1991年6月16日(日曜日)読売新聞朝刊
憲法改正論議はこのときも浮上したが・・・・・。
「必ず公明は足手まといに」石原氏、首相に秋波
YOMIURI ONNLINE 2014年05月29日 20時40分
日本維新の会の「分党」は、政権運営にも影響を与える可能性がある。
石原共同代表は29日の記者会見で、「安倍政権を非常に高く評価している」と語り、安倍首相に秋波を送った。また、「党首討論で安倍首相に『必ず公明党は足手まといになる』と言った通りになっている」とも強調した。
政府・自民党は今夏にも、集団的自衛権を巡る憲法解釈見直しの閣議決定を目指しているが、与党協議で公明党が慎重姿勢を崩していない。石原氏としては首相に協力する姿勢を前面に出し、新党の存在感を高める狙いがある。
石原氏は従来、憲法改正のために「自民党と連立してもいい」と語るなど、首相と政策面での共通点が多い。石原氏の新党は、憲法改正による集団的自衛権の行使容認を掲げるなど、外交・安全保障政策を旗印にする方針だ。
政府、15事例に参考事例を加えた「事例集」を提示
政府は5月27日、集団自衛権の行使の憲法解釈見直しなどを巡り、現在の憲法解釈・法制度では対処に支障がある15事例に参考事例を加えた「事例集」を与党協議会に示すと共に公表した。「集団自衛権 政府提示の15事例」の事例(の項目)は下記の通り。
武力攻撃に至らない侵害への対処
事例1 離島等における不法行為への対処
事例2 公海上で訓練などを実施中にお自衛隊が遭遇した不法行為への対処
事例3 弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護(平時)
参考事例 領海内で潜没航行する外国の軍用潜水艦への対処
国連PKOを含む国際協力等
事例4 侵略行為に対抗するための国際協力としての支援
事例5 駆けつけ警護
事例6 任務遂行のための武器使用
事例7 領域国の同意に基づく邦人救出
「武力行使」に当たり得る活動
事例8 邦人輸送中の米輸送艦の防護
事例9 武力攻撃を受けている米艦の防護
事例10 強制的な停戦検査
事例11 米国に向けてわが国上空を横切る弾道ミサイル迎撃
事例12 弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護(周辺事態)
事例13 米本土が武力攻撃を受け、わが国近隣で作戦を行う米艦防護
事例14 国際的な機雷掃海活動への参加
事例15 民間船舶の国際共同警護
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国会の論戦、“女学生”レベルの討論会
国会で集団自衛権の憲法解釈に関する質疑が始まった。グレーゾーン事態に関する法整備も行われていない。集団自衛権を認めると日本人に死者が出るとか(福島瑞穂の質問)、日本が戦争に巻き込まれるとか(民主党・福山)、集団自衛権を認めるとか認めなとか、米国との同盟関係を最重視するのは当然だが、米国以外には集団的自衛権を行使しないとか、一連の退避活動の中で、日本が乗っている船は守るが、乗っていない船は守らないなどと、国会議員の質疑応答はこの程度、マスコミも似たようなもので集団自衛権を認めれば死者が出るからとか、日本が戦争に巻き込まれるとか“ジャーナリスト”と称する者が言っていた。論理の飛躍、頓珍漢な問答のやり取りは、女学生が討論会を行っているのではないかと錯覚しそうである。
個別自衛権だったら“戦争”に巻き込まれないのか、日本人は“戦争”に行かないですむのか、“戦争”とはどのような事態をイメージして言っているのだろうか。日本人が“戦争に行かない”とするならば、どうやって侵略してきた敵を排除するのか。中国は話し合おうとせず挑発を繰り返していることが眼に入らないのだろう、外交で話し合うべきだ(某テレビ局の杉尾某)などと言っていた。
国を守るため固有の権利である自衛権を個別はいいが集団はだめと分けること自体ナンセンスである。戦闘の様相は事前に想定することは出来ない。あれはいい、これはだめと戦法を縛っては戦えない。
このような論議をする国会、マスコミは日本以外の国ではないだろう。政治家やマスコミ関係者は、視聴者受けのよいことや書生論を言えば事足りる。これでは現場を預かる自衛官は堪らない。政府も自衛隊も事態に応じ総合的に判断し柔軟に対応できる余地を残さねばならない、そのような論議を尽くさねばならない。
1995年1月15日 読売新聞朝刊 (記事をクリックすると拡大)
湾岸戦争から20年、何か変わったことが有ったのか
1990年8月、イラクがクウェート侵攻に対し欧米社会はこれに反発し、91年1月アメリカを中心とした多国籍軍40数か国58万の部隊を投入してイラクと戦い(湾岸戦争)、多国籍軍の圧倒的勝利に終わり4月に停戦協定が結ばれた。
日本は約130億ドル拠出した。多国籍軍へ軍を派遣した米国など各国は、「命の危険を伴う人的貢献は他の国に任せ、自分は金だけで済ませようとしている。」と日本の姿勢を揶揄した。
時の自民党海部政権は、湾岸戦争終結後、米国に急かされ渋々と掃海艇部隊を派遣した。他国海軍は早めに現場海域に到着し処理が容易な機雷を処理してお茶を濁していたので、海自掃海艇部隊が担当した海域は非常に処理が困難な海域であった。
この海域は水深が約10メートル以下と非常に浅い上にシャトル・アラブ川の河口にあたり、上流から流れ込んでくる砂漠の砂で水中視界が極端に悪いため、機雷排除作業が極めて難しい場所である。海底には沖合のオイル・ターミナルへ沿岸から油送パイプが設置されおり、機雷探知機で探知した機雷をその場所で爆破処分すると、油送パイプも破壊してしまう恐れがあった。このため探知した機雷を一旦無能化し、その後水中バルーンを使用して海底から浮上させて曳航索を取り付け、作業艇でパイプから十分距離が離れた安全なところまで移動させてから爆破処分した。
他国の機雷処理と海自掃海艇部隊の果した役割、重要性は決定的に異なっている。海上自衛隊の部隊が残っていた処理が困難な機雷をすべて処分したため、米国は、この海域は“安全に航行できる”と宣言することが出来たのである。たとえ一発といえども機雷が残っているか分からない状況であれば、船舶は安心して航行できない。“安全に航行できる”と宣言しなければ、掃海は終了したことにならない。多国籍軍を主導した米軍にその能力が無く、海上自衛隊に助けられたことで米国も対面を繕うことが出来た。海自掃海艇部隊の功績を多とすべきである。
掃海艇部隊派遣を決めた海部首相は掃海艇部隊が出向するとき何等関心を示さなかった。「海外での軍事行動にあたる」、「近隣諸国への脅威」、「アジアに侵略をする前兆」など世論を前にして“票”に影響しないか危惧したためである。マスコミは日本が将来アジアに侵略をする前兆と危機を煽ったからである。 ところが任務終了して帰国、部隊解散の式典を行うと聞くや 海部首相は、“ぼくが派遣を命じたから式典に出たい” と言い出したが、海自側から首相は来るなと忌避された。
ちなみに、その後、来日したブッシュ大統領(1988年に大統領に就任したパパ・ブッシュ)は、海自掃海艇部隊の指揮官であった派遣部隊指揮官 落合 氏を米国大使館に招き勲章を直接、授与している。
また、カンボジア和平後の1992年、国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)のもとに陸上自衛隊の施設部隊が派遣され、93年9月までに計1200人の隊員が道路・橋の修理などの任務に就いた。1993年5月に新生カンボジアへの制憲議会選挙が実施されたが、選挙期間中に国連ボランティアの中田厚仁さん、文民警察官の高田晴行警視が襲撃事件で死亡する悲劇があった。カンボジアのゲリラはボランティアや“文民”警察官を殺したが、パトロールに従事した自衛官を “軍人” とみなしたのか自衛官には手を出さなかった。自衛隊=人間殺傷、戦争に巻き込まれるとは限らない。
政府が例示した15の事例は、湾岸戦争末期、紅海の機雷処理に海上自衛隊が派遣されたとき、自衛隊がカンボジアに派遣されたときにも問題になったことではなかったか。東西冷戦が終わり、次の脅威は中国だ、戦力を南方に振り向けなければならぬとなった頃からの課題であった。このことは、湾岸戦争後20余年経過し現在に至るまで自衛隊を取り巻く肝心なこと、最小限の法体系の整備もせず、歴代の政府は放置してきたことを白状したということである。
湾岸戦争直後は話題になったが・・・・・・・。
1992年8月19日 読売新聞朝刊 (記事をクリックすると拡大)
国の防衛は自衛隊だけの問題ではない、国民みんなの責務
国の防衛のため「危険を顧みず」任務を遂行するためには、敵と直接“戦う”隊員だけではなく、国を挙げたバックアップが必要である。国会の質疑応答、マスコミの報道は、国防は自衛隊だけに課せられた使命、われは関わりないと傍観者的観点からの言説が目に付く。旺盛な士気をもって任務を遂行するためには、国を挙げたバックアップだが不可欠である。
下記は、ペルシャ湾の掃海作戦の派遣部隊指揮官 落合 氏 の在日米海軍司令部企画の“Umi Sakura”第1回講演(平成 18 年 11 月 13 日、於在日米海軍司令部)における講演内容からの抜粋である。米国の将兵が高い士気を持って事に臨んだことがよく分かる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以下、引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「グー」と「パー」
長期間に亘り隊員達の士気を高く維持するため、豪華客船「コーラル・プリンセス」を長期間チャーターし、バハレーンのミナサルマン港に係留して一度に800名の兵士を一週間交代で休養させておりました。「オン」と「オフ」を巧みに組み合わせ、作戦を遂行しておりました。
当然の事ではありますが、基地周辺及びゲートの出入りの警備は厳格に実施されておりました。IDカードの提示は勿論の事、車両は車内、トランクの中及び車体の下側まで厳しくチャックしておりました。艦艇が係留している岸壁はライフル銃を携行した海兵隊員がパトロールし、港内は執銃した数名の隊員を乗せた高速ゴム・ボートが常時哨戒しておりました。係留中の艦艇及び出入港する艦艇は必ず潜水員による船底調査を行う等、厳格な警戒態勢を堅持しておりました。
現地の米海軍では多くの予備役の士官が指揮官や幕僚として勤務し目覚しい活躍例えば、日本部隊が現地に到着し掃海作業を開始した頃の米海軍掃海部隊の指揮官の大佐や、「はやせ」に乗艦して連絡士官として勤務し大活躍をした大尉も予備役の士官でした。この予備役と言う制度が先に述べたロジスティックと共に、アメリカ軍の大きな力と成っている事が強く印象に残りました。
精 強
日本の掃海部隊司令部に米海軍掃海部隊から連絡士官としてストウフ大尉が派遣され「はやせ」に乗艦しておりました。彼は中央軍海軍司令部及び一緒に作業を実施している米海軍掃海部隊と日本掃海部隊との様々な事案についての連絡調整等を三ヶ月間に亘り献身的に実施し、連絡士官としての任務を見事に成し遂げました。日米掃海部隊が協同作業で一件の事故も無く円滑に実施出来たのは彼の功績によるものでした。
彼の湾岸戦争戦役の期間が切れる1991年8月19日、故郷コネチカット州ウオーターバレイに帰るため、「はやせ」を退艦する事と成りました。当日、彼の退艦に際し私は敬意を表し彼に感謝状を贈呈し、幹部海上自衛官の離任退艦に伴う儀式と全く同様に、「総員集合」、「感謝状の贈呈」、「離任披露」、そして「総員見送りの位置に付け」、「帽振れ」を持って彼を送りました。「はやせ」の舷門で自衛艦旗に敬礼する彼の眼に涙が溢れておりました。「帽振れ」の号令で一斉に帽子を振る「はやせ」乗員に対し、舷梯を離れた内火艇の上で、それに応えるため習ったばかりの日本式の要領で、懸命に帽子を振る彼の姿が鮮明に眼に浮かびます。
日本派遣部隊は無事、掃海作業を終了し9月下旬、アラブ首長国連邦のドバイのアル・ラシッド港で帰国準備に掛かっておりました。私はアメリカに帰国したストウフ大尉から手紙を受け取りました。そこには無事帰国した知らせと、更に次のような主旨が書かれておりました。
「帰国し我が故郷のコネチカット・ウオーターバレイに着いた。妻や子供は大変喜んで呉れた。だが、もっと良い事があった。それは市民が大歓迎してくれた事だ。町の真ん中に大きなステージが設けられ、その壇上に妻と子供と共に登らされ、市長自らが私の業績を披露し、その功績を称え我が市民の誇りだと紹介した。全市民が私の凱旋を祝福してくれた。妻も子供も大喜び、我が人生で最良の日であった。
海軍軍人となって本当に良かった思い、湾岸戦争に参加し国家に貢献できた事をこの上も無く誇りに思う。」彼の手紙を読んで、私は自分の事のように嬉しくなると同時に、胸に熱いものを感じました。
アメリカ軍の精強さの根源を、将に垣間見たような気が致、しました。国の防衛に携わる者は、国民からの絶大な信頼と期待を受けて、国家、国民の為、国の命令に基づき危険をも顧みず、身をもって任務を遂行する。国家、国民に奉仕する事を名誉とし、自分自身の誇りとする、そこに強固な使命感が生まれ、精強さが育って行くのであろうと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用 終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
米海軍では「多くの予備役の士官が指揮官や幕僚として勤務し目覚しい活躍をしておりました。」「この予備役と言う制度が先に述べたロジスティックと共に、アメリカ軍の大きな力と成っている」とあるが、日本の現状はどうであろうか。
“予備役”に対する理解、支援はどうなっているのだろうか。“現役”自衛官が「危険を顧みず」任務を遂行するためには国民挙げた自衛隊に対するバックアップ体勢が不可欠である。それなくして高い士気を維持できない。
しかも自衛隊は予算削減で人員の低充足が長い間続いた、特に陸上自衛隊はマンパワーが決定的足りない。3度の食事を自力で炊飯する人員は確保できているのか。ボートに乗って敵に奪われた島の奪回に向かってもそれを支える兵站能力、国を挙げたバックアップ体制があるのか。第一、奪われた島の奪回のため動員する兵力をどのように輸送するのだ。輸送手段に事欠く始末、侵攻した敵の撃破、島の奪回は極めて難しい。離島防衛は画餅ではないか。
兵器の老朽化、量的制約だけではない。戦死者が数十名、数百名でたら上級指揮官は右往左往しないか、制服組トップの自衛官は仕事の出来る“優秀”な世渡り上手で官僚体質に毒されていないか。極限状態で冷静に指揮統率できる胆力がある人物が指揮官になっているとはとても感じられない。首相や大臣は世論を気にせず統率ができるのか。
武器は持つべきではない、集団自衛権を認めれば戦争に巻きこまれるなどという政治家やマスコミはどのような反応を示すのだろうか。国民はどだろうか。
このような日本であれば、いかに訓練・演習十分な自衛隊であっても、“最初パッパ、なかパッパ、あとはちょろちょろパッパ”で負け戦とならないか。自衛隊が離島奪還の訓練演習をいくら繰り返しても、所詮、実弾が飛んでこない “戦争ごっこ” である。
日本のマスコミは米国の協力者、日本人としての矜持がない
国会、マスコミが「武器を使用する、使用しない」「輸送だけ」」「死者が出る」などと女学生でもできる論議や報道をしているが、この体たらくを他国は冷笑しているだろうとさえ感じる事例ばかりではないか。
安倍首相に考えるところがあるであろうが、その安倍首相を含め与野党の政治家やマスコミは、粗筋を描く米国や中国などの巧みな操縦に操られ、おおむね反応している。読売や産経は政府に発破をかけるような報道をするかと思えば、朝日新聞は米国の外交問題評議会とのつながりが強く両者が結託して世論を操っている。
たとえば、朝日が扱った外交問題評議会が提供した記事を挙げると
●靖国参拝、米中韓が怒るわけ 識者に聞く(2013年12月28日)
●安倍外交―孤立への道を進むのか(2/22)
●(時時刻刻)「失望」の応酬、きしむ日米 首相の側近、動画で米批判(2/20)
●「日本が挑発的」 米紙ワシントン・ポスト、論説で批判(2/19)
●(時時刻刻)米、日韓融和めざす旅 オバマ大統領、4月歴訪(2/14)
●日米、遠い信頼回復 問われた日韓関係改善 外相会談(2/9)
●ケリー米国務長官、中韓訪問へ 対日関係の改善促す意向(1/30)
●ケリー米国務長官、中韓訪問へ 「核」や対日改善協議か(1/29)
●米外交、日韓関係が影 アジア戦略の要、想定外の不和 米韓外相会談(1/9)
・・・・である。
あたかも政府の“暴走”にブレーキをかける“善人”、“正義の味方”の如く装っているが、実態は米国の代弁者である。毎日新聞や東京新聞も朝日新聞と似たような体質である。読売新聞と産経新聞は政府の腰を叩く発破かける役なのであろうか、こちらも米国の意を慮って報道している。
日本のマスコミが卑屈な体質に毒されたのは、理由がある。日本の新聞社は戦前、戦中に軍部と手を組んで戦意高揚、国家総動員体制を支え戦場の様相を報道することで発行部数を伸ばした。ところが敗戦後、軍国主義に加担した“被告”の側にたたされることになった。各社で社主等追放のストが起こったところをGHQの占領政策に協力することと引き換えに助けられ、生き残ることができた。以来、大手新聞社は米国情報機関の協力者に転落し、米国に都合の悪いことは報道しなくなった。
例えば、最近の出来事。リビアのカダフィー政権が倒され、政府軍の武器弾薬が外部に流出した。それを回収しシリアの反政府側に横流しをしたのはトリポリ駐在の米国大使であった。この大使は殺害されたため、当時の国防省、CIA長官は議会の公聴会で聴聞にかけられる直前、国がアサド政権転覆を画策したことが暴かれることを避けるため両者そろって辞任した。
また米国はソ連邦崩壊後のウクライナにおいて親米勢力を育成するため長年資金を提供して育て上げ、選挙で選ばれたが米国の意のままにならない政権を転覆させ親米欧勢力に「暫定政権」を樹立させた。日本のマスコミは、米国のこれらの政権転覆工作を取り上げない。敗戦直後、GHQに協力者に転落するようになったため米国の顔色を察し米国に都合の悪い“真相”は報道しない。日本人としての矜持がないのだ。
公明党は表裏が全く異なった“公明”でもなんでも政党ではない。「急ぐ自民党 粘る公明党」「今国会閣議決定へ神経戦」と新聞(5月26日読売)に活字が躍っている。中国は知りたいことを公明党に探らせているのだろう、公明党は“代理”として難癖を付けている。その母体である創価学会が憲法解釈の見直しに反対しているから安倍政権に同調できないようだ。公明党イコール創価学会が政教分離を定めた“憲法違反”を犯しているにも関わらず、政治家もマスコミも政教分離を問わず知らんふりをしている。政教分離を憲法で規定した国が日本以外にあるか、どの国もこのような規定は無い。この規定も米国が国家神道を解隊するために盛り込んだものである。
創価学会に助けられて当選した政治家が多数いるから正論が戦わせない。最近のテレビ報道は、ニュース報道の比重を下げ芸能や事件・事故の報道に偏重している。国民を政治から遠ざけるような意図があるからであろう。
マスコミは米国の協力者となり日本人としての矜持がない。
「憲法解釈見直し」論議:戦争の総括をせず、米国の従属を選んだ成れの果て
1952年、サンフランシスコ講和条約で日本は独立したが、日本人は米国の従属を選んだ。本来であれば独立と同時に押し付け憲法も叩き潰し、自前の憲法を作るべきであった。押し付けられた戦争史観も唾棄すべきであった。そんなものは米国の屁理屈で米国がアジアへ進出し日本とアジア、特に中国市場を巡る戦いをしたのであり、正義の戦争だったとケツをまくるべきであった。
戦後の日本の路線を決めた吉田茂は、色々な事情があったとはいえ、損得勘定で国家を運営した。吉田とその後継者が選んだ路線は「(日本は)一人前ではございません」、「米国が守ってください」と手前勝手な行動をしてきた。国連加盟したが、国連憲章で認められている固有の権利を手前勝手に解釈し、国際社会に対する責任から逃れてきた。
国連憲章の第7章 「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」第51条「自衛権」で自衛権に関して次のように規定している。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまで間、個別的又は集団的自衛権の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当たって加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のため必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく機能及び責任に対して如何なる影響を及ぼすものではない。」 と規定している。 これに関連して、日本政府は加盟申請書に、集団自衛権の行使はしない旨、間接的に付記した。
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日本の国連加盟申請書
書簡をもつて啓上いたします。本大臣は、日本国が国際連合憲章第四條に従つて国際連合への加盟を申請する旨申し述べる光栄を有します。
千九百五十一年九月八日にサンフランシスコで署名された日本国との平和條約は、千九百五十二年四月二十八日から効力を生じ、日本国は、独立国として、国際の友好関係に復帰しました。
この條約の前文において、とりわけ、「日本国としては国際連合への加盟を申請し且つあらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守する意思を宣言する」こと及び「連合国は、日本の意思を歓迎する」ことが述べられています。
日本国民は、国際連合の事業に参加し且つ憲章の目的及び原則をみずからの行動の指針とすることを熱望しています。日本国民の間には、諸国間における平和及び協力を助長しようとする国際連合の目的に対し挙国的な共感がみなぎつています。よつて日本国政府は、国際連合への加盟を熱意をもつて申請するものであり、また、国際連合の加盟国としての義務を、その有するすべての手段をもつて、履行することを約束するものであります。
このような事情の下に、本大臣は、閣下に対し、日本国のこの申請に対し、国際連合の権限を有する機関による妥当な審議が行われるため必要な措置が執られるよう申請する光栄を有します。
日本国政府が国際連合憲章に掲げられた義務を受諾する旨の公式宣言をここに同封いたします。
以上を申し進めるに際しまして、本大臣は、ここに閣下に向つて敬意を表します。
昭和二十七年六月十六日 東京において 日本国外務大臣 岡崎勝男
国際連合事務総長 トリグヴェ・リー 閣下
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国連憲章の51条によれば加盟国は個別的、集団的自衛権を行使できるのである。ところが日本政府は、国連に加盟申請書を書く際、「日本は国連憲章から生ずる義務を忠実に果たす決意であることを宣言したあと、憲法9条を喚起するため1項を付け加え、間接的に集団自衛権は行使できないことを明らかにしたのである。
つまりり「日本国が、国際連合憲章に掲げられた義務をここに受諾し、且(か)つ、日本国が国際連合の加盟国となる日から、その有するすべての手段をもって、この義務を遵奉することを約束するものであることを声明する」と、一般的に義務は受託するが、「日本国が“有するすべての手段”をもって」と書いて、”憲法上の制約のあるものはしない“と、間接的に表明したのである。
日本は「個別的又は集団的自衛権の固有の権利を害するものではない。」が、「集団的自衛権は保持しているが憲法上行使できない」としてきた。持っているが使いません、武力で攻撃されても「安全保障より憲法が大事」と・・・・・朝日新聞に、「(安倍政権は)憲法より安全保障」という大きな活字の見出しの記事が掲載されていた・・・・・国内外に表明してきた。
経済は自由経済とは言いながら護送船団方式・・・・一番足の遅い船を合わせる・・・・・で、競争をしないでやってきた。金融業界然り、建設業界然り、流通業界もまた然り。業界、政界、官僚一体となって規制と保護のもとで経済活動に専念してきた。賄賂に癒着で政治の腐敗をもたらした。米国が圧力をかければ産業がだめになる、社共が反対すると安保に悪い影響が出ると言い逃れをしてきた。東西冷戦の時代の日本の国家運営はこのようなものであった。こんな手前勝手な屁理屈が通用したのは、日本が米国に絶対的に従属しているという姿勢を出していたからであった。
「集団的自衛権の固有の権利」は保有するが行使しないと、時の首相が決めたのではない。内閣法制局長官、即ち官僚に言わせ、政治家は“決断を避けた”のでる。政治家の責任逃れの最たるものである。最近はその逆で、官僚任せにせず安倍「首相が決断する」と変わった。国会で「集団自衛権行使の憲法解釈見直し」が始まったが、国会議員のお粗末さ、マスコミは相変わらず紋切り型の報道をしている。
“頼み”の米国はイラク・アフガン戦争で疲弊しかつての勢いがない。経済財政も問題だらけで米国に対する甘えは通用しなくなった。手前勝手な国家運営が許されるとうい錯覚は通用しなくなったので、政府、国会は泥縄式対応で国防を論議している。
中国の暴走は止まらない、北朝鮮の金正恩がいつ失脚してもおかしくない、南朝鮮の無能な大統領パク・クネは自身も父母と同じように暗殺されないかと内心びくびくしていないか。日本を取り巻く安保環境は厳しくなりつつある。今は一種の“非常事態”である。憲法改正が本来あるべき姿、正論であるが、“女学生”が話し合いをしてすむ場合ではない。あわてて憲法解釈の見直しを論議しているのは、日米戦争で敗けた日本は大東亜戦争、米国が押し付けた呼称でいえば太平洋戦争の総括をせず、サンフランシスコ講和会議後も米国から“独立”せず従属を選んだ成れの果てである。
米国のオバマ大統領は5月25日、駐留する将兵を激励するという名目でアフガニスタンのバクラム基地へ極秘訪問した。米国政府はアフガニスタン撤兵後、アフガニスタン軍や警察の教育・訓練のため約1万規模の米軍を駐留させる協定の締結をカルザイ大統領との直談判で決断させることが狙いであった。これに対し、カルザイ大統領は体よく断り米国の言いなりにならなかった。汚職疑惑があり実弟は反政府側に通じていると見られているカルザイ大統領にも、アラブの人間として少しばかりの矜持があった。
日本の政治家やマスコミは、カルザイ大統領の爪の垢を煎じて飲むべきである。