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支流からの眺め

上高地と涸沢(3)穂高の成り立ち

 この穂高岳はどうやってできたのか。まずは、地球の構造を見てみる。地球の表層は厚さ数十kmの板状構造(プレート:P)からなり、それが十数枚組み合わさって地球表面を覆っている。その下に約3千㎞の厚さでマントル層があり、更にその奥は半径約3千kmの核(主成分は鉄)になっている。

 マントル内には対流があり、その力でPが動く(プルームテクニクス理論)。その移動により大陸Pは分布を変え、数億年の周期で集合離散を繰り返している(プレートテクニクス理論)。最近では、2.5億年前にパンゲアという超大陸があった。これが離散して現在の大陸の配置になったのだ。

 このPの衝突が造山運動の立役者だ。大陸P同士の衝突では隆起が起こる。海洋Pと大陸Pの衝突では、海洋Pの表層部は剥ぎ取られて大陸に付着し(付加体)、沈降部分の一部がマグマとなる。マグマは火山活動を起こすか、冷えて深成岩(主に花崗岩)となり徐々に上昇する。ここに浸食が加わり山の姿ができるのだ。

 日本列島の成り立ちも確認したい。2500万年前から1500万年にかけて、大陸の一部が剥がれて太平洋に向かって移動した。東日本部と西日本部との間には深さ数千米の溝(フォッサマグナ)があった。これが堆積や噴火やPの移動で閉じて、200万年前頃に大体今の姿になったのだ。

 いよいよ穂高岳の誕生だ。176万年前のこと、今の穂高岳の付近で巨大なカルデラ噴火が起こり、六百山から槍ヶ岳に及ぶ南北に長い陥没が生じた。吹き上げた火山岩は積み重なって熱と圧力で溶けて固まり、溶結凝灰岩の岩塊ができた。それが140万年前から隆起を始め三千mの高さに達した。

 その隆起の際に、岩塊の間から再びマグマが上昇して来た(このマグマは閃緑斑岩となっている)。この上昇が穂高の西側部分に強かったので、山容はやや東に倒れることになった。今なお隆起し続けている巨大で強固な岩塊、ここに厳しい風雨や氷河による浸食が加わって、荒々しい山容ができたのだ。

 対して、上高地から横尾への道の右手の山並みの成り立ちは遥かに古い。1-2億年前に太平洋PがユーラシアPに衝突してできた付加体と、そこに地下深くから上昇してきた花崗岩から成る。上高地から明神までの白い道は花崗岩の真砂土であり、横尾までは泥岩やチャートなどの堆積岩の砂礫からできている。

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