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支流からの眺め

日本神話(6)国譲りの不思議

 日本神話で特異な説話は出雲の国の国譲りだ。二回の交渉でも進展しないので、剛腕のタケミカズチが伊佐の浜で「汝がウシハ(領)ける葦原中国はわが御子(即ち、アマテラス)のシラス(知)国であると任じた、汝の考えはどうか」と問いかけた。それにオオクニヌシ側が畏れて降伏したとされる。

 ここでウシハクとシラスが出てくる。これは各々覇道(領有と支配)と王道(仁徳と自由)の意味らしい。つまり、出雲の王は所有する領民を解放し、出雲の民はアマテラスの徳の元に自由を得たのだ。アマテラス側は譲歩したオオクニヌシの意向を汲み、壮大な出雲大社を創建し出雲神話も記録に残したようだ。

 ところが、出雲の国はニニギ降臨の前からアマテラスの弟であるスサノオが、放逐の身といえ治めていた。更に、出雲の王たるオオクニヌシ(オオナムチなど別称多し)はスサノオの子孫で、スサノオまたはその一族の娘(スセリビメ)と結婚している。つまり、出雲の国は天孫降臨の前から高天原の系列だったのだ。

 神武東征でも同様だ。即ち、ニニギの兄とされるニギハヤヒがアマテラスから十種の神宝を授かりヤマトに入り、先住者であったナガスネヒコの妹と結婚してその地を治めていた。だから、神武はヤマトを征服したというより、ニギハヤヒに己の正統性を示してシラス立場を移譲させた訳だ。

 その後のヤマト王権拡大で活躍したのは、ヤマトタケルの熊襲、出雲、東国への遠征だ。武力による威嚇はあったろうが、強大な軍隊を率いた征服らしくない。むしろ少数精鋭で向かい、ヤマト王権にまつわる神話や出雲の国譲りの説話を語り、権威に服するよう説得して回ったように読める。

 すると、征服・略奪というより譲渡・返還という形で支配領域を広げたことになる。それより前に黄泉国の王者はイザナミだった。従って、この世のすべて(高天原、葦原中国、黄泉国)は神代から高天原の天孫族がシラスしていた訳で、自然とその血統を受け継ぐ皇統が治世の最上位の権威だという話になる。

 この考えは天皇による公地公民を正当化する。後の大政奉還や廃藩置県を発案・実施できたのは、これが日本人の「常識」にあったからだろう。国譲りは江戸の無血開城や徳川慶喜の処遇にも通じる。ニニギや神武やヤマトタケルが地の神の娘を妃に迎えたのは、(序列は逆だが)和宮の降嫁を連想させる。(続く)

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