城主 ;河野通武 ;その後通武の子孫が、南氏と名乗って代々城主である。
築城名;河野通武 ;1334~1336年
築城年:1334~1336年
標高 :460m
形態 :山城
本城は、瀬戸内海からの湯築城の前衛拠点であった(瀬戸内海を見張ることが出来る)
本城は、通武の子孫である南氏が代々ここを居城としていましたが、1582年に
小早川隆景(中国)=広島県安芸市。に攻められて落城しました。
城郭の大きさは、幅35mぐらいで、ほぼ西北帯状に伸びる約270mの本丸、出丸、馬乗り駄馬(だば)
の三つに分かれており、本丸と思われる中ほどには、太鼓岩と呼ばれる大岩があり、
大岩には、雨水をためたと思われる彫刻が、2ヶ所ある。また堀きりと、ともに
建物に使われた柱の柱穴が数十個あり、石段や貯水槽に使われたと思われる彫られた石があった。
立ち木が大きくなって景観はよくないな!昔は瀬戸内海が一望できた
今は、見張り番には、なりませんヾ(@^▽^@)ノわはは
もう少し、これからが大変 (。_。)ウンウン
だんだん城に近ずいてきた。。(;◎_◎)ノ ヤバヤバ
到着 (^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪
大岩のすぐ下は、平たんな地面があり、そこが本丸です。
岩には、水をためる穴、そして柱を組んだであろう穴がたくさんあります。
また、巨大な石の上で現在も生きいる木を想像してください。
所在地 :松山市麓野外活動センター(キャンプ場)から登ります
* :平成28年10月12日登頂したものです。