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【霊学的イエス論(22)】復活(1)

2010-10-29 00:10:15 | 高森光季>イエス論・キリスト教論
 さて、イエス伝中、最もクリティカルな(重大かつ繊細な)問題にたどりついた。
 「復活」である。
 キリスト教はこの点に様々な意味を注ぎ込んで教義の根幹とした。一方、近代の「反超越論的」学者たちは「イエスの無残な死を補償するための神話」とする。
 いずれに真実があるのだろうか。

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 イエスは十字架という残虐な刑によって死んだ。その遺体はアリマタヤのヨセフや女性支援者たちによって引き取られ、墓に納められた。そして翌々日(翌日は安息日だった)に女性たちが墓に行ってみると、遺体はなくなっていた。
 マルコをもう一度見てみる。
 《彼女たちが目を上げると,〔墓の入り口を塞いでいるはずの〕石が転がしてあるのが見えた。墓の中に入ると,彼女たちは,白い衣を着た一人の若者が右側に座っているのを見て,ひどく驚いた。若者は彼女たちに言った,「驚いてはいけない。あなた方ははりつけにされたナザレ人イエスを探している。彼は起こされた。ここにはいない。見よ,ここが彼の横たえられた場所だ! だが,行って,彼の弟子たちとペトロに,『彼はあなた方より先にガリラヤへ行く。彼があなた方に言われたとおりに,あなた方はそこで彼を見るだろう』と告げなさい」。彼女たちは出て行き,墓から逃げ出した。わななきと驚きが彼女たちの上に生じていたからである。彼女たちはだれにも,何も言わなかった。恐ろしかったからである。》
 マタイとルカもこの点についてはほぼ同様の記述を載せている。目撃者はマグダラのマリアと弟子の小ヤコブの母マリアは3書とも共通で、マルコとルカはそれぞれ別のもう1人を加えている。ルカは天使が2人で、ペトロも空の墓を確認したと記している。

 墓に納められた遺体がなくなったことに関して、マタイは次のように書いている(要約)。
 《警備兵たちは墓の入り口が開き、遺体がなくなっていることを祭司長たちに告げた。彼らは兵士たちに金を与えて、「あいつの弟子たちが夜中にやって来て遺体を盗んで行ったと言え。そうすればお前たちの失態もお咎めなしにしてやる」と言った。兵士たちはそう言いふらしたため、今日に至るまでユダヤ人たちの間に広まっている。》(28:11-15)
 まあ、復活には基本的に遺体は関係ないのだし、こうした話は返って「捏造説」を強化することになるのだが、仕方がない。後に見るがこれはパリサイ派の肉体復活論の影響である。
 ちなみに言えば、修行を積んだ覚者が、死とともに遺骸までを消失させるというのは、「屍解(しけ・しかい)」と言って、仏教や道教の歴史では結構頻繁に起こっていることであり、『日本霊異記』や高僧伝にも記されている。イエスほどの霊能があればできないことではない。

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 で、中心となる「復活」現象だが、これは記録がかなりばらばらである。共観福音書、ヨハネ福音書、使徒行伝、パウロ書簡の記述を以下にまとめてみる。

【マルコ付加部分】
 ・まずマグダラのマリアに現われた。弟子たちは信じなかった。
 ・弟子の二人が田舎への途次で「別の姿」で現われた。他の弟子たちは信じなかった。
 ・食卓に着いていた十一人に現わされて,彼らの不信仰と心のかたくなさをとがめた。
 ・「全世界に出て行って,全創造物に福音を宣教しなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われるが,信じない者は罪に定められるだろう。信じる者たちには次のようなしるしが伴うだろう。すなわち,彼らはわたしの名において悪霊たちを追い出し,新しい言語を語り,蛇をつかむだろう。また,何か死に至らせる物を飲んでも害を受けず,病気の人たちの上に手を置けば回復するだろう」。
 ・彼らに語った後,天に上げられ,神の右に座った。

【マタイ】
 ・マグダラのマリアともう一人のマリアに現われ、「喜べ!」と言った。彼女たちは近づいてその両足を抱き,彼を拝んだ。
 ・十一人の弟子たちにガリラヤの山で現われる。ある者たちは疑った。
 ・「わたしには天と地のあらゆる権威が与えられた。だから,行って,あらゆる民族の人々を弟子とし,父と子と聖霊の名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなた方に命じたすべての事柄を守るように教えなさい。見よ,わたしは,この時代の終わりまで,いつもあなた方と共にいるのだ」。

【ルカ】
 ・弟子の二人が、エマオへの途次、一人の男に会う。いろいろなやりとりの後、二人はそれがイエスだと悟る。帰ると弟子たちが「ペテロに出現した」と噂していた。
 ・エルサレムで11人の弟子に現われる。彼らは脅え、霊を見ていると思った。
 ・一切れの焼き魚と幾つかのハチの巣を食べた。
 ・「苦しみを受け,三日目に死んだ者たちの中から生き返り,悔い改めと罪の許しが,エルサレムから始まって,彼の名においてあらゆる民族に宣教されることだ。あなた方はこれらのことの証人だ。見よ,わたしはあなた方の上に,わたしの父が約束されたものを送り出す。だが,高い所からの力に包まれるまでは,エルサレムの都に待機していなさい」。
 ・ベタニアまで弟子と共に出向いてから、天に運び上げられた。

【ヨハネ】
 ・マグダラのマリアに現われ、すぐに弟子たちの集まりでも出現した。両手と脇腹の傷を見せた。
 ・8日後、再び弟子たちのもとに現われ、疑う弟子トマスの手を自分の脇腹の傷に入れさせた。
 ・その後、ガリラヤ湖で、弟子たちが漁をしていると、イエスが出現し、大量の魚を捕らせた。
 ・ペテロと弟子ヨハネに特別な言葉をかけた(詳細省略)。

【使徒行伝】(1:3-11)
 彼はまた,四十日にわたって彼らに現われて,神の王国について語り,自分が苦しみを受けたのちに生きていることを,多くの証拠によってそれらの者たちに示しました。彼らと共に集まっていた時,彼らにこう命じました。「エルサレムから離れることなく,あなた方がわたしから聞いた,父が約束されたものを待っていなさい。ヨハネは確かに水でバプテスマを施したが,あなた方は今から幾日もたたないうちに,聖霊によってバプテスマを施されることになるからだ」。それで彼らは,集まり合ったとき,彼に尋ねた,「主よ,あなたは今こそイスラエルに王国を復興されるのですか」。彼は彼らに言った,「父がご自分の権威によって定められた時や時節は,あなた方の知るところではない。だが,聖霊があなた方の上に臨むとき,あなた方は力を受けるだろう。あなた方はエルサレム,ユダヤとサマリアの全土,そして地の最も遠い所に至るまで,わたしの証人となるだろう」。これらのことを言ってから,彼らが見つめている間に引き上げられ,雲に迎えられて見えなくなった。彼が上って行く間,彼らは天をじっと見つめていたが,見よ,白い衣を着た二人の人が彼らのそばに立って,こう言った。「ガリラヤの人たちよ,なぜ天を見つめて立っているのか。あなた方から迎え上げられたこのイエスは,天に上って行くのをあなた方が見たのと同じ仕方で再び来られるだろう」。

【パウロ】(Ⅰコリ15:3-8)
 キリストは、聖書に従って、私たちの罪のために死んだこと、そして埋葬されたこと、そしてケファに現われ、次に十二人に現われたことである。次いで彼は、五百人以上の兄弟たちに一度に現われた。そのうちの大部分は今に至るまで生き残っているが、しかしある者たちは眠りについた。次いで彼はヤコブに現われ、次にすべての使徒たちに現われた。しかし彼は、すべての者の最後に、ちょうど「未熟児」のごとき私にも現われられたのである。

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 マルコ付加とマタイ、そしてヨハネは、まず最初にマグダラのマリアにイエスが現われたとしている。確かに、イエスとの結びつきがおそらく最も深かった人物であるし、そもそも霊媒体質の女性だったから、これはある意味当然である。ヨハネ福音書もやはりマグダラのマリアが最初に見たとしている。
 弟子に現われたという場面については、マルコ付加は場所不明、マタイは「ガリラヤの山」、ルカはエルサレム、使徒行伝は「オリーブ畑と呼ばれる山」(エルサレム近郊)とばらばらである。パウロの伝える伝承は、ケファ(シモン・ペテロ)に最初に現われ、その後「十二人」(ユダが除かれていないことに注意)に現われたとするので、諸福音書とは全然別系統の伝承だろう。
 要するに、弟子への顕現は、状況もはっきりしておらず、一回の特別な奇跡といった形ではなかったということのようだ。「俺も見た」「俺も」と次々に証言が出て、中にはただ話を合わせただけの者もいただろう。
 マルコ付加が記している「弟子の二人に別の姿で現われた」という伝承は、ルカの「エマオでの出現」と同じものだろう。奇妙な話で、二人の弟子が旅の途中、見知らぬ男と話したが、後になって話していたのはイエスだとわかったという。要するに、一人の男にイエスが憑依して語ったということが言いたいらしい。
 ルカが記している「弟子たちは霊を見ているのではないかと恐れたので、復活したイエスは両手両足の傷を見せ、蜂の巣と焼き魚を食べて見せた」という記事もまた奇妙である。ルカと同一著者になる(部分が多い)使徒行伝では、「御使い」という「霊」が出現してあれこれ言う場面が頻出する(8:29、10:19、11:12、16:7、16:16)。どうもルカのようなギリシャ人には、霊の出現というのはそれほどたいしたことではなかった気配がある。そこで、イエスの出現をそれとはまったく異なるものとするために、傷を見せたり焼き魚を食べたりする演出が必要だったらしい。まあ、そもそもルカは、誕生物語でも十字架上の場面でもあれこれ劇を作り上げてみたりする悪癖があるので、これも真正面に受け取る必要はあるまい。
 (ちなみにルカ福音書と使徒行伝は同一著者になる部分が多いとされているが、このあたりはかなり異なっていて、改竄・付加がかなりあった可能性を窺わせる。)
 もっとも、これはルカばかりの罪ではなく、当時のパリサイ派の復活論、つまり「肉体を持っての復活」という観念を、多くの者たちが無意識的に取り入れていたからとも言える。
 あるいは、ユダヤ教世界観では、肉と分離した霊に個人性を認めることはタブーだった(霊は神のもの)のかもしれない。そうであるなら人間の復活はやはり肉体の復活でなければならない。霊だけの「帰還」などというものはあり得ないのだろう。
 前に引いたように、イエスはサドカイ派との議論の中で「人間が復活する時は天使のような存在になるのだ」と言っていて(マルコ12:25、マタイ22:30、ルカ20:36)、肉体の復活を否定しているのに、イエス信者たちはそれを無視してパリサイ派復活論を継承してしまったのである。

 復活したイエスが何を語ったかという点も、記述はあやしい。共観福音書は「あらゆる民族への宣教」が説かれているが、これはいくつかの離散ユダヤ人信徒集団が多民族を含む教会へと発展していく際の「派閥的モットー」である。実際は初期には「ユダヤ人のみ」派と「多民族も認める」派が鋭く対立したわけで(このあたりの事情はパウロ書簡に詳しい)、復活したイエスがこう宣言したのなら、そんな対立など起こるわけがない。つまりこの発言は捏造である。
 むしろ「エルサレムに留まり、俺が予言した神の国の到来を待て」と言ったとする使徒行伝の伝承の方が古形の感じがするが、いずれにしろはっきりと何かが語られたという記述はない。

 注目すべきはパウロの証言である。彼はおそらく福音書の類を読んではいない。そして、「十二人に現われた後、五百人以上の兄弟たちに一度に現われた。そのうちの大部分は今に至るまで生き残っている」と言っている。つまり、かなり多くの信奉者たちに(五百は誇張だろうが、数十人程度ということは考え得る)、イエスの姿は出現したというのであり、しかも当時(コリント人への手紙が書かれた紀元50年代に)も生きている証人がいると言っているのである。

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 これらを眺めてみると、穏当な線は、次のようになるだろう。
 イエスは霊となってまず、マグダラのマリアに現われた。霊能体質なのだから当然である。そしておそらく彼女の霊的能力の媒介によって、ガリラヤの弟子たちにも姿を伴って現われた。想像をたくましくすれば、何人かの弟子が集まり、その中心にマグダラのマリアがいて、祈りを捧げていると、イエスの姿が現われたということだろう。スピリチュアリズムの交霊会のような状況である。
 そして、この話が伝わると、その後、様々な場所の信仰集団において、イエスの霊姿を見る信者が現われた。これは単なる自己催眠や集団催眠とは言い切れない。使徒行伝の「ペンテコステ(収穫祭)の異言現象」などに見られるように、初期信奉者集団において、超常現象・霊的現象が頻発したらしいことが窺える。イエスの「復活の姿」の顕現と並行して、あるいはそれが呼び水となって、多くの霊的存在が協力した「巨大霊的ムーブメント」がなされたのであろう。

 要するに、イエスは霊となって出現した。イエスの姿を多くの信者が見た。これは間違いないだろう。そして多くの信者が「イエスは死者の中から起こされた」と捉えたことも、間違いない。
 十字架の刑で、弟子たちはイエスを捨てて逃げ去った。受難物語の記述はいささか誇張が入っているにしても、弟子たちのレベルがそれほど高いものではなかったことは間違いない。もちろんガリラヤには確固とした支持者たちはいくらかはいただろうが、イエスがただ惨殺されたままだったら、彼のもとにあった人々の信仰運動は消滅していってもおかしくなかっただろう。やはり「復活の姿」という奇跡があちこちで起こり、それが人々を惹き付け、また元からの信奉者たちの情熱を強化したことは疑いようがない。

 だが、それはそれで困ったことになる。
 イエスは「俺は殺されてから三日後に生まれ変わる。その時は、太陽は暗くなり、星々は天から落ち、天にあるもろもろの力は揺り動かされるだろう。そして、人々は俺が大いなる力と栄光を伴って雲のうちに来るのを見るだろう」と予言していた。天変地異が起こり、神の国が到来し、神による裁きが行なわれる。俺が甦ってくる時はそれが起こるのだ、と。
 しかし、天変地異も、神の国の到来も、起こっていない。乗ってくると言われた雲すらない。
 予言ははずれたのか。信者たちは悩んだ。いや、もう一度、今度は本格的に再来するのだ、と考える人もいた。いや、もう神の国は来ているのだ、それは信者がこうして増えていることが象徴している、やがて全世界の人間が悔い改めるはずだ、と考える人もいた。
 2000年過ぎた今から判断すれば、両方ともはずれ、である。キリスト教はキリストの再来を待ち続けたが、少なくともこの2000年は来なかった。一方、地上に神の国はできなかった。
 イエスの予言は、「甦るぞ」という点は正しかった。しかし、「雲に乗って神の審判をもたらしに来るぞ」という点は間違っていた。これは動かしがたい事実である。

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