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●霊的な成長方法8(birch99)

2010-09-08 00:00:01 | birch99的スピリチュアリズムを基盤として
’birch99的スピリチュアリズムを基盤として’カテゴリーからの投稿です。

少し「霊的な成長方法」から逸脱してきましたが、肉体の手入れも大切なことです
ので、前回投稿の野口整体の考え方から生み出された「活元運動」にもう少し触れ
て、このシリーズを終えたいと思います。

下記に「整体法の基礎 野口晴哉」より抜粋します。
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人間の生命は、黴菌が入れば熱が出て消毒し、あとは脂も廻るようになっているの
ですから、却ってそういうことを通して力が出てくるのです。
それでは、具体的にどうしたらいいか、問題はたくさんあります。潜在意識の面に
働きかけて、感じ方の角度を変えていく潜在意識教育の問題と、体の面に直接働き
かける問題とがあります。活元運動は、後者の体の面に直接働きかける運動で、体
の中にある力を動員する方法、意志によらないで動いてしまう錐体外路系を訓練し
て敏感にしようとする方法です。

活元運動は、本来、誰でもやっています。欠伸をするのも、くしゃみをするのも意
識しない動きです。びっくりして跳び退くのも、転びかけて転ぶまいとするのも、
みんな活元運動です。意識しないのに、人間は誰も自分で正常な状態を保とうとす
る運動をしているのです。悪い物を食べて吐くのも、理由もなく頭を掻くのも、ま
た同じことです。では何のために頭を掻くのか、頭部を刺激してやれば頭の働きが
増えるのです。しかし実際にはそういう理屈を知らないでそれをやっているのです。

さらに簡単な例としては寝相です。身体の右側だけに余分な力が偏っている人は、
右足を左足の上に載せている。食べ過ぎた人は両足を広げて、大の字になって寝て
いる。足を高く上げている人は、頭の中だけ忙しい人です。足を上にあげることで、
頭の疲れが休まるからなのです。このように人間は絶え間なく活発に、意識するし
ないに拘らず、外路系運動を行って、自律的に体を調整しているのです。私は、熱
が出るのも、くしゃみをするのも、下痢をするのでも、活元運動と観ているのです。

このような無意識な運動を意識して行うようにすると、意識しない運動が非常に敏
感に起こるような体になるのです。ですから、意識して活元運動をやるのは、活元
運動が必要に応じて敏感に出るような体にするための訓練なのです。

活元運動の誘導方法は、邪気を吐き切ったあと、息を吐きながら背骨に力を入れて
急に抜いて目を瞑っていると、ひとりでに動いてくるのです。なにも不思議な動き
ではないのです。背骨に力を入れるのですが、ただ力を入れると息を吸ってしまう
ので活元運動は出ないのです。息を吐きながら力を入れる。しかも自分の呼吸の速
度よりも速くか、ゆっくりか、その速度を破れば出やすいのです。

人間の動作というものは、力を入れると息を吸い込み、息を吐くと力が抜けてしま
う。それが自然なのです。呼吸の速さは、動きの速さなのです。この自然な流れを
破ることが活元運動に繋がります。つまり、鼻の中にコヨリを入れると、体にとっ
て不自然なために、それを拒否する働きとしてくしゃみが出る。それと同じように
背骨も、ちょっと無理な動作をすると反発が起こり、活元運動が出易くなるのです。
だから、ハアーッと、息を吐きながら背骨に力を入れる、その動作の速度が、呼吸
の速度と違う場合に、それに対する反発が起こって活元運動になるのです。

その動き出す前に、もう一つ条件があります。それはポカンとすることです。これ
を「天心」といいます。寝る前にポカンとするとすぐ眠ってしまいますが’何時に
起きよう’とか’早く寝なくては’とか考えると却って眠れないように、ポカンと
すれば誰でも動き出します。

手の動く人もあれば、体の動く人もあり、その動きはいろいろですが、その動きが
終わるまでやればいいのです。可笑しいことを我慢すると、却って吹き出してしま
い、悲しいことも、我慢していると涙がドッと出てくるように、活元運動も、訓練
の内は途中で止めると却って強く出るようになりますから、活元運動が出だしたと
ころで止めることを何回か繰り返しますと、非常に出やすくなり、それを続けると、
何かあった時にひとりでに活元運動が出るようになります。
(整体法の基礎 野口晴哉 全生社)
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個人的には、15年ほど前に野口整体を知り、独学で活元運動に取り組んだ事があり
ました。なかなか運動は出なかったのですが、続けて行っていくうちにかなり激し
い運動が出始めました。(ちょっと他人様には見せられないような動きです・笑)
昨年、縁があって野口整体と関わりのある整体教室の活元運動のワークショップに
参加したのですが、やり方は間違っていなかったようで、よい確認になりました。
最初から活元運動の仕方を習ってしまうと、どのような動きが出るのかと人と比べ
てみたり、先入観が入りますので、かえって良かったかなと思っています。

ラジオ体操や自彊術など、型にはまった体操も肉体調整の面ではとても良いと思い
ます。しかし、私たちは一人一人違います。生活習慣も違いますし、職業病のよう
に酷使する部位も違います。前世から持ち越されている精神面も違うでしょうし、
育ってきた環境も違います。対人的な向き、不向きや緊張状態の度合い(肩凝りな
ど)、ストレス発散の方法(やけ食い、やけ酒など)なども違うわけです。これら
の要素だけを見ても、当然、身体に負担となる箇所も違うでしょう。

一人一人動きの違う活元運動によって、一人一人の異なった弱っている箇所や、疲
れている箇所が活性化され、強化され、敏感な反応になれば慢性的な不調の状態か
ら回避できるようになるのかもしれません。

また、活元運動が出始める時間、運動が出ている時間は、頭の中が空っぽな状態で
あり、自分自身を客観的に見つめる時間でもあります。それもまた動きのある中で
の瞑想であり、精神面にも有効であるように思うのです。

人は、通常の状態では、全力を出し切ったつもりでも70~80%の力しか出ていない
そうです。100%の力を出すと壊れるような負担が体にかかるために、本能的?にガ
ードされているようです。そして危機的状況に陥った時に、このガードがはずれ、
いわゆる「火事場の馬鹿力」が発揮されるようですが、活元運動をやり続けていれ
ば、この「馬鹿力」も出易くなるのかもしれませんね。

最後に、今一度、スピリチュアリズムというよりは、宗教に触れている箇所があり
ましたので、下記に「整体法の基礎 野口晴哉」より抜粋します。

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戦争の直後に、いろいろな新興宗教が出来たころ、宗教をやる人達は何か不思議な
ことをやらないと都合が悪いのでしょう。私のところに精神集注する術や、活元運
動や愉気の方法を習いに来ました。教えたのが良かったのか悪かったのか・・・今
になってみると、その人達は外路系の体育としての活元運動をやらないし、精神集
注の術として愉気を行わないで、それをみんな信仰のお陰だと言って、奇跡を行っ
たつもりになっている。しかし活元運動も愉気もそういうものではない。私は、総
ての人がもっている力、自然の動きとして、受け容れて欲しかったのです。そのよ
うに受け容れられていたならば、こんなに病人が多くはならなかったと思うのです。
実際、信仰や徳や修行でやれるようになったなどというために、誰れも自分の裡な
る力に目覚めない。活元運動は、自分の裡なる力に目覚めて、初めて自分のものに
なるのです。それを、みんな偉い人の徳や所為や、信仰の所為にされてしまうこと
は大変迷惑で、その当時、教えたことを、今になってちょっとがっかりしています。
(整体法の基礎 野口晴哉 全生社)

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