これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

尖閣問題の長期化必至 中国は「日本は戦後秩序に挑戦」と”戦後史”の糾弾を開始した!

2012-09-23 | 安全保障
領土問題絡みでは…政府、反日デモ長期化の見方
                      
読売新聞2012年9月20日(木)08:16
 日本政府は、中国各地での反日デモについて、しばらく続くのではないかとの見方を強めている。
今回の反日デモは、歴史問題に加え、日本政府による尖閣諸島の国有化がきっかけとなっているためだ。自民党の18日の政調全体会議では、2005年に中国で大規模な反日デモが行われた時に外相だった町村信孝氏が「前回(のデモの理由)は歴史認識の問題だったが、今回は領土問題が絡んでいるだけに、一段と重大で難しい問題だ」と指摘した。同日の民主党の会合でも、外務省幹部がデモは長期化するとの見通しを示した。

 
政府が18日、首相官邸で外務、経済産業など関係8省庁による次官級会議を緊急に開いたのも、反日デモや、中国監視船などの示威行動の長期化に備える必要があると判断したためだ。中国を刺激しないよう、防衛省は、次官級会議には出席しなかったという。
 
野田首相は18日夜のTBS番組で、「経済界や、政界、官界というあらゆるチャンネルを通じながら、(日中関係)全体に悪影響がないよう、コミュニケーションを図っていきたい」と述べた。中国とパイプを持つ財界関係者や与野党議員らに働きかけてもらうことで、早期の沈静化を目指す考えを示したものだ。首相はまた、尖閣諸島を国有化した判断について、「極めて現実的な対応だった」と強調した。

         習近平は日本の「戦後史」を糾弾した!
       習近平体制は、今後10年続く。日中間の戦いは長期戦になる。 

 
             2012年9月21日(金曜日)読売新聞朝刊7面 

 領土問題絡みでは…政府、反日デモ長期化の見方(読売新聞) - goo ニュース 

中国、尖閣の「歴史問題化」狙う=習副主席「日本は戦後秩序に挑戦」(時事通信) - goo ニュース 

 ”釣魚島”が日本に奪われたという主張は従来、中国の研究者が強調してきたが、政府が公式に表明したことはほとんどなかった。日本軍国主義によって不法に占領されたという歴史問題を前面に、尖閣は中国のものだという論理を展開している。 中国側は、明治維新以後の日本の歴史を絡めて領土問題を取り上げるゆになった。習近平体制が発足すれば今後10年間政権を担う。これが日本の過去から現在までの”生き様”を問題にしている以上、日中の領土を巡る戦いは長期化することが避けられない。中国は国力増大で”中華世界”の復活と、屈辱に満ちた過去の怨念を払拭するため攻勢を一段と強めてくるだろう。
 戦いには「敵を知り己を知る」ことが勝利の前提となる。そこで、戦後の日本の生き方を規定した出来事を振り返ってみた。

          日本海軍機の真珠湾攻撃で
         太平洋戦争が始まった
(1941年12月8日)
   緒戦は日本軍が連戦連勝、新聞は軍部に協力して国民を煽り戦意高揚に貢献した。
  戦地の親・兄弟・親戚の安否情報を求める国民に応え、発行部数を伸ばした。
  朝日新聞は軍部以上に戦争強硬派であったが、社内にソ連のスパイを抱えていた。
  「ゾルゲ事件」である。この新聞社は帝国海軍の軍艦旗まがいの社旗を使っているが、
  進歩的姿勢を装っている。

 

     12月8日 真珠湾攻撃           1942年2月20日 山下将軍、英軍に降伏を迫る

第2次世界大戦終結の経緯はどうであったか
 
日本の戦後体制はどのように決定されたのか。終戦に関する日本と連合国とのやり取りは,下記の通りである。

米、英、中3カ国首脳のカイロ会談
 
1943年、ヨーロッパ戦線ではイタリアが連合国との戦いで降伏、太平洋戦線においては北正面のアッツ島・キスカ島から日本軍撤退、南方でもガダルカナル島の二本軍撤退、マキン・タワラ島の日本軍玉砕と、日本軍の敗色が濃厚になりつつあった。1943年11月、米、英、中3カ国首脳がカイロで会談し、カイロ宣言が発せられた。カイロ宣言で、中国へ返還すべき領土と朝鮮を独立させることが決められた。

カイロ宣言(日本国ニ関スル英,米,華三国宣言)1943年11月27日  [全文]
 
「ローズヴェルト」大統領,蒋介石大元帥及「チァーチル」総理大臣ハ各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明発セラレタリ

「各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ 

三大同盟国ハ海路,陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ 

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ズ又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ズ 

右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ満洲,台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ 

日本国ハ又暴力及貪欲ニ依リ日本国ガ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルベシ 

前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スベシ」

ドイツの降伏後、ヤルタ協定が締結された

ソ連の対日参戦が決まり、日本が獲得した権益のソ連への返還が決まった。

ヤルタ協定(1945年2月11日)[全文]

三大国即チ「ソヴィエト」聯邦,「アメリカ」合衆国及英国ノ指導者ハ「ドイツ」国ガ降伏シ且「ヨーロッパ」ニ於ケル戦争ガ終結シタル後二月又ハ三月ヲ経テ「ソヴィエト」聯邦ガ左ノ条件ニ依リ聯合国ニ与シテ日本国ニ対スル戦争ニ参加スベキコトヲ協定セリ 

一 外蒙古(蒙古人民共和国)ノ現状ハ維持セラルベシ
二 千九百四年ノ日本国ノ背信的攻撃ニ依リ侵害セラレタル「ロシア」国ノ旧権利ハ左ノ如ク回復セラルベシ
(甲)樺太ノ南部及之ニ隣接スル一切ノ島嶼ハ「ソヴィエト」聯邦ニ返還セラルベシ
(乙)大連商港ニ於ケル「ソヴィエト」聯邦ノ優先的利益ハ之ヲ擁護シ該港ハ国際化セラルベク又「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦ノ海軍基地トシテノ旅順口ノ租借権ハ回復セラルベシ
(丙)東清鉄道及大連ニ出口ヲ供与スル南満州鉄道ハ中「ソ」合弁会社ノ設立ニ依リ共同ニ運営セラルベシ但シ「ソヴィエト」聯邦ノ優先的利益ハ保障セラレ又中華民国ハ満洲ニ於ケル完全ナル主権ヲ保有スルモノトス

三 千島列島ハ「ソヴィエト」聯邦ニ引渡サルベシ
前記ノ外蒙古竝ニ港湾及鉄道ニ関スル協定ハ蒋介石総帥ノ同意ヲ要スルモノトス大統領ハ「スターリン」元帥ヨリノ通知ニ依リ右同意ヲ得ル為措置ヲ執ルモノトス 

三大国ノ首班ハ「ソヴィエト」聯邦ノ右要求ガ日本国ノ敗北シタル後ニ於テ確実ニ満足セシメラルベキコトヲ協定セリ
「ソヴィエト」聯邦ハ中華民国ヲ日本国ノ覊絆ヨリ解放スル目的ヲ以テ自己ノ軍隊ニ依リ之ニ援助ヲ与フル為「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦中華民国間友好同盟条約ヲ中華民国国民政府ト締結スル用意アルコトヲ表明ス  

           1945年 日本の敗色が濃厚となった
 
     1945年3月 東京大空襲            多数の若者が敵と戦った(靖国神社の看板)

連合国がポツダム宣言を発表した

 
この宣言で、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とされた。
ポツダム宣言(米、英、華三国宣言)[抜粋] (1945年7月26日)
一 吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート、ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ 

二 合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国ガ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ聯合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
         
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(三、四、五 略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
六 吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ 
七 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破碎セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合國ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ
八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ 
         
・・・・・・・・・・・・・・・・・・九、十、 十一、十二 略 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
十三 吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス 

               広島に原爆が投下された (1945年8月6日) 
  
        広島原爆ドーム                広島原爆資料館の展示写真

(参照)
原爆の地 広島で思ったこと オバマのノーベル平和賞も広島オリンピックも原爆死没者を冒涜するもの 2009-10-13 19:06:11 

日本はポツダム宣言を受け容れるため条件をつけた

  
条件:「天皇の国家の大権に変更の要求を包含し居らざること」 
    
天皇制を存続と引き換えに連合国側の要求を呑んだ。

「ポツダム」宣言受諾に関する8月10日付日本国政府申入 [全文]
 
帝国政府ハ千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ米,英,華三国政府首脳者ニ依リ発表セラレ爾後「ソ」聯政府ノ参加ヲ見タル共同宣言ニ挙ゲラレタル条件ヲ右宣言ハ天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラザルコトノ了解ノ下ニ受諾ス 

連合国側から回答が寄せられた     
 
米英ソ中各政府の名における
     8月11日付アメリカ政府の日本国政府に対する回答
 
                        (1945年8月11日)[全文] 
 
降伏ノ時ヨリ 天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ降伏条項ノ実施ノ為其ノ必要ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス 
 
天皇ハ日本国政府及日本帝国大本営ニ対シ「ポツダム」宣言ノ諸条項ヲ実施スル為必要ナル降伏条項署名ノ権限ヲ与へ且之ヲ保障スルコトヲ要求セラレ又 天皇ハ一切ノ日本国陸,海,空軍官憲及何レノ地域ニ在ルヲ問ハズ右官憲ノ指揮下ニ在ル一切ノ軍隊ニ対シ戦闘行為ヲ終止シ,武器ヲ引渡シ及降伏条項実施ノ為最高司令官ノ要求スルコトアルベキ命令ヲ発スルコトヲ命ズベキモノトス

 
日本国政府ハ降伏後直ニ俘虜及被抑留者ヲ聯合国船舶ニ速ニ乗船セシメ得ベキ指示セラルル安全ナル地域ニ移送スベキモノトス

 
日本国ノ最終的ノ政治形態ハ「ポツダム」宣言ニ遵ヒ日本国国民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルベキモノトス
 
聯合国軍隊ハ「ポツダム」宣言ニ掲ゲラレタル諸目的ガ完遂セラルル迄日本国内ニ留マルベシ 

終戦の詔書、8月15日昼 玉音放送で全国民に告げられた
 
終戦の詔書
(1945年8月14日)[全文]
 
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰己ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス 

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民之赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力を將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

御名御璽  昭和二十年八月十四日 

        1945年8月15日 皇居前広場で多くの人が玉音放送を聞いた 
          天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラザルコト」との
     条件のもとポツダム宣言が受諾された。戦後、天皇は占領軍の軍政に
     協力的であった。戦没者は約240万人であった。 

  
            皇居二重橋                    千鳥が淵の戦没者墓苑で

(参考)
平成24年8月15日終戦の日 皇居及び靖国神社周辺の風景 2012-08-17 10:00:00  

日本はポツダム宣言の条項を受諾する旨回答した。 
 

米英ソ中四国に対する8月14日付日本国政府通告  [全文]
一 天皇陛下ニ於カセラレテハ「ポツダム」宣言ノ条項受諾ニ関スル詔書ヲ発布セラレタリ
二 天皇陛下ニ於カセラレテハ其ノ政府及大本営ニ対シ「ポツダム」宣言ノ諸規定ヲ実施スル為必要トセラルベキ条項ニ署名スルノ権限ヲ与へ且之ヲ保障セラルルノ用意アリ又陛下ニ於カセラレテハ一切ノ日本国陸,海,空軍右官憲及官憲ノ指揮下ニ在ル一切ノ軍隊ニ対シ戦闘行為ヲ終止シ,武器ヲ引渡シ,前記条項実施ノ為聯合国最高司令官ノ要求スルコトアルベキ命令ヲ発スルコトヲ命ゼラルルノ用意アリ 

日本は降伏し、戦いが終った。    
   
日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊の降伏が命ぜられた。降伏させられたのは”軍隊”である。日本国政府が降伏させられたのか?   
  
降伏文書 (1945年9月2日) [全文]
 下名ハ茲ニ合衆国、中華民国及「グレート、ブリテン」国ノ政府ノ首班ガ千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ発シ後ニ「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦ガ参加シタル宣言ノ条項ヲ日本国天皇、日本国政府及日本帝国大本営ノ命ニ依リ且之ニ代リ受諾ス右四国ハ以下之ヲ聯合国ト称ス

 下名ハ茲ニ日本帝国大本営竝ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ聯合国ニ対スル無条件降伏ヲ布告ス

 下名ハ茲ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国臣民ニ対シ敵対行為ヲ直ニ終止スルコト、一切ノ船舶、航空機竝ニ軍用及非軍用財産ヲ保存シ之ガ毀損ヲ防止スルコト及聯合国最高司令官又ハ其ノ指示ニ基キ日本国政府ノ諸機関ノ課スベキ一切ノ要求ニ応ズルコトヲ命ズ 

 下名ハ茲ニ日本帝国大本営ガ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ指揮官ニ対シ自身及其ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ガ無条件ニ降伏スベキ旨ノ命令ヲ直ニ発スルコトヲ命ズ 

 下名ハ茲ニ一切ノ官庁、陸軍及海軍ノ職員ニ対シ聯合国最高司令官ガ本降伏実施ノ為適当ナリト認メテ自ラ発シ又ハ其ノ委任ニ基キ発セシムル一切ノ布告、命令及指示ヲ遵守シ且之ヲ施行スベキコトヲ命ジ竝ニ右職員ガ聯合国最高司令官ニ依リ又ハ其ノ委任ニ基キ特ニ任務ヲ解カレザル限リ各自ノ地位ニ留リ且引続キ各自ノ非戦闘的任務ヲ行フコトヲ命ズ

 下名ハ茲ニ「ポツダム」宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト竝ニ右宣言ヲ実施スル為聯合国最高司令官又ハ其ノ他特定ノ聯合国代表者ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ発シ且斯ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本国政府及其ノ後継者ノ為ニ約ス

 下名ハ茲ニ日本帝国政府及日本帝国大本営ニ対シ現ニ日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ聯合国俘虜及被抑留者ヲ直ニ解放スルコト竝ニ其ノ保護、手当、給養及指示セラレタル場所ヘノ即時輸送ノ為ノ措置ヲ執ルコトヲ命ズ 

 天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス 
千九百四十五年九月二日午前九時四分日本国東京湾上ニ於テ署名ス 
大日本帝国天皇陛下及日本国政府ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ  重光葵 
日本帝国大本営ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ  梅津美治郎 

千九百四十五年九月二日午前九時八分東京湾上ニ於テ合衆国、中華民国、聯合王国及「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦ノ為ニ竝ニ日本国ト戦争状態ニ在ル他ノ聯合諸国家ノ利益ノ為ニ受諾ス
聯合国最高司令官 ダグラス、マックアーサー
合衆国代表者  シー、ダブリュー、ニミッツ
中華民国代表者 徐永昌
聯合王国代表者 ブルース、フレーザー
「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦代表者 クズマ、エヌ、ヂェレヴィヤンコ
          
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以下 略 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

          戦艦ミズリー号上で降伏文書に署名した
        

サンフランシスコ平和条約で日本の主権が回復された
 
サンフランシスコ平和条約は「千九百四十一年十二月七日から千九百四十五年九月二日までの間」の日本と連合国の戦いをいう対象にした条約である。

サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約) 1951年9月8日 [領土関係を抜粋〕
第二章 領域
 第二条
 (a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
 (b)日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
 (c)日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
 (d)日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下にあつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。
 (f)日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

第三条
 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

第十条
 日本国は、千九百一年九月七日に(義和団事件に関連して)北京で署名された最終議定書並びにこれを補足するすべての附属書、書簡及び文書の規定から生ずるすべての利得及び特権を含む中国におけるすべての特殊の権利及び利益を放棄し、且つ、前期の議定書、附属書、書簡及び文書を日本国に関して廃棄することに同意する。

第十一条
 
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている物を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。

第五章 請求権及び財産
第十四条
 (a)日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害又は苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。
 よつて、
 1 日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによって、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする。その取極は、他の連合国に追加負担を課することを避けなければならない。また、原材料からの製造が必要とされる場合には、外国為替上の負担を日本国に課さないために、原材料は、当該連合国が供給しなければならない。
 2(I) 次の(II)の規定を留保して、各連合国は、次に掲げるもののすべての財産、権利及び利益でこの条約の最初の効力発生の時にその管轄の下にあるものを差し押え、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利を有する。
 (a)日本国及び日本国民
 (b)日本国又は日本国民の代理者又は代行者
並びに
 (c)日本国又は日本国民が所有し、又は支配した団体
     
 (以下、略) 
第十六条 
 日本国の捕虜であつた間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に償いをする願望の表現として、日本国は、戦争中中立であつた国にある又は連合国のいずれかと戦争していた国にある日本国及びその国民の資産又は、日本国が選択するときは、これらの資産と等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとし、同委員会は、これらの資産を清算し、且つ、その結果生ずる資金を、同委員会が衡平であると決定する基礎において、捕虜であつた者及びその家族のために、適当な国内機関に対して分配しなければならない。この条約の第十四条(a)2(II)の(ii)から(v)までに掲げる種類の資産は、条約の最初の効力発生の時に日本国に居住しない日本の自然人の資産とともに、引渡しから除外する。またこの条の引渡規定は、日本国の金融機関が現に所有する一万九千七百七十株の国際決済銀行の株式には適用がないものと了解する。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(条約文書 終わり)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 中国の指導部は、戦前だけでなく戦後の日本の歴史と絡めて、対日強硬姿勢を示している。次期、習近平指導部は軍部の力を背景に領土問題の決着に向けて強い意志を見せているので、日本側も「領土問題は存在しない」というだけでは、問題は解決できない。明治維新以後の朝鮮半島や中国大陸への進出と1945年の敗戦以後の歩みを省みて、理論武装をしておかなければ、中国だけでなく、ロシア及び北朝鮮を相手の外交交渉は極めて厳しいものとなる。日本人は「敵を知る」とともに「己を知る」ためにも、日本の近現代史を学ぶ必要がある。

日清戦争、朝鮮半島及び台湾併合の経緯はこちらを
(参照)
尖閣問題、アメリカの“本音”か「日本は大幅に譲歩せよ」、中国の“やる気”を軽視するな内向きの日本 2012-09-16 09:00:00  

満州事変~終戦まではこちらを
(参照)
尖閣諸島、中国で暴動激化、9月18日は満州事変勃発の日、暴動は抗日戦時の排日運動の再現か! 2012-09-17 19:35:50 

 


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