康の新たな旅

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永観堂禅林寺の新緑は鮮やかだった

2015年05月23日 | 
5月15日永観堂を訪問
 永観堂のホームページ

 この歌は、平安時代初期に、永観堂(禅林寺)を創建された弘法大師の弟子真紹僧都(しんじょう 797-873)の徳を慕って、自分の別荘を寄進した藤原関雄の詠んだ歌です。永観堂は仁寿三年(853)の草創以来今日まで、幾多の文化人達の筆や口にもてはやされ、親しまれて、“モミジの永観堂”として千百有余年のかがやかしい歴史を持った京都有数の古刹です。 真紹僧都は真言宗の僧侶であったため、禅林寺は真言密教の道場として始まります。創建にあたって、真紹僧都は「禅林寺清規(しんき)」に、「仏法は人によって生かされる、従って、我が建てる寺は、人々の鏡となり、薬となる人づくりの修練道場であらしめたい。」と照り映えるモミジ葉の輝きにも負けぬ、智徳ともにすぐれた人材養成を理想の旗印に掲げられたので、風光の美しさとともに、伝統的に各時代の指導的人材の輩出を数多く見ることとなりました。
 永観堂の歴史は、大きく三つの時代に分けられます。最初は真紹僧都から永観律師(ようかんりっし 1033-1111)が住職になるまでの約220年間で、真言密教の寺院としての時代です。次は永観律師から静遍僧都(じょうへんそうず 1166-1224)までの約140年間。この時代は、真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院でした。その後は浄土宗の寺院となりました。

私たちは、阿弥陀仏に帰依し、そのお慈悲を深く信じ、
悦びのお念仏を称えましょう。

私たちは、仏のみ教えをうけて、くらしの中に生かし、
人々と和合し社会の浄化につとめましょう。

永観堂のみかえり阿弥陀さまの由来
みかえり阿弥陀像
本尊(国・重文)
みかえり阿弥陀像
(みかえり阿弥陀さま
についてはこちらへ)
永観堂の正式名称
聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺
(しょうじゅらいごうさん むりょうじゅいん ぜんりんじ)
第七世法主永観律師にちなみ永観堂と通称
創 建
貞観五年(863)
清和天皇より「禅林寺」の勅額を賜う
宗 派
浄土宗西山禅林寺派
宗 祖
法然上人(源空)
派 祖
西山上人(證空)
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