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【霊学的イエス論(19)】迫害予言・エルサレムへ

2010-10-18 01:32:42 | 高森光季>イエス論・キリスト教論
 受難物語は、イエスの「予言」から始まる。
 《ガリラヤで活動しているある時、イエスは弟子にこう尋ねた。
 「世間では俺のことを何だと言っているんだろう」
 弟子は答えた。「バプテスマのヨハネの生まれ変わりと言う人もいます。メシアが来る前に再来するエリヤだと言う人もいます。新たな預言者が現われたと言っている人もいます」
 イエスはさらに尋ねた。
 「お前たちはどう思っているんだ?」
 シモン・ペトロが答えた。「あなたはメシアだと思っています」
 イエスは「そんなことを言ってはいかん」と戒めた。》
 マタイ福音書はこの問答を、ペトロの正しい答えを褒め、彼を「教会の礎」と定めるという話に変えてしまっているが、それはもちろんでっち上げである(トマス福音書ではトマスが似たような立場として書かれている。)
 《そしてイエスは続けた。
 「俺は神官連中から憎まれている。そのうちあいつらは俺を殺すだろう」》
 この後に「しかし三日後に俺は復活する」という予言が続く。
 続けてペトロが「先生、そんなことを言っちゃあいけません」といさめたのを、イエスが「悪魔よ退け」と怒鳴りつけたという話になる。

 奇跡的現象を認めない人々は、この「復活予言」は後付けだと解釈する。無残な死という事実があって、それを聖化するために、「イエスはそれを知っており、それを選んだのだ」と。また、あれだけの宗教批判をしていたのだから、「俺は殺されるかもな」といった予測は当然成り立つし、それを述べたのだ、と。

 そうではないだろう、というのがここでの立場である。確かに受難物語は、虚構だらけの宗教説話である。だが、イエスは明らかに「殺されることに向かって」突進していった。
 その最初の兆候が、この「予言」である。
 奇妙な話である。イエスは人がどう思おうが構わないといった姿勢で進んできた。弟子たちにも「俺もお前らも神の国の働き手だぞ」と叱咤してきた。あえてこんな質問をするのは変である。また、心配したペトロを「悪魔よ退け」と怒鳴りつけるのもご無体である。そんな言い方をしなくてもいいだろう。
 マルコはこの後、さらに奇妙なことを書いている。イエスが「俺は群衆に捕らえられて、殺されるだろう」といって、ガリラヤを通る際に、人目を避けたというのである(第2回の予言となっているが、理由を述べただけで、改めて予言したわけではない)。
 人々を癒し、講話したホームグラウンドであるガリラヤで、人目を避けたというのは尋常ではない。「神の子イエス」にふさわしくもない。

 何があったのか。
 ヴィジョンを見た。啓示を受けた。もっとはっきり言えば「神の御使い」からあることを告げられた。
 そのことは、この予言に続けて語られる事件が象徴的に表現している。いわゆる「変貌」である。
 イエスは側近のペトロとヤコブとヨハネを連れて山に登った。するとイエスの姿は真っ白に輝き、エリヤとモーセが現われ、イエスと語り合った。
 どうしてエリヤとモーセだとわかったのか。まあ、イエスがそう呼びかけたという設定なのだろう。仏陀と観音のように姿でわかるということは偶像崇拝を禁じたユダヤ教ではありえない。

 通常モードで解釈すると、イエスは側近を連れて山に登って祈った。そこでイエスは、一種のトランス状態に入り、弟子たちには見えない「神の御使い」に向けて何かをさかんに話していた、ということになるだろうか。
 超常モードで解釈すると、そのまま、イエスは発光現象を起こし、さらに「物質化現象」つまり霊的存在の姿を目に見える形で出現させたということになる。いずれも近代スピリチュアリズムの中ではしばしば起こった現象である。

 いずれにせよ、要諦は、「霊的存在」のせり出しである。高級霊がはっきり介入したということだ。
 もちろんイエスは、以前から常々一人の祈りの時間を持ち、そこで高級霊界とコンタクトを取っていた。脱魂によって向こうへ行くこともあっただろうし、霊的存在が傍らに降りて来ることもあっただろう。
 だが、その霊的交渉の質が、ここでは明らかに異なっている。周囲にまで異様さが伝わるようなものになっているのである。何かが変わった。

 恐ろしい死を遂げること。そしてその後に復活という難業を果たすこと。
 それがもう逃れられない定めだと知ったのか。それとも、その意味を受け入れ、あえてそれを選んだのか。
 前半生の活動の中で、イエスは一方で「苦しむ人を癒し、叡智の言葉を語るのどやかな聖人」であった。しかしもう一方では「神の国を地上に来たらせる闘い手」でもあった。ガリラヤの農村部での奉仕活動と、イスラエル社会全体を転覆する革命、まったく隔たったその二面の間で、イエスは揺れていた。
 いや、むしろ、イエスは苛立っていたかもしれない。いくら病人を癒しても、いくら叡智の言葉を語っても、この状況はまったく変わらない。癒された人も、言葉を聞いた人も、神の国の働き手となる者は少ない。
 「私は地上に火を投ずるために来たのだ。その火がすでに燃えさかっていればと、どれほど願っていたか」(ルカ12:50)
 「収穫は多いが、働き人が少ない」(マタイ9:37、ルカ10:2)
 「コラジンよ、ベツサイダよ、お前らは呪われてしまえ。お前たちの目の前でなされたことがテュロスやシドンでなされていたなら、そこの人々は喜んで悔い改めていただろう」(マタイ11:21、ルカ10:13)
 この言葉にある激しい意志と、ある種の無力感・絶望感。
 イエスはここで一歩を踏み出した。彼は「のどやかな聖人」をやめた。イエスはもう「多様で豊かな人間性を示す」イエスではなくなった。

      *      *      *

 受難物語は、イエスがこの啓示を受けてから、一直線にエルサレムに向かい、そこで当局とぶつかって逮捕・刑死となったように描いているが、これは創作である。
 受難物語の本編は、いわゆる「エルサレム入城」から始まる。イエスが超常的な方法で入手したロバに乗って、エルサレムに入り、人々は「ホサナ」という祝福の声を上げて彼を迎える、というものである。
 前島誠氏が『ナザレ派のイエス』(春秋社、2001年)で明らかにしているが、これは「仮庵祭」の場面である。現行の暦では10月頃の秋に7日間にわたる祭りで、「人々は庭やベランダに、思い思いの仮小屋を建てる。屋根には木の枝を使うが、きちんとふかない決まりだ。……そしてこの中で一日を過ごす。昔先祖たちが荒野で不便な暮らしを送った。……その苦労を偲ぶというのが目的だ」という。
 華やかな祭りで、「人々は行列を汲んで“ハレル”(詩篇113-118)を歌いながら、左手にエトログ(レモンの一種)、右手に三種類(なつめやし、ミルトス、川柳)の枝を掲げ、“ホシアー・ナー”〔「どうかお救いください」の意〕の句で両手を上下横四方に揺り動かす。あらゆる方角に、神の支配を感じるためである」。
 マルコが記録している「ホサナ! 主の名において来たる者に、祝福あれ。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ!」は、この中で唱えられる詩篇118:25-26の引用である。要するに、祭りの騒ぎの中をエルサレムに入っていったということであって、エルサレム中の人がイエスの到来を祝福したわけではない。前島氏は「〔祭りのための木の枝を〕最初から手に掲げていた。その行列にイエスが子ろばに乗ったまま突っ込んだ――そう受け取るのが自然だろう」と述べている(232頁)。
 ちなみにロバに乗ってというのも、旧約ゼカリヤ書9-10にある「シオンの娘よ、大いに喜べ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者、また救われた者である。柔和であって、ロバに乗っている」を踏襲した創作であろう。イエスがゼカリヤ書にあやかって、自らロバに乗ることを演出したとしたら、ちょっとあざとい。
 で、問題は出来事的にそれに続く最後の晩餐以降(逮捕・刑死)の場面は、「過ぎ越しの祭り」の期間となっていることである。「過ぎ越し祭」は春の祭りで、半年も開きがある。「入城」から「最後の晩餐」までには「⑥神殿での破壊行動」のほかにいろいろな説教や問答が挿入されているが、イエスが半年にわたってエルサレムで宗教批判活動をしたとは考えられない。つまり、受難物語は時間軸をかなり無視した「説話」なのである。
 ただ、マルコがちょろっと書いているように、イエスがベタニアあたりに拠点を持って、エルサレムでの宣教活動をした可能性はある。ベタニアはエルサレムから東(死海方向)に7、8キロほどのところにある。ヨハネ福音書によると、ベタニアにはあのマルタ・マリア姉妹の家があったという。ヨハネはこの姉妹とその兄弟ラザロのことを細かく書いているので、事実に近い伝承かもしれない。

 イエスのエルサレム集中活動が半年にわたったのか否かはわからない。彼の言動の物騒さ加減から言えば、それほど長い期間ではないだろう。ただ、そこでは、病者を癒し、叡智の言葉を語るといった、ガリラヤでのゆったりとした活動ではない活動がなされたようである。エルサレムでも奇跡的な治病が行なわれたのなら、記録者たちはそれを大々的に賞揚するはずだが、そうした記述は共観福音書には一切ない(ヨハネには「ラザロの死からの復活」がエルサレム神官団を困惑させたという物語があるが)。
 その活動の中心は、宗教権力との鋭い対立である。もちろん受難物語の作者が、宗教権力と対決するイエスの言動をこの部分に集めたという可能性が大きいにしても、聖都での中央権力者との対峙がかなりスリリングなものになったことは確かである。
 《11:27 彼らは再びエルサレムにやって来た。そして彼が神殿の中を歩いていると、祭司長たちや律法学者たちや長老たちが彼のもとにやって来た。 11:28 そして彼らは彼にこう言い始めた。「あなたは何の権威によってこうした事をするのか。また、だれがこうした事をするその権威をあなたに与えたのか」。11:29 イエスは彼らに言った、「あなた方に一つのことを尋ねよう。わたしに答えなさい、そうすれば、何の権威によってこうした事をするのかをあなた方に告げよう。 11:30 ヨハネのバプテスマは天からのものだったか、それとも人からのものだったか。わたしに答えなさい」。11:31 彼らは互いに論じ合って言った、「我々が『天から』と言えば、彼は『あなた方が彼を信じなかったのはなぜか』と言うだろう。 11:32 我々が『人から』と言えば」―彼らは民を恐れた。みんながヨハネは実際に預言者だったと考えていたからである。 11:33 彼らはイエスに答えた、「わたしたちは知らない」。イエスは彼らに言った、「わたしも、何の権威によってこうした事をするのかをあなた方に告げない」。》
 「そなたはどういう資格でこういう説教をしているのじゃ」と迫る神官に、バプテスマのヨハネのことを引き合いにして、答えをはぐらかしている。「あんたら、ヨハネを否定できるのか?」と。
 また、有名な「ぶどう園の跡取り」の話もある。
 《ある人がぶどう園を作り、それを耕作人に貸した。収穫時になったので、主人は使いを送って賃料を取り立てようとした。すると耕作人はその使いをぼこぼこにし、追い返した。主人は再び使いを送ったがこれも暴行されて戻った。三度目の使いは殺されてしまった。そこで主人は「俺の息子を送ったら彼らもびびるだろう」と思い、愛する息子を送った。ところが耕作人は「これは跡継ぎだ、こいつを殺せばぶどう園は俺たちのものになる」と言って彼を殺してしまった。そうしたら主人はどうするだろうか。怒り狂って耕作人たちを皆殺しにし、ぶどう園をほかの者に与えるだろう。》(要約、マルコ12:1-10)
 これを聞いた神官たちは激怒したとあるが、それは当たり前で、イエスは彼らのことを神の国の略奪者で、神の愛する子である自分を殺そうとしていると罵倒したわけである。

 イエスは明らかにエルサレムとユダヤ教権力に攻撃を仕掛けている。弟子や信者に向かって「あいつらには気をつけろよ」と言っているような次元ではなく、面と向かって。
 《彼が神殿から出て行く時、弟子たちの一人が彼に言った、「先生、ご覧ください、何という石、何という建物でしょう!」 イエスは彼に言った、「これらの大きな建物を見ているのか。ここで石が崩されずにほかの石の上に残ることはないだろう」。》(マルコ13:1-2、マタイ24:1-2、ルカ21:5-6)
 これはこの時の発言ではないかもしれない。弟子が神殿の豪華さに驚いているのだから、ガリラヤ時代の巡礼の時の発言のように思われる。もっとも、最後のエルサレム行にお上りさんの新米弟子がいたのかもしれないが。
 マルコではなくQからのものだが、こんな発言もある。
 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分のところに遣わされた者たちを石打ちにする者よ! めんどりがそのひなを翼の下に集めるように、わたしは幾たびあなたの子らを集めようとしたことか。だが、あなた方は応じなかった! 見よ、あなた方の家は荒れ果てたままに残される。あなた方に告げるが、あなた方は、『主の名において来る者は幸いだ!』と言うときまでは、今後決してわたしを見ることはないだろう。」(マタイ23:37-39、ルカ13:34-35)


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