城主 :冨永直安
築城名 :冨永直安 :橘城野支城である(橘城は、愛媛県内子町(旧五十崎町)
築城年 :1558~1569年
標高 :160m
形態 :山城
戦国時代(1467~1590年)橘城の支城(城攻め、また城守り)として築かれ
冨永直安が居城した。大洲市肱川町宇和川、汗生(あせぶ)集落の西のほうにあり、
城跡からは、肱川の流れを北方の眼下に収めることが出来る。城跡の東、西、北方斜面は
急峻な崖で南方のみ、尾根で、背後の山につながってる。
この一角には、本城とされる橘城がある。六つの郭のある支城としては、大変大きい。
地図を見ながら車で城であろう山の近くまで行くと、案内板もなければ、道らしき道は、
まったくない、森林と、雑草で、行く手を阻まれていて、捜すのにはちょっと厳しい(;◎_◎)ノ
ヤバヤバと思いました。早速地元の、中野様宅を訪ねると、うわさぐらいで場所は、だいたい。。
すぐには、見つからないけど、一緒に探そうといっていただき薄暗い林の中へ、降りて行きました。
探すこと、約1時間、すると中野さんから、どうもここらしいといってくださり、不思議に
元気が出ました。見つかりました。\(*^▽^*)/確かに汗生城(あせぶ)跡と書いた
コンクリート柱が立っており大変うれしい限りでした。疲れも吹っ飛びました。
一緒に探していただいた、地元の、中野様、本当に感動を頂きまして有難うございました。
今回は、写真が、少ないですが本丸とおもわれる囲いは、急峻です。
堀きり、石垣、土塁などと思われる跡は見ることが出来資料を見て
支城としては、攻撃、また、守りを固めた城だったことを想像することができました
出来れば、もう一度一人でゆっくり調べたいと思いました。
所在地 :大洲市宇和川3764
ルート :高速道路松山IC~内子ICを降り左に行く、すぐに内子町市役所(旧五十崎)前を走り
すぐ右の橋を渡り左折して、しばらく道なりに走る(左岸は川です)しばらく走ると
松岡木材所が左側に見えます。そのすぐ先を左折(橋をわたる)しばらく走ります。
すると、大洲高校分校が左に見えてきます。このグランド地点から右斜め方向に
登って行きます。その頂上の右下に城のある山です。民家が3~4件あります。
* :平成28年4月10日登る