中国の王毅、東京で尖閣領有を堂々と主張する暴挙。
中国の日本取込みの悪意を見抜ぬ
日本政府は笑顔の応対、マスコミは歓迎ムード。
習近平、ウイグル、香港
(江夏まさとしニュースかんたん解説)
朝鮮が清に征服されたような国辱的敗北外交
愚かな朝鮮王は、偉大な清国皇帝に逆らった証として大清皇帝功徳碑を立てさせられた。
挑戦が清に屈服した時の朝鮮外交に匹敵する国辱的敗北である。
菅内閣は主権、領土防衛、国家の威信等々は埒外である。
政府も経済界も関心事は商売ができればいいと大喜びヘラヘラ、
国辱的敗北など何等眼中にない。
トランプがやめないのは見苦しいといった男。
茂木は外務大臣としては完全失格。
こいつは金と出世欲で生きている男。
この男は世界中に侮蔑の念を植え付けさせた。
首相官邸に国辱の碑を立てよ
中国共産党下僚に侮蔑され
叩頭卑屈の敗北外交記念碑
案愚蒙昧な菅内閣は、暴虐非道な中国共産党に屈した。
中国共産党の使者に侮蔑、大口をたたかれたにもかかわらず、
傲岸無礼に何等なすすべなく、
暴虐非道な中国共産党の戦う考えも戦う意思も力もなく難なく支配下に屈した。
菅内閣は自分の愚かさを天下に晒し大罪を犯した国辱の証として、
石碑を建てることにする。
中国共産党は日本の敵、
漢民族は日清戦争敗北の屈辱を報復しつつある。
それに警鐘を鳴らしたのは松岡洋右である。
菅内閣の体たらくは、松岡が軟弱外交と糾弾した幣原外交にも劣る国辱ものである。
以下、記す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
松岡洋右の『東亜全局の動揺』
第五章 結言 三、東亞の危局と國民の覺悟
―ロシアの動きと支那の現状ー
―ロシアの動きと支那の現状ー
逞しと雖もネヴァ―よりかよい。今一應ニ十五年前に立ち歸って、吾人の記憶を新にし、ニ十五年来の孌遷と大和民族の努力と貢献と、而して極東危機の真因をなし、日露戦争の誘因となった露支密約の存したる事實とを目の前に置いて、吾々の認識を新たにすべきではないか。我が民族の生存權からしても将又東亜保全の國是からしても、満蒙を舞臺として目のあたり、今や日露戦直前に數倍せる危機が展開されつつある。之が見えないか。日露戦當時の危局ですら、十年に亘る臥薪嘗胆と周到なる準備と用意ある外交的置石とを以てからうじて、救ひ得たのではないか。今日の此の重大なる危局に逢着しながら、何處に此等の準備と用意とがあるか、又日露戦直前の如く我が國の上下に滲透せる思潮、澎湃として我が全國を蔽へる空気が何處にあるか。コンナ態たらくで、満蒙の如き重大問題が、どうして解決されやうか。今日は軍力のみで解決はつかない世の中である。コンナ不徹底、コンナ不用意、コンナ無気力ー誰りもより以上の発言權を持ち乍ら、現に漢民族に馬鹿にされても仕方がないではないか。
満蒙の現場で大満鐡がビッコな支那鐡道の爲に脅かされて、悲鳴を擧げてゐるなどとは如何にも情けないことである。経済力にて比較にもならないビッコな鐡道によって、満鐡をやつつけやうと企てる支那人の企図圖は無謀であり、乱暴ではあるが、其の気魄は、その元気は羨ましい。之に對しての我が態度は何たることであるか、大和民族は何處に気魄を置き忘れたか。場所はたった四半世紀前、巨大なる國帑を拠ち、十萬の屍を積んで強露を撃退した所である。
この満蒙に於いてすら、已に大和民族は漢民族に気合負けしてゐるではないか。問題の根本は之である。我が國民は之をどうする、之が即ち私の問はんとする根本の一であって、幣原外相の無抵抗外交もこの情けない態たらくにして固より罪はあらう。鼓を鳴らしてその罪を責むるがよろしい。
併しそれよりか先づ以ってかかる外交の徹底を可能ならしめた我が國民の無関心、無理解、無氛力、そしてこの國を蔽ふてゐる所の堕気を一掃しなければならぬ。日露戦直前に數倍せる未曾有の、この危局は、又日露戦直前に數倍せる覚悟と決意とを持って立ち向はなければならない。北洋漁業は我が國にとって固より重大ではあるが、併し此れが對露問題の總てではない。大きな一部でもない。真に吾人の深憂を作すところのものは直ちに、ソヴェット・ロシアそのものの動きである。殊に西那の西境と内外蒙、そして北満に於けるその根強き動きである。否ロシアは疾く已に支那の中原を衝き、此に日本本土の四、五倍大の地域に亘って、完全にソヴェット政府を樹立して居る。スラブ民族は大きな北方の氷山である。
支那といふタイタニックが、これに乗りあげて沈沒しないと誰が保證するか、支那だけではない。日本をも含めた全東亞を擧げてタイタニックの運命に遭遇しないと気軽に多寡をくくることが出来るであろうか。氷山なら避けることも出来やうが、彼より進んで、大雪崩となって極東になだれ込まれたらどうする。而もそれは餘り遠き未来ではあるまい。ロシアが経済五年計畫の一部として、最近完成したシベリヤ鐡道の一驛ノヴォシビルスクからタジュケントへの鐡道を日本人は何んと見る。此の鐡道の一驛から新疆省の首都迪化までは、自動車で僅かに二日の行程である。この経路は甘粛省に延び、蘭州を経て江蘇省の海州に出るのである。
即ち此の経路によってロシア支那全土を南北に両断し、支那全土を通貫し、直ちに黄海に頭を出して、近く朝鮮半島と我が九州を臨むのである。此のロシアの雄大なる企圖は早くから海蘭鐡道問題といふものによって、その鋒鋩(ホウボウ、ほこさき)を現はしてゐた。凡そ何れの國でも外交の基礎に触れてゐる大方針は、如何に政體が變っても契何人が權力を握っても、變るものではない。
而してロシアは、人類史上稀れに見る大革命、大混乱の中にあって、尚着々として此の昔からの企圖の實現に向かって邁進してゐる。この間に泰平無事なる日本は何をしてゐた。タシュケントは一面、パミール高原を越へて直に印度の北を衝き、他面、伊梨とカシュガルのニ地點から支那を襲ふことの出来る、ロシアに取りては屈強の地點である。而もこの地點は、疾くより鐡路に由り、北しては直ちにモスコウと聯なり、西しては裏海の東海岸、クラスノボドスクに結びつけられて居るのである。外蒙は疾くの昔事實上のロシアの版圖に歸し、更にロシアは内蒙で動いてゐる。東亜全局の保持を國是として来た日本は、之に對して何をしてるか。唯傍観してゐるのである。
支那はどうであるか。この動きに對して、全然無気力である。悲鳴を擧げる力さへない。その癖、ロシア以外の國に對しては、勝手な気儘な要求をする。暴言もすれば放言もする。又横紙破りもやる。この混沌の中に獨り際立って復讐の女神だけが大きな影を投げてゐる。無謀なるボイコットと怖るべき排外教育がそれである。我が隣邦支那は何處に行く。支那が滅ぶのは自業自得としても日本はどうする。
特に此の支那根強き排外教育、特に排日教育は果して極東を安定さす所以であらうか。世界人類の四分の一をなして居る支那四億の民衆が、次の時代に於いて恐るべき呪文を切るのである。否現に切りつつあるではないか、之が人類の歓迎すべきことでであらうか。今や漢民族は確かにネメシス(復讐の女神)に魅いられてゐる。之をネメシスの手から救ひ得るものは大和民族を措いて外にない。
極亜全局保持の見地からしても、将又世界の平和、全人類の幸福増進の見地からしても、日本は最早佛心を起こして然し毅然たる態度を以て、嚴粛に漢民族の反省を求むべきではあるまいか。ご機嫌取りとオベッカとを唯一の武器とする無抵抗主義外交に、そんなことは所詮望めない。日出でて巳に三竿、排外殊に排日教育の支那に行われて茲に十數年、國民政府となって益々激しくなって来た。斯かる敎育を受けつつ成長した子は已二十歳を越えてゐる。お機嫌取りや、オベッカ外交が何の効験のない原因は此處にある。ロシアの動き、支那の此の實相、そして日本の無気力ー東亜は何處に行く。我が國民はなぜ此の有りのままの事態を正するの覇気がないのであるか。
終わりに臨み、近時の我が國と、幣原外交の落ら行きつつある方向とを全的に見て、更に私の所感を附言する。
刻下異状なる轉転期に逢着して居る所の此の世界現状にて於て、之に處せんが為めに民政黨内閣は、内に於て極端なる緊縮節約の消極政策を採り、外に向っても唯だ只管屈譲退嬰の消極一途を辿って居るのである。幾ら之を贔屓目に見ても成行傍観と言ふ外ない。而して事の實際は徒らに言を世界の平和とか國際協調とかに藉りて、自ら屈譲退歩を重ねて居るのである。
自ら自己の人格を保持しない者に向って、他人が之を尊重する道理はない。日本の國威國益は日本人が之を守持するの外ない。他國が進んで、我が國のを國威を維持したり我が國益を圖ったりしてくれるものではない。幣原外交は一言にして之を云へば、自ら先づ屈して他の侮りを招くものである。幣原男と雖も、日本の不利益を態々招かうと云ふ意志は固よりあるまい。併し其の爲す所は今云ったやうな結果に終ってゐるのである。
私の見る所では今や我が國は、経済上、政治上、思想上、又外交上、何れの方面を見ても、異常重大なる危局、明治維新當時に數倍せる國難に逢着してゐるのである。従って維新の際、及びその後明治年間を通じて、國家の爲めに浸食を忘れて奮闘努力を継続した、吾々の先人に數倍した發憤と努力と決心とを持ち、唯だ一意此の國家と、大衆生活の安定とを念として、勇往邁進を期せなければ、到底現前のこの國難を突破する事は出来ない。然るに外交のみに就いて見るも前述べた通り無體のである。此の無為消極を以てすれば、遂に大和民族は何處に落ち行くてあらうか。試みに思へ、若し我が國が威信開画以来、民政黨内閣の如き,消極態度に経始して居ったならば、今日日本は果して國際的に第何位に居るであらうか。恐らく四等國か五等國、それが関の山であったらう。
維新に際し、明治大帝は畏く積極進取の大方針をお樹てになり、先輩は「何んぞ富國に止まらん、何ぞ強兵に止らん、大義を四海に布かんのみ」と唱へ、その第一番手として東洋の平和、東亜大局の安定を以て、我が國是としたのである。幣原外交に何處に積極進取の跡があるか、何處に此の先人の意気があるか、文何處に東亞全局保持の國是を貫かんとする痕があるか、帝國議会の壇上に立てば、唯だ萬遍なく諸外國に向って總花式のお世辭を振りまくに過ぎない、其の爲めに費す所は滔々數千言、併し吾人の深憂に答ふる所は一語もない。唯だ我が對外関係は凡そ順調であり、泰平無事であると云ふに盡きて居る。内憂外患外交到る此の非常時にて、我が國民は帝國の外務大臣の口から、左様な空疎なる言を聞く事を期待しては居らないのである。吾人は赤裸々に國際関係の真相を正視し、維新以来我が國の傳統たる積極進取の大旗の下に立ち返へり、先人の大気概を取り戻して、擧國一致、東亞全局保持の國是に邁進しなければならぬ。
〔関連記事〕
松岡洋右『東亜全局の動揺』 第五章 結言 三、東亞の危局と國民の覺悟