書かれたのが古事記だ。日本書紀は天武天皇の子である舎人親王の許に分担執筆で編纂された。記紀作成の発意は共に天武で、完成に40年近くもかかった。
記紀作成の究極の狙いは、朝鮮や大陸の国との外交を前提に、国体を明示して国内の一体感を醸成することだ。その政治的な意図に沿って、天武、持統、元明、元正はもちろん、完成時の太政大臣だった藤原不比等の意向が反映され、隠匿、誇張、捏造、転用などもあったろう。
形式的な違いでは、古事記は伝承を物語風に和文で語る一方、書紀は歴史を編年的に漢文で記述し、諸説・異説も併せて述べるなど、史書の体を成している。例えば、アマテラスなどの三貴神の生誕は、古事記ではイザナギだけの所作とされるが、書紀では二神で生んだ説も併記されている。
内容も異なる。古事記に比べ書紀では神々を美化している。例えば、ヤマトタケルは古事記では父に嫌われた乱暴息子だが、書紀では勇敢な武将の面だけが描かれる。特記すべきは、古事記が相当の分量を出雲神話に費やしているのに対し、書紀には出雲神話が書かれていないことだ。(出雲は後述予定)
逆に古事記には聖徳太子の記述がなく、蘇我馬子による崇峻天皇暗殺の記事もない。もし古事記が正しい(聖徳太子の存在や崇峻天皇暗殺は捏造)とすれば、書紀の編纂者には蘇我氏を貶める意図が疑われる。確かに、孝元天皇から武内宿禰に続く蘇我氏の系譜は古事記にだけ書かれている。
政治色と言えば、書紀の壬申の乱の記述では、大友皇子が命を狙うので大海人皇子(後の天武)が決起したという、天武にとって好都合な筋書きになっている。女神であるアマテラスが孫のニニギを降臨させた話は、持統天皇が孫の文武天皇に皇位を譲位したことを正統化するためだという指摘もある。
政治色は後世にもある。古事記が復活した江戸時代には時の学者による脚色があった。明治維新では神道を国家の精神的な支柱とすべく、伊勢神宮を別格の最高社とし、神武を祀る橿原神宮を創建し、記紀の神話を史実だと教育した。その極みが狂信的な天皇崇拝で、その反動が現代の神話無視に繋がる。(続く)