成美堂出版、「79の新刊のご案内」が入っているので1979年、私10歳の時のモノであります。もちろん先日の実家からの掘り出し物。単行本サイズです。ネット検索すると38年版とかて書いてあるので1963年版?それこそ前の東京オリンピックくらいの時の本ですね。検索は便利!
ルールや守備の仕方、打ち方などいろいろと書いてあります。「サクリファイスバント」と… 覚えています、犠牲バントのこと。日本人らしくなんて素晴らしい緻密な戦略!、メジャーリーグではバントとかしないと教えられていたのでそんなことを思っておりました。理論武装だけはちゃんとしてスコアブックもきれいに付けていました。きっと知識だけはちゃんと身につけようと買ったんでしょう。そういうタイプでした、というかならざるを得なかったです。なんでかは後述。
小学生の時に地元の少年野球チームに入っていた私はもちろん!?C球(正式にはC号:小学生用)を使っていました。練習していてL球(同じくL号:社会人用)が転がっていて… 千葉市の海岸部は埋め立てたばかりで、ひろーいグランドがありみんな野球をする人は使ってました。そこにマイクロバスに乗ってわざわざ行って交流試合したり、練習したり… 団塊ジュニアのちょっと上世代の私、最初はチームに五、六十人もいて、いつも補欠、球拾いばかりでした(笑)
大人数に埋もれるだけでなく、2月末の生まれでチョー小さかった私。ちなみにムスメっちは女子だから単純に比べられないですが中2の彼女の今の身長体重と同じくらいになったのは高2の時、それくらいだから小学生の時はチョー小さくてバッターボックスに立つだけで相手のピッチャーがとてもイヤそうでした。バットも重たかった、振るのだけで精一杯… だけど欽ドン野球(懐かしい…)を見て、野球に憧れてチームに入り、ちゃんと週末近所のグラウンドに土日通って、ほぼ毎週ずーっとベンチを温め、道具を整備し、4年間過ごしました。実践は身につかず、ベンチ周りの裏方などはバッチリ!必然的にそうなった少年時代でした。
父も私が野球をやったおかげで手伝わされてしまったり、ユニフォームや道具でお金を使わせたり…で結果は全く残せず失礼しちゃいました。こんなことでも反省しきり、親にも悪いことしたなあと今振り返って思っています。
母親がたまたま観に来ていてベンチにあとひとり、交代要員も自分しかいなくてよーしバット振っていたら、下級生を連れてきて試合に出したコーチがいて「そこまで認められていないんだあ」と思ったのと母親の複雑な顔… こんな切ない日々の連続、でも4年間耐え、耐えることそのものも学んでしまいました。
それと何よりのトラウマは4年間続けてきてヘッドコーチが言った労いの言葉「たつみはよく頑張った!」ん?よくやったんじゃないんだ、頑張っただけかあ… へそ曲がりでアマノジャクな私はとても寂寥感に包まれ、退団式には涙一つ出なかったのを覚えています。
もちろんヘッドコーチはいい意味で言ってくれたはずなのですが、こう私が思うのには前段があります。前述のようにほぼ出場機会の無かった私にとって「試合に出してもらう」というのは至高の喜びでした。退団前最後の試合、ミーティングで「最後の試合はみんな出場してもらうぞ!」と。よーし、今日はあ!!とバットを並べ、ボールを片づけ…とやりながら試合が進んでいくと… 競っていて勝負だからコーチ陣も熱くなっています。そして最後ホームベースでタッチアウト試合終了、トーナメントだからチームは負けその次の試合も無し。
「競っていたからみんな出せなかった、悪かったなあ」と軽く言われてしまいましたが、最後に残った20数人中、出られなかったのは確か2.3人。そのうち自分だけが打数0:手違いで試合が重なった時に打席に1度だけ立ったことはありましたが、フォアボール:でした。それも辞めちゃったもっと小さい子と交代させられ… 打席数1、打率.000、出塁率1.000、見事な戦績でした。(野球のわからない方、失礼します)
12歳になったばかりの私は「口で頑張った、と評価しても実際はほぼ一度も使ってもらえなくて、へたくそだし小さいし、使いようがないなあ って思ってるんだよね」と妙に落ち込み引きずり、その後中学高校と頑なにスポーツなどの団体行動、特に部活を嫌うようになりました。でずーっと帰宅部(そんな日本語がありました)で今でも団体行動は苦手です。あの少年時代「小さいし野球に向いていないよ」と面と向かって言ってくれた人もいませんでした。一所懸命に下働きしていたからか、相手にされてなかったか…
それにしても勝手ながら下働きばかりで野球チーム内で都合よく使われた感が強かった私、大人になって草野球をしてみると… 周りとふつーに野球できました。千葉の英雄、長嶋茂雄さんがテレビとかでもよくやっていましたが、ダウンスイング気味に打ち込んで行ってインサイドアウトに下半身を体重移動させてレベルスイング(あくまでも私のイメージ)でターッと打つと理想に、そんな感じで上からバットが出て真っ芯にあたるとよーくボールは飛んでホームラン!とか打てたりしました。小さい私が自分に合わない重たいバットを振る体力も無かっただけだった…。守備も腰を落として膝を柔軟に、後ろに逸らさないように体で捕球して…セカンドゴロをファーストに捌いたり、草野球程度ならできました。
このしょもない野球経験で学んだことは身の丈に合わない・土台無理なことはしないこと、組織の中で憤然としていたり困っている人などが居たらちゃんと向き合って声をかけること、そして出来ない空手形はなるべく切らないことです。「みんな試合に出してやる!」はとても私にとって大きかった、それが果たされなかったのを40年近く経っても忘れられません。
ただ結果的にこの経験がその後の人生に有益に働いたことにとても感謝していて、この本を捨てて改めて当時の様々な思い出を振り返ってイヤな気持ちを洗い流したような次第です。今はしていませんがちょっとだけですがプロ野球関連の仕事もすることが出来、神宮球場などに行けました。好きという思いがちょっとは実って形になりました。今年の1月にも東京ドームのイベントに行って、周りを見渡して改めて感動しましたよ。早くプロ野球、開幕出来るといいですね。
長文失礼しました。今日もまず寝てから家で頑張ります!
6887個 モノを捨てました!(^_^)
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