スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

2.世界という幻1-2

2010-10-27 00:00:02 | birch99的「黎明」考察
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●世界という幻

・人間に音として知覚される空気の振動は、もちろん限られた範囲であって、個人差がかな
 りありますが、低い方は十六ヘルツから三十ヘルツ位、高い方は一万五千ヘルツから二万
 二千ヘルツ位が普通です。

・犬は人間よりも一オクターヴほど高い、四万ヘルツから五万ヘルツまで聞こえますので、
 例えば一定の強さの三万ヘルツの音は、人間には聞こえませんから、人間の音の世界には
 「実感のある音の高さ」としては存在しませんが、犬の音の世界では、はっきりとした「
 高さ」を持つ現実の音になっているわけです。

・私達は自分にとって未知の外国語を聞いた時には、単なる音の高低や強弱としてしか知覚
 されませんが、母国語を聞いている時には、単なる音としてではなく、そこに何らかの、
 もっと複雑な意味を生じさせています。意味というものは空気中に発せられた音の中にあ
 るのではなく、それを意識した人間の心の中で造り出されるものだからです。具体的な単
 語や、ひとまとまりの話は、聞き手の意識の中で、その人の過去の経験の記憶や、ものの
 考え方等と作用しながら意味を造り出すわけですが、こうした過去の経験やものの考え方
 というものは、当然のことながらその人によって微妙に、あるいは大幅に異なっています
 から、同じ単語や同一の話を聞いても、それぞれの人の心の中に生じる意味には、共通の
 部分と異なる部分が出てくることになります。翻訳された外国の文章であったり、音楽で
 あったりした場合には、作者と鑑賞する人の間に翻訳者や演奏者の意識が介在するわけで
 すから、状況はかなり複雑になってきます。

・音楽は、外から入ってくる音の変化が主な引き金となって、聞く人の心の中に造られたイ
 メージとして存在するのです。また、私達が主観的に知覚している「高い音」「低い音」
 それぞれの感覚と、その感覚を心の中に生じさせている実際の空気の振動とは、全く異な
 るものであると言うことに注意してください。これは五官から入ってくるあらゆる情報に
 関して共通していることですが、私達が外の世界を意識しているとき、それは外の世界そ
 のものを知覚しているわけではなく、五官を通して入ってきた情報が、知覚システムの基
 本的ははたらきや、過去に造られた認識の様式の影響を受けながら、心の中に無意識のう
 ちに表象を造り上げていること、つまり自分の心の創作物を知覚しているの過ぎないと言
 うことを、注意深く理解するようにして下さい。この事実が色々な宗教において、「この
 世は幻(マーヤ)である」と言われている理由であり、「あなた達は目に見えるものによっ
 て眼を覆われている」という言葉の真意でもあります。

・この五官による表象の総体、つまり私達が眼で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、手
 で触れることによって知覚している世界が余りにも現実感を伴っているために、私達の多
 くは、それが外の世界として、実際に存在しているものであると思い込んでしまっている
 わけです。

・このような世界観とは、共同幻想とも言える、限られた範囲の中で一般性を持つような側
 面があります。こうした一般性は、共通の感じ方や考え方をする人の数が多ければ多い程、
 またそのことに対する確信の度合が強ければ強い程、その表象にはっきりとした現実感を
 伴ってきます。

・例えば、机の上に置いてある一個の林檎の存在は、人間に限っていえば、見る人の年齢や
 性別、民族の違いや主義主張等には余り影響されませんから、「林檎がある」という事実
 に関しては、多分反論する人はいないはずです。しかし、この「一個の林檎の存在」とい
 う一般性のある表象にしても、ある程度共通した意識状態において、似通った機能の知覚
 器官から入ってきた、共通の情報を基にして造り上げている共同幻想なのであって、そこ
 に実在しているものを観ているわけではないのです。

「黎明 上巻」 葦原瑞穂 太陽出版より
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イヌやネコの訓練などに用いられるホイッスルに犬笛があります。この犬笛は、人間の可聴
範囲よりも高い音が出せるようになっています。人間にやっと聞き取れるような高い音でも
イヌやネコには、はっきりと聞き取れるのでしょう。

また、最近よく耳にする「モスキート音」があります。高周波数の音は、年齢とともに徐々
に聞こえ難くなるため、20代後半以降の者はあまり気にならなりませんが、若者には非常に
耳障りで不快に感じます。この事を利用して、17キロヘルツの音を公園などで流し、迷惑行
為を行う若者を追い出そうという試みを行っています。

私たちは、五官から入ってきたものを、その限られた知覚器官の働きや、過去に造られた認
識の記憶の影響を受けながら、心の中に無意識に幻を造り上げ、その幻を知覚しているに過
ぎないようです。五官という限られた知覚器官からの地球人類的共同幻想、そして国単位の
共同幻想、地域や家庭による共同幻想、そして個人の幻想・・・・・。幻想というよりは限
られた一側面での現実ということなのでしょう。

ですので、日頃、五官で感じている知覚が世界の全てなどではなく、この世においてもその
認識している世界は、ごく僅かな知覚の認識でしかないということになります。

シルバーバーチは、霊界での光の知覚を次のように語っています。
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たとえば一輪の花にしても、もし霊眼によってその’全体像’を見ることがで
きれば、地上では見られない美しさが鑑賞できます。内側には地上のような外
側だけの世界に見られない無限の種類の色彩があります。そして物的感覚では
理解できない霊的な実体感を有しております。
(霊訓1 P175)

もし地上生活のあとにも
生活があることを知らず、霊の世界など思いも寄らない人であれば、地上で具えて
いた肉体器官はそっくりそのまま残っていて、肉体的機能を続けていますーあらゆ
る機能です。霊の世界についての理解をもった人の場合は、幽体の精妙化の過程が
スムーズに進行します。ある器官が霊の生活に不要となったことを自覚すると、そ
の器官が退化しはじめ、そのうち消滅してしまいます。この現象は、自覚の程度に
もよりますが、程度が炊ければそれだけ調整期間が短くてすみます。忘れてはなら
ないことは、私たちの世界は精神的な世界、霊の世界であり、そこでは自覚という
ものが最優先されるということです。
最後には外形というものが無くなっていくのです。つまり形による表現が少なくな
っていくのです。そして形態を超越してしまうと、色彩が認識の基本となります。
但し地上生活の基本的色彩となっているものが幾つかありますが、私たちの世界に
はあなた方の理解力を超えた別の色彩の領域が存在します。私たちは高級界からの
霊の姿が発する光輝、そのメッセージとともに届けられる光のよって、その方がど
なたであるかを認識することができます。形態というものがまったく無いこともあ
るのです。ただ思念があるのみで、それに光輝が伴っているのです。
(霊訓4 P128-130)

霊界の生活の全体像をお伝えすることはとても困難です。言語と次元の差が障壁と
なるからです。たとえば音楽を例にとれば、霊界には地上のいかなる楽器にも出せ
ない音色があります。絵画でも、あなた方には想像もつかない色彩と美があります
。それが感識できる人も描写できる人も地上にはいません。地上の人にとって大イ
ンスピレーションと思えるものでも、実際はごくごく小さなかけらにすぎません。
(霊訓8 P84)
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このように、霊界へ行き、肉体を脱ぎ捨て、肉体器官の知覚の窓であった五官から離れる
と、五官での知覚を大幅に増幅し、更なる領域まで知覚できるようになるようです。果して
それはどのように私たちの精神に届き、どのような心の風景を造り出すのでしょうか。霊界
の中に、地球人類的共同幻想や、個的幻想があり、その世界観をベースに知覚が広がってい
るのでしょうか・・・?

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