真緑の☆ぶるぅパンツぁー!

日々思ったことを書きます。

ゾンビの新しさ。

2013-07-31 22:44:24 | 日記

最近思ったんだが、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」に出てくるゾンビの(当時の人々に
とっての)新しさって、「幽霊のような存在なのに、肉体がある」って事だったのかなぁ……と。
普通は「死んだ人間が現世に災いをなす」とくれば、フワフワとして半透明で、現れてはフッと消える霊魂の仕業、となる所を、もろに死体そのものが蘇って、しかも、霊魂どころか生前の知性とか記憶とか精神的なものは、ほとんど残っていない……ただウロウロして人間を見つけると寄ってたかって脳みそを食らう……
この訳の分からなさが、生前の恨みとか何とか分かりやすい理由をもってこの世に帰ってきた幽霊なんかより、かえって気持ち悪かったのではないか。

(夏なのに冬の写真 - ニコン P7100)


例えば「この夏、見ていい映画は一本だけ」って言われたら。

2013-07-30 21:51:41 | 日記

例えば「この夏、見ていい映画は一本だけ」って言われたとするだろ?
神さまとか、母ちゃんとか、総統閣下とか、将軍さまとかにさぁ。
……で、どっちを見たらいいかなぁ。

1、風立ちぬ(youtube予告編
2、パシフィック・リム(youtube予告編

……迷うよな……

(夏なのに冬の写真 - ニコン P7100)



夏草や。

2013-07-27 23:03:31 | 日記

マウンテンバイクに乗って、農道を走り回った。
見上げれば、さわやかな夏の空が……と、言いたいところだが、何しろ湿度が高い。ここは熱帯雨林のジャングルかよ、って位に全身から止めどなく大粒の汗が吹き出る。空気中に多量に含まれる湿気が透明度を下げるのか、遠くの景色もモヤモヤとかすんでいる。
それでも、照りつける太陽の下、草木が濃密な生命力を発散している中を自転車で駆けるのは、他の季節には出来ない、夏だけの楽しみだ。

(シグマ DP1x)


日々の雑感など。

2013-07-25 23:29:22 | 日記

・エクスペリアが故障した顛末は、ブツが修理から帰ってきたらUPするから、それまで待っていてくれ。

・エクスペリアを修理に出して、意外だったのが、結構自分の中で喪失感が大きいということだ。
確かに、タブレットさえあれば、wifiの電波の届くところ布団の中だろうがトイレだろうが、ネットに繋がるという便利さは実感していたのだが、それでも、どこか「所詮はタブレット」と思っていた。
実際、1日のネット接続時間数に占める割合としては、PCのほうがずっと長かったし。
ところが、夜、寝るまでの間、あるいは、朝起きて布団の中でゴロゴロしている間、タブレットが無い、ネットに繋がらないということが、こんなにも自分の心にポッカリと穴を空けるとは思ってもみなんだ。
布団の中で、タブレットのクレードルに無意識に手を差し伸べて、そこに有るべきはずの物が無いと気づいた後、
「あ、そういえばXperia修理中だったっけ……」
……と、気づく。こんな感じだ。
タブレットを使い出して、わずか1ヶ月足らずだが、気がついたら、このネットに繋がる板ッきれは、私の生活の中にガッチリと食い込んでいたようだ。
携帯電話が出始めの時もそうだったが、新しいテクノロジーというのは、実際に手にするまでは「そんなもの無くたって生きていけるよ」と思っているものだけど、いざ、買って使ってみると、あっという間に「有って当たり前」かつ「無いと不安」な存在になっていしまうのだなぁと、あらためて実感した。
大げさに言うと、人類の歴史って、こうやって積み重なっていくんだな……。

・最近BMX買おうかと思っている。マウンテンバイクに乗っているんだからウィリーのひとつも出来るようになりたいのだが、これがナカナカ難しい。
で、MTBより小さいBMXで練習しようという魂胆なのだ。

・ハリウッドで、キアヌ・リーブス主演で「赤穂浪士」が映画化されるようだが、予告編(youtubeリンク)を見る限りは、赤穂浪士というよりは、それをモチーフにした架空の日本が舞台のファンタジーといった感じみたいだだな。まっ、日本人が架空のヨーロッパ中世を舞台に「ベルゼルク」とか作ってるのと同じ感じだな。たぶん。

(夏なのに冬の写真 - シグマ DP1x)



SNS考。

2013-07-21 21:22:28 | 日記

前回の続き。
「現実社会のつきあい」が確固として存在した上での、それを補完するための(ウェブ上の)ツール。これがSNSの正体ということになる。
つまり現実社会のつきあいが『主』で、SNSは、あくまでその『写像』であるという事だ。
当然、写像であるSNSは、その元となる現実のつきあいの質によって、有効度は大きく変わる。
たとえば、詩吟教室の写像をfacebook上に作ろうとしても上手くは行かないだろう。なぜなら、詩吟教室のメンバーのほとんどは、コンピューターのコの字も知らないし今さら知ろうともしない、おじいさん、おばあさんの集まりだからだ。
これが例えばサバイバル・ゲーム同好会の写像をfacebookに作ろう、なら話は早い。サバイバル・ゲームを趣味にするような人間ならば、facebookに参加する時の心理障壁はかなり低いと予想されるからだ。
SNSが、例えば携帯電話のような「持っていて当たり前」な基本的情報インフラになれば(ひょっとしたら欧米では既にそうなのかも知れないが)話は変わってくるが、現状では、SNSを始めるか否かの分かれ道が確かに存在するように思える。
つまり、SNSを使って頻繁に情報交換をしたくなるような、また、それが可能な「現実のつきあい」を持っているか、いないか、ということだ。

(少し暗くして、モノクロにしてみました。ニコンP7100)


SNSの意義。

2013-07-20 22:18:49 | 日記

SNSというのが、現実世界の「社交の場」を補完するためのウェブ・サービスであるというのは以前にも書いた。
つまりSNSはユーザーの身の回りに「現実に存在する」社交場の、いわば「写像」をネット上に形成するわけだ。ネットを使うことによって、現実世界には存在する物理的な距離という障害が取り除かれる。例えば故郷の町に高校時代の同窓生の集まりという社交場があるとして、SNSを使えば、北極に居ようが南極に居ようが(ネット環境さえあれば)私はその社交場に参加して、近況報告や「来月みんなで会おうぜ」といったイベント情報を共有できるわけだ。
ここで重要なのは、私が「地元の高校の同窓会」のアクティブ・メンバーであること、同窓会そのものもある程度頻繁に活動していること、そして、当然だが、メンバーの全員が同じSNSのユーザーであることだ。
つまり大事なのは、私が所属する社交場・社交界(例えば、同窓会、詩吟教室、ジョギング・クラブ、釣り仲間、等々)の「つながり」が、そもそもある程度は強いということ、そして、その「つながり」とSNSとの相性と言うことになる。
SNSから始まるつきあい、というのも、まあ有るのだろうが、本来のSNSの趣旨というのは「はじめに現実社会のつきあい」ありき、なのだと思う。
まずは「現実社会のつきあい」が確かに存在すること、そして、それをネット上にマッピングする事で何らかの利便性を得られること、これがツールとしてのSNSを使うべきか否かの分かれ道だと思う。

(記事とは関係なし。ニコンP7100)


夏空。

2013-07-19 19:01:07 | 日記

久しぶりにDP2を連れ出してのポタリング。
見上げれば、気持ちの良い夏空が広がっている。
これは個人的な意見だが、シグマDPシリーズというのは、ある意味「空スペシャル」と言っても良いくらい空の写真が気持ちよく写る。
その一方で、非常に歩留まり率の悪いジャジャ馬である事もまた事実。
私の様に、何も考えずにカメラまかせで、とにかくバシャバシャ撮るタイプにとっては、ちょっと面倒くさいというのが正直な感想。
でも、これだけ写ると、多少のことは許せちゃうんだな。これが。
とんでもない悪女だな。
あ~、いまさらだけど、空撮るんだったら広角のDP1持って行くべきだったな。