耐えられぬ。そんな、話。
二三年前だったか。
大河の『西郷どん』で、こんなシーンがあった。
亮平くん演じる西郷どんに、(最初の)嫁さんが来た。お祝いってことで『鯛』を焼いたんだけど、貧しい一家には大層なご馳走。それでも隆盛のご母堂(確かご母堂だったと思う)は、嫁さんに、
「さあ、遠慮なくどうぞ!」
と笑顔で手を差し出した。嫁さんは、
「ありがとうございます!」
とこちらは遠慮なく、鯛の腹の身をごっそり取って頬張った。
さて。俺の個人的な話なんだが。そう、あくまでも個人的な。
俺は、こういう女が大嫌いだ。できうるならば、関わりたくない。
「え? なんで?」と、もし思われた方がいたとしたなら、逆に、「え? 貴殿こそ大丈夫か?」とむしろ心配になる。苦笑いというか、失笑してしまう。すまんね。
この後、ご母堂は隆盛に一言。
「あの子はここではやってけんよ」
結局離縁と言うことになるのだが…。そりゃ当然だろうww
本当に、忘れられないシーンだった。
さすが林真理子先生原作。脚本が中園ミホ先生というところも「ふむ!!」というとこ。あの大河は「女としての見解」で、よくできてたストーリーだったが(翔ぶが如くは重い。司馬先生の本は読破してるし大好きだが、大河はとにかく重たかった)…。
ん?? まだ分からないんだけど?? と言う方がいたとしたなら。な、俺の個人的な見解。毎度毎度、個人的な意見。だよ。にっこり。
…この話には、二つの教訓というか、日本古来の美徳というか、まあ目線を返せば「ご母堂の意地悪」というか「お試し」というか…
まあ、色々捉え方はあるんだが、とにかく二つの『罠』がある。
answer。一つは、差し出されたら笑顔でお礼を言いつつ、「旦那様」と隆盛(現・当主。一家の大黒柱)に手を添えて差し出して遠慮する。
それでも隆盛が「ええんじゃ! ほら、今日は祝いの席じゃけえ」と言ってくれたなら、やっぱり笑顔でお礼を言いつつ、
answer。尻尾!! の方の身を少しだけ!! 取って、「おいしい!」と満面の笑顔を返す(マズくてもだ!)。
これ。
ここまで書いて意味が分からない方はちょっと歴史やら女性としての在り方を勉強しようかww
令和の時代に、と思われるかも知れないが、こういう気遣いが自然にできてこそ「自分はこう思う」というのは活きてくる。
ユニークだとか個人主義だとかは、自分勝手に何でもやっていいことじゃない。自己主張をすれば良いってもんじゃない。
周りとの協調性、気遣い、それらができて信頼を得られているからこそ、「自分は」そういう主張が通るようになる。特に仕事というのは、そう言う小さいことの積み重ねで、次第に大きな仕事を「任されていく」んだ。何でもかんでも最初から「自分は自分は」は、もう、先輩方が通って試して失敗して来たことなんだよ。
老害も確かにいるが、年月を積み重ねるとは、そう言うことだ。「またお小言言って」と言う前に(思うのは勝手。別にいい)、なんでそう言うことを相手が言うのか、ちょっと考えてみて欲しい。
と、思うわけだな。
そう、いるんだ、こういう、最初の嫁さんみたいな厚顔無恥な女性が。職場に。そして、この嫁さんのとっても幸せなところは、「自分が気遣いできないことは知らない」。…そう、悪気がないww
…毎度毎度、話題が尽きない彼女。
今日も(も!!)「日夏さ~~~ん!!(聞いて聞いて!! 号泣!!)」と話が飛んでくる。
昼ご飯が、こんな時間になった。遠い目になった、午後のひとときだった………