城主 :重見通宗 居城
標高 :376m
日高山城は南北約280m急なⅤ字谷となっている。稜線に沿って登れば高縄山に通じる。
この山城は、今治街道からの侵入を防ぐとともに、高縄山城の前衛基地として、創建された。
天剣を利用した要害の城である。
また、重見道晴は、河野氏一族であり、1585年中国地方の小早川隆景と戦い日高城は
落城して一族の多くは、自害した。
標高葉、376m、下から見上げることができましたが、道が悪く川の橋が落ちて
降り、川を渡ってまたもとの登り道に引き返すなど、かなり厳しいところでした。
これは、ヒノキの木材ですが、根がむき出しになっていますが、まっすぐ
生き延びております。(⌒▽⌒;) オッドロキー
曲輪と思われるところが、2箇所と、本丸が見つかりました。
石塁,土塁、堀きり、などは、見つけることが出来なかった。
竹の種類で、見たことない珍しい竹だそうです?????
これは、石です。30cm~50cm、深さ約10cm、用途は何か??
\(^_^)/日高山城に到着
ここが、本丸です。
立ち木が多くて視界は、悪いですが、数10年前は、北条の街並みと
青く波打つ北条沖の島々が一望できたことでしょう。
中村三十三墓
河野氏の流れをくむ戦国武将重見一族の墓と考えられる。
日高山城、最後の城主重見道晴は、1585年豊臣秀吉の四国征伐のとき
小早川隆景の軍に攻められ落城、多数家臣らとともに戦士。重見氏は滅亡した
墓は,丘陵地帯に散乱していたものを明治初期に現在のところに集めら得たものと
思われる。
今回の日高山城の探索にあたり、大変お世話になりました地元の
森岡功様、私は、山城に登るときは、下調べをしていきます、今回も
数日前には、地図を見て近くまで行きました。その時お会いしたのが
森岡様でした。たずねると、すぐその上だから地図を描いて送りますといって
頂き、翌日には丁寧にわかりやすい地図を送っていただきました。天候の関係もあり
先日行くことになり、登る前に挨拶しましたところ、案内していただくことになりました。
森岡功様本当に有難うございました。心よりお礼申し上げます。