真緑の☆ぶるぅパンツぁー!

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Appleという企業 その2

2015-01-15 22:50:35 | 日記

 創立百年のIBMは別として、1970年代~1990年代に創立されたアメリカの巨大コンピュータ企業、とくにアップル、マイクロソフト、アマゾン、グーグルなどの一般消費者向けの製品を作っている企業の風土として「コンピュータを使って、俺たちの手で、世界中の人々の生活を今より遥かに便利で快適なものに変えてやる」という強烈な欲望というか自負というか、そういうものがあるような気がする。
(マイクロソフトOSの主な顧客は一般消費者ではなくIBM互換機を作っているハードウェアメーカーだろとか、グーグルの顧客は検索エンジンに広告を載せている企業だろというツッコミは無しでたのむ。この場合の顧客とは、その製品・サービスを実際に使う人々という意味で捉えて欲しい)
 現在、上に挙げた企業がそろって、デジタル・コンテンツのダウンロード・マーケットを中心とした独自のデジタル生態系の構築に力を注ぎ、一般消費者の知的生産・保存・流通、さらには余暇のエンターテインメント消費までを囲い込もうと互いに鎬を削っているのも、「コンピューターによって人々の生活、そのありとあらゆるものを改善する」という(良くも悪くも)強烈な欲望ゆえのことのように思える。
 ただ、結果としては同じようなエコシステムを作っているように見えて、そこに至る動機付けは各社微妙に違う。
 何故違うのかといえば、それぞれ違う個性と発想を持つ創業者によって、コンピューター関係であるという以外は全く別の業態で創業されているからだろう。
 アップルは、創業時から一貫して「パーソナル・コンピューター・メーカー」だ。
 1960年代まで、コンピューターといえば企業か大学のコンピューター室に、更衣室のロッカーよろしく居並ぶ鉄の箱のことで、ユーザーは上司にお願いしてその演算能力を時間割で使わせてもらっていた。
 1970年代に入って、マイクロプロセッサの発明を機に、個人が、タイプライターやペンやノートや机や椅子を所有するように、コンピューターを所有し、知的生産に使える時代がやって来るのではないかと一部の人々が思い始め、いくつかの企業が「パーソナル(個人の)・コンピュータ」を製造し始める。
 アップルもそのころ創業し「パーソナル・コンピューター」の製造を開始している。
 老舗パソコンメーカーというわけだ。
 だから、アップルにとってコンピューターとは、コンピューターである前に、まず万年筆やノートと同列の、個人が所有し使いこなすべき「道具」だ。つまり「モノ」だ。
 万年筆メーカーが「ペン先から黒いインクが出てきて紙の上に定着する」という「書く機能」だけを淡々と提供しているわけではなく、「書き心地」や軸の握りやすさ、見た目のデザイン、触った時の質感にこだわるように、アップルは「道具」としての質やデザインにこだわる。OSなどのソフトウェアも、そういう視点で設計する。アイコンのデザインは洒落ていて、かつ視認性も良好か、フォントは見やすくて美的にも優れているか、ウィンドウの枠、ユーザーインターフェース。それらは道具として、「文房具」として優れているか。そのことに、マウスの質感や筐体のデザインと同レベルでこだわる。
 その辺が、BASIC言語やプリインストールOSから始まったソフトウェア専業メーカーのマイクロソフト、書籍のインターネット通販から始まったアマゾン、ウェブ検索サービスから始まったグーグルとは違う。たとえ彼らがハードウェアを作ったとしても、マイクロソフトにとってのそれはOSの優秀さをアピールするため物だし、アマゾンにとってのキンドルはデジタル書籍通販の納品先だし、グーグルにとっては自身のウェブサービスをユーザーが何時でも何処でも使えるようにするための入出力装置でしかない。
 人々のデスクワークを今よりも遥かに生産的で快適なものにする「文房具」としてのコンピューター。若き日々、カリグラフィーにのめり込んだ創業者のこだわりは、このあたりにあったように思う。

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