兵庫県の斎藤元彦知事の件を。県民局長が内部告発文を発し、それを知った知事は副知事等に徹底調査を命じ、局長が特定され厳しい追及を受けた。その結果を踏まえ、知事は「誹謗中傷、嘘八百、公務員失格」などと会見で述べた。局長は懲戒処分され、憤懣やるかたなく命を絶った。
この知事の対応が問題視されて、百条委員会で審議が進んでいる。話題としてはパワハラやオネダリで盛り上がるが、告発内容は、人事への不当介入、知事選挙での違法性、補助金出費の違法性、パーティ券購入の強要などの7項目だ。今後の審議結果によっては、刑事告発の対象ともなろう。
対する知事は非を認めない。告発内容が虚偽で公益通報者保護法の対象ではないとの主張だ(これは誤りだろう)。都合の悪いことは記憶にないと回答し、言った言わないの話は言っていないと明言する。辞任勧告や不信任決議で迫る県議会に対抗して、暫らくは現職に留まるつもりのようだ。
それでも、いずれ退職か任期満了が来る。それまでの費用はどうか。知事の給与や退職金(これに拘っているのかも)、県政停滞に伴う損失、百条委員会等の委員会の費用、知事や県議の出直し選挙の費用などだ。知事の弁護士費用は公費負担なのか。県財政に相当の負担なことは間違いない。
知事の態度を見るに、自己の主張の正しさを確信しているようだ。爬虫類のような目や整然とした物言いは、中共国の報道官を思わせる。自分の仕事や事情だけを重視して他人のは軽視し、己の非を認めず謝る場合も条件付きだ。但し、上にはソツなく受けは良かったとも聞く(こんな人、いますね)。
知事の気持ちは、「自分は85万人の県民の信託を受けて知事となり、県政のために一所懸命に尽くしてきた。その強い思いが厳しい言動となったかもしれないが、その点は改め今後とも職責を全うしたい。」ということか。その是非はおいて、道義的な追求で辞職を強いるのは法治国家としては疑問だ。
似た話は他の都県でもあった。一般論として、公選選出の知事の地位は守られるべきだ。不信任決議や再選挙は難儀だが、県議会は知事の牽制役としての役割を果たせなかった。市町村長や県民にも責任の一端がある。被害者面して知事を批判する前に、己の不徳を思い知るべきだろう。
世の「お偉いさん」も己を顧みるべきだ。高い地位を自己満足だけに利用すれば、社会を混乱させ人命を奪うことにすらなる。この騒動は、「己の煩悩を抑え、より高い清廉さを自己に課し、その上で、批判は謙虚に受け止め、世のため人のために汗をかけ」という「お偉いさん」への警鐘なのだ。