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・この「他から独立した自分」という感覚が、日常私達の多くが経験しているように、余り
にも現実的に感じられるのは、単純にその個人として、その場に現象化している意識の状態
だけによるのではありません。これは1990年頃には50億人を越えた地球人類が、歴史上の何
十万世代にわたって、あらゆる表現を「他から分離独立した個人の存在」を前提にして行っ
てきたために、地球上で行われた精神活動の大半の感情や想念は個人という分離の波動を含
んでおり、これらの分離感が地球圏の精神階層に形成し続けてきた強力な固定観念のエネル
ギーに、地球上のほとんどの人間の心が支配されていることが最大の要因になっています。
・このような分離意識は、地球上での特殊な体験を得るという当初の目的に限って看れば、
必要以上の成果を修めることになりましたが、個別化された意識がそれぞれにとって必要な
地上及び地球圏の幽界での体験を完了し、本来の普遍意識の状態に還って往く地球生命系の
卒業の段階になると、今度はこの長い歳月にわたって培った分離感が最大の障壁になるので
す。
・この分離感から個人や社会、民族や国家、あるいは地球人類共通の多様な固定観念が派生
してくるわけですが、こうした様々な制約されたものの見方から自分を解放し、外の世界に
ただ反応しているだけの心の動きの一切から離れると、その瞬間に自分自身が宇宙全体に遍
満する唯一の生命そのもので在り、あらゆるものを創造している主体であると言う真理を、
絶対的な確信を持って実感できる、本来の意識状態に戻ります。
・この状態は、個体の意識が全体からくる情報を知覚しているのとは全く違うことを、くれ
ぐれも強調しておきますが、この体験こそ普遍意識(真我)が自分自身を自覚すると言う状
態で、地球人類の精神的な次の進化段階に当り、自我の心によって造り出した迷妄に振り回
されていた幼児期から、あらゆる物事を正しく観ることのできる本来の意識状態に目覚め
る、意識の夜明け、人類の黎明を迎えたことを意味しています。
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現象的に個人を表現している制約された意識の状態であるパーソナリティだけではなく、地
球上で行われた精神活動の大半の感情や想念による分離感が地球圏の精神階層に形成し続け
てきた強力な固定観念のエネルギーが最大の要因・・・
この、地球圏の精神階層とは何なのでしょうか。これが、いわゆる幽界なのでしょうか。下
記のシルバーバーチの語りを読むと、どうやら幽界と考えてよさそうです。
そして、「本来の普遍意識の状態」とは、霊界での意識状態を指すのでしょう。
「意識の夜明け、人類の黎明」は、まさにこの幽界を通り越した霊界での意識状態に目覚め
ることであり(肉体を持ち地上で生活している間に)、それこそが「真理を悟る」という事
なのでしょう。
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(名前は霊界へ行っても地上時代のままか?)
身元の確認の上でそうしておく必要がある人は地上時代の氏名のままです。その状態が人に
よっては何百年も何千年も続くことがあります。しかし、いつかは地球の磁場から超脱しま
す。そうなると、その人の本来の霊格によって存在が確認されるようになります。地球の引
力圏から脱すると、つまり地球とのつながりで暮らしている段階を超えて純粋に霊的といえ
る段階まで到達すると、ある種の光輝を発するようになり、それを見ればそれが誰それで、
どの程度の霊格を具えているかが一目瞭然となります。
(霊訓2 P153)
(幽界がこの世とそっくりであるというのが理解できないのですが)
地上界の次の生活の場は地上の写しです。もうしそうでなかったら、何の予備知識もない幼
稚な霊に耐え切れないショックを与えるでしょう。ですから、霊界への導入はやさしい段階
をへながら行われることになります。こちらへ来てすぐの生活の場は地上とひじょうによく
似ております。自分の死んだことに気づかない人が大勢いるのはそのためです。
こちらは本質的には思念の世界、思念が実在である世界です。思念の世界ですから、思念が
生活の活動の表現のすべてに形態を与えます。他界直後の世界は地球のすぐ近くにあり、も
のの考え方がきわめて物質的な男女が集まっていますから、思念の表現もきわめて土臭く、
考えることがすべて物的感覚によって行われます。
ですが幽界の生活にも段階があり、意識の開発とともに徐々に、着実に、土臭さが取れてい
きます。そして生命というものが物的な相を越えたものであることが判りはじめます。そし
て自覚が芽生えると次第にそこの環境に反応しなくなり、いよいよ本当の霊の世界での生活
が始まります。こうして死と誕生(に相当するもの)が何度も繰り返されるのです。
霊訓4 P124-5)
地球と接している幽質の界層を超えてしまうと、あなた方が理解しておられるような時間は
存在しなくなります。こちらの世界は地球の自転とは何の関係もありません。昼もなく夜も
なく、季節の変化もありません。地上世界で使用されている意味での時間はありません。
(霊訓7 P100)
(他界直後には言語上の問題があるか)
あります。いわゆる’幽界’つまり地球にもっとも近い界層においてはあります。そこには
霊的自覚がほとんど芽生えていない者が住んでおります。まだ言葉が必要だと思い込んでい
るので言葉を用いております。一方が英語で話し相手がフランス語で離しても、実際は思念
で通じ合っているのです。
(霊訓8 P86)
・この「他から独立した自分」という感覚が、日常私達の多くが経験しているように、余り
にも現実的に感じられるのは、単純にその個人として、その場に現象化している意識の状態
だけによるのではありません。これは1990年頃には50億人を越えた地球人類が、歴史上の何
十万世代にわたって、あらゆる表現を「他から分離独立した個人の存在」を前提にして行っ
てきたために、地球上で行われた精神活動の大半の感情や想念は個人という分離の波動を含
んでおり、これらの分離感が地球圏の精神階層に形成し続けてきた強力な固定観念のエネル
ギーに、地球上のほとんどの人間の心が支配されていることが最大の要因になっています。
・このような分離意識は、地球上での特殊な体験を得るという当初の目的に限って看れば、
必要以上の成果を修めることになりましたが、個別化された意識がそれぞれにとって必要な
地上及び地球圏の幽界での体験を完了し、本来の普遍意識の状態に還って往く地球生命系の
卒業の段階になると、今度はこの長い歳月にわたって培った分離感が最大の障壁になるので
す。
・この分離感から個人や社会、民族や国家、あるいは地球人類共通の多様な固定観念が派生
してくるわけですが、こうした様々な制約されたものの見方から自分を解放し、外の世界に
ただ反応しているだけの心の動きの一切から離れると、その瞬間に自分自身が宇宙全体に遍
満する唯一の生命そのもので在り、あらゆるものを創造している主体であると言う真理を、
絶対的な確信を持って実感できる、本来の意識状態に戻ります。
・この状態は、個体の意識が全体からくる情報を知覚しているのとは全く違うことを、くれ
ぐれも強調しておきますが、この体験こそ普遍意識(真我)が自分自身を自覚すると言う状
態で、地球人類の精神的な次の進化段階に当り、自我の心によって造り出した迷妄に振り回
されていた幼児期から、あらゆる物事を正しく観ることのできる本来の意識状態に目覚め
る、意識の夜明け、人類の黎明を迎えたことを意味しています。
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現象的に個人を表現している制約された意識の状態であるパーソナリティだけではなく、地
球上で行われた精神活動の大半の感情や想念による分離感が地球圏の精神階層に形成し続け
てきた強力な固定観念のエネルギーが最大の要因・・・
この、地球圏の精神階層とは何なのでしょうか。これが、いわゆる幽界なのでしょうか。下
記のシルバーバーチの語りを読むと、どうやら幽界と考えてよさそうです。
そして、「本来の普遍意識の状態」とは、霊界での意識状態を指すのでしょう。
「意識の夜明け、人類の黎明」は、まさにこの幽界を通り越した霊界での意識状態に目覚め
ることであり(肉体を持ち地上で生活している間に)、それこそが「真理を悟る」という事
なのでしょう。
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(名前は霊界へ行っても地上時代のままか?)
身元の確認の上でそうしておく必要がある人は地上時代の氏名のままです。その状態が人に
よっては何百年も何千年も続くことがあります。しかし、いつかは地球の磁場から超脱しま
す。そうなると、その人の本来の霊格によって存在が確認されるようになります。地球の引
力圏から脱すると、つまり地球とのつながりで暮らしている段階を超えて純粋に霊的といえ
る段階まで到達すると、ある種の光輝を発するようになり、それを見ればそれが誰それで、
どの程度の霊格を具えているかが一目瞭然となります。
(霊訓2 P153)
(幽界がこの世とそっくりであるというのが理解できないのですが)
地上界の次の生活の場は地上の写しです。もうしそうでなかったら、何の予備知識もない幼
稚な霊に耐え切れないショックを与えるでしょう。ですから、霊界への導入はやさしい段階
をへながら行われることになります。こちらへ来てすぐの生活の場は地上とひじょうによく
似ております。自分の死んだことに気づかない人が大勢いるのはそのためです。
こちらは本質的には思念の世界、思念が実在である世界です。思念の世界ですから、思念が
生活の活動の表現のすべてに形態を与えます。他界直後の世界は地球のすぐ近くにあり、も
のの考え方がきわめて物質的な男女が集まっていますから、思念の表現もきわめて土臭く、
考えることがすべて物的感覚によって行われます。
ですが幽界の生活にも段階があり、意識の開発とともに徐々に、着実に、土臭さが取れてい
きます。そして生命というものが物的な相を越えたものであることが判りはじめます。そし
て自覚が芽生えると次第にそこの環境に反応しなくなり、いよいよ本当の霊の世界での生活
が始まります。こうして死と誕生(に相当するもの)が何度も繰り返されるのです。
霊訓4 P124-5)
地球と接している幽質の界層を超えてしまうと、あなた方が理解しておられるような時間は
存在しなくなります。こちらの世界は地球の自転とは何の関係もありません。昼もなく夜も
なく、季節の変化もありません。地上世界で使用されている意味での時間はありません。
(霊訓7 P100)
(他界直後には言語上の問題があるか)
あります。いわゆる’幽界’つまり地球にもっとも近い界層においてはあります。そこには
霊的自覚がほとんど芽生えていない者が住んでおります。まだ言葉が必要だと思い込んでい
るので言葉を用いております。一方が英語で話し相手がフランス語で離しても、実際は思念
で通じ合っているのです。
(霊訓8 P86)
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