ちょっとこの走り書きのノート、約53年前実家に越してくる前の家計簿、母の筆致です。わが子がいうのもなんですがとても達筆で、父の会社のスローガンとか、頼まれた式次第とか、私も卒業時の答辞とか筆文字してもらいました。右上がりの豪快な字はいつも心に焼き付いています。
今月は実家の倉庫を総ざらいしましたが、荷造り紐がほどけた中からこれが出てきました。突然心臓で亡くなってしまったので、本当はこのまま捨てるつもりでいたのでしょうが、たぶん片づけてから15年近くの時を経て出てきちゃいました。あと母の働いていた時(私を産むちょっと前の)の給与明細も見てしまいました。それは整理し直しておきます。
野菜とか日々の買い物が軒並み2ケタ、ピーマンが30円とか… お肉だけです、150円とかになっているの。大卒初任給はまだ3万円台、勤労世帯収入もやっと6ケタ、10万を超えたくらいの経済の時です。
母は単純にお小遣い帳形式で買ったものの単価、収入(父からもらったとか、伯母:小姑からもらったとか)を書いてそれをきっちり繰り返しています。きっちりした性格がよーく出ています。ただこの走り書き、相当ストレスはあっただろうなあ、という印象… 最初から小姑付き… 早くその状況から解放されたかったみたいで住都公団の分譲に応募しまくって今の実家に昭和47年に越してきてまさにもう50年経っている… そんな感じです。
まだ父親のことは○○さん、とさん付けで書いてあります。それから当時流行っていたか「月賦」という言葉がたんまり出てきます。分割して買って… それこそ住居だってそう、この前後経済が大きくなって瞬く間に初任給があがるあがる… で月賦で返して結果的にヨカッタ、なんて時代でしたよねえ。
そんな中に「乳母車 月賦」とあります。月、千円だって… この年はまだ弟が生まれる前だから、自分のだよなあ… 脱腸して入院したり、ベビーベッドから落ちてみたり、(もうちょっと大きくなってからだけど)走っている自家用車からドア開けて落ちて大学病院に担ぎこまれたり… 知らない人のウチにてくてく歩いて行って勝手に上がりこんでおやつ食べてたり… なかなかキカン坊だった私に母は手を焼いていたはず。本当に大人になっても迷惑かけまくりだったし…
すみません、とそんな母親に改めて向き合いこの夏も本当にまた反省反省反省し、仏壇やお墓に向き合ってきました。おかげさまで息災、妻と1歳までさんざん抱っこして遊んでくれたムスメっちとつつましやかに暮らしております。去り行く8月の末、今日はこんな今日捨てです。
そういえばこのお台場の観覧車🎡も今日まで、混んでいたので乗りませんでした。今日もご覧くださりありがとうございました😊
8231個 モノを捨てました!(^_^)